こちらのテーマは、100万人に数人の確率でかかる、とても希少で生命予後の悪い、後遺症が強く出て、社会復帰率50%ほどの病気と闘う患者本人と、それに振り回される家族の、家族目線のテーマです。
不快な方は見ないでください。
地域包括支援センター(名古屋市は「いきいき支援センター」と言うらしい)と絶賛喧嘩中のたかひろです、どうも。
いきなり物騒な書き出しですけど、タイトルと書き出しで、ほぼ書いちゃってますけどね。
2件目の病院で紹介されたケアマネが激しく柔軟剤臭くて体調不良になって、ソーシャルワーカーから断って貰ったんですけどね。
3件目の病院のソーシャルワーカーは消極的。
仕方なく地域包括支援センターへ行ったけど、そこも柔軟剤の猛臭でぶっ倒れそうになって、うんざりですよ奥さん(誰
とりあえず3件目の病院でいきいき支援センターの人と面談して、相手のニオイで何だかおかしくなって…。
とりあえず病院の話しあった場所が広くて何だかレベルで大丈夫でしたが。
次は自宅に来ることに。
来ましたよ、ふたり。
ひとりは乗り込んで行った時から見る人で、最近ようやく名前を覚えた。
問題はもうひとり。
猛臭な上に高圧的態度。
私の病気を知っててわざと体調を崩しにかかってるとしか思えないし、上から目線手高圧的な物言い。
???『私のにおいしますか?』
俺「ええ、めまいと頭痛がするくらい酷いにおいがしてますけど。ここ、安全地帯にしておかないと、私が暮らせませんから」
あとは意識朦朧として、何か暴言吐かれて、言い換えしたりしてましたけどね。
伝わりませんよ。
最後は大人の対応で返しましたけど。
その後は、花粉が飛びまくってるため、窓が開けられないから、換気扇をフルパワーで回した後、家から退避。
いや、もう、うっかり躓いたら倒れる自信しかなかった。
今日もまだ影響が残ってますけどね。
出来る限りの対策をしても、排泄は出来ないし、逆に下痢する始末。
どないせぇっちゅうねん。
とにかくフラフラだけど、何とかお見舞いに行って、帰宅後はある程度空気がきれいになった自宅で倒れるように寝た。
翌日、難病の診察で大学病院へ。
地域包括支援センターがクソな件を主治医に愚痴る。
『うん、私もクソだと思う』
『たかひろ(仮)さんは、勘が良いから、そのイメージは正解かもねー』
だそうで。
ありがとう先生。
『親も大事だけど、自分のことも大切にしてね』
って言って貰えてありがたかった。
めっちゃ疲れた顔してるって言われたしね。
いや、柔軟剤くさすぎる人が自宅を汚染してったって言ったら…
『それ、たかひろ(仮)さんにとって一番駄目なやつ…』
ってめっちゃ慰められた…
親を看る覚悟はしたけど、何も決まらない予感しか無い。
でも頑張らなくちゃね。
薬を貰ったら既に16時。
お見舞は17時までに病院を出なくちゃならない。
30分間OKだけど、そんなに居られないくらいの時間しか無い。
で、お見舞いに行ってそろそろ帰らなきゃ〜って時に母の3人目の主治医とばったり。
あら
ってお互いに挨拶して。
「めっちゃ寒いって言ってガタガタ震えてましたよ〜」
って医者に言いまして。
状況を以下のように説明。
ビデオを勝手に流してある談話室みたいなところに風呂上がりに捨て置かれて、窓全開で、私達が来た時ですら、その空間はめっちゃ寒いって思ったんで、寒がりの母だともっと寒かったと思います。
あと、花粉に当たり続けると今は大丈夫でもこれまで毎年花粉症の症状が出てたんで、出るかもしれませんし。
って事実を述べておきました。
で、鎮静剤の減薬をしますねって報告を口頭でされ、金曜日に面談しましょって話して、ジャスト17時に1階に降りた。
受付の人に
『17時ピッタリですね〜』
って驚かれ。
ニヤッとしておきました。
とりあえず鎮静でぼんやりしていた頭が少しずつクリアになっていって、どこまで機能が残っているかがわかるけれど、母は現実が少しずつ見えてしまっていて、絶望に苛まれている感じです。
母の言動の全ては、私は予測していましたけど。
でも、ぼやっとさせる薬の影響が消えて、脳のダメージの正しい評価が出来るようになるのではないかと、少し期待しています。
そして、せめて、ベッドや車椅子から自力で立ち上がれるようになってくれると助かるかな…と。
で、名古屋市のいきいき支援センターの事が書いてあるページから、まずは、いきいき支援センターについて、苦情と謝罪を求めたいって書いたメッセージを送ったら返事が来たんで、上記の苦情を書いて、再度返信をしておいた。
どうやってクソな返事が来るか、楽しみである。
お役所仕事よりも、委託先(いきいき支援センター)がクソな件を現場からお伝えいたしました。