9/3のことです。
9/1より、何故か処方された薬を全く飲まなくなった父。
堪忍袋の緒が切れた私は、とりあえず父が認知症でかかっている、私が産まれた病院に電話をした。
担当の看護師さんに繋いで貰って、カクカクシカジカで受診したいとお願いしてみたら、OKが出たため、次にたまたまな、私の主治医もいる日だわってことで、再度電話。
主治医の受診が可能化を問い合わせたらこちらもOKとなった。
で、ここからが、決して真似しないようにして欲しいのですが。
私は悪手と分かっていても、ひとりきりで事を成すにはこれしかないと覚悟を決めて、朝っぱらから父と大喧嘩。
俺「2日間も薬を飲んでいないから、主治医の意見を聞くために病院行くぞコラ」
父『俺は何も病気じゃなく元気だから行かん』
俺「ふざけんなコラ(胸ぐらを掴む→薄い下着の襟元)」
父『絶対に行かねぇ(私の両腕を掴んだり、指を逆反りされる)。お前、俺に何か隠してるだろ。コソコソ違う部屋で電話したりして。俺はもうすぐ死ぬから良いんだ。』
まあ、父親に聞かれたくない話も勿論あるけど、テレビの音が混じると向こうの話が分からなくなるし、母の事もまあまあ有って、それで電話してるはずなのに、まあ、被害妄想酷いね。
ひとまず、父に掴まれた逆反りにされた指が折れるのだけは回避するために、思いっきり腕をつかんだら、また腕をつかみ返され。
右の前腕をバリッと引っかかれ、左の親指の付け根は圧迫された際の内出血が3時間後くらいに浮き出る。


俺「やましい事が無いんだったら、第三者(医者)の前で弁明すれば良いだろうが!!!」
と、近所迷惑顧みず、出る限りの声量で怒鳴ったら、何故か納得したようで、支度をしてくれた。
何故かはわからん。
で、診察券などを用意して、気が変わらないうちに車で出発。
一言も喋らずに病院到着。
月初めだから、保険証確認やら何やらで総合窓口へ。
次に診療科受付で2人分の受付をする。
どちらも電話にて来院了承済みな件を話して、それぞれの先生に振り分けて貰った。
いつもの待合に座らせて、自分はトイレへ。
普通に用を足し、ここぞとばかりに警備室に愚痴りに行く😁
俺「父親を連れてきたけど、連れ出す前に大喧嘩をしてきた。ほれ。」
と、上の写真の部位を見せながら
俺「また切れ散らかすかもしれないし、やはり怖い思いをしたから、何か助けはないかな?」
みたいなヘルプを出してみた。
一応相談窓口…
うん、そうだよね。
あそこに行く際、父に見られんか?
見られたら
父『何こそこそしとる』
ってまたブチ切れそうなんだけど…
困ったねぇ
と、話していたら、いつもの患者相談窓口の人が通りすがった。
いやー、渡りに船とはこの事か。
警備の方にはお礼を言って、患者相談窓口の看護師さんに改めて、カクカクシカジカ〜とここに来るまでの話をしながら腕を見せたり、指が反対向いた話もした。
とりあえず、私はトイレに行くと言って父と離れて、そろそろ戻らないとヤバいと思うから、色々頼みます。
と看護師さんに投げて、父のそばに帰る。
暫くして、私の方が先に呼ばれた。
主治医1にカクカクシカジカで、父を連れてきたけど、その前に大喧嘩して両腕と指先が痛い件を負傷した箇所を見せながら話した。
主治医1『もうね、プロの手に委ねる時期よ。施設を検討する時期に来ている。ケアマネさんと相談して動くべき』
そうね、2年前に母が倒れた時も、私と主治医1の、25年間の蓄積データを元に、トータルで在宅は絶対に無理と言ってたもんね。
意地になってやって来たけど、確かに最後までは無理だと思う。
でも。
認知症はグループホーム?
いや、要介護3以上だから特養?
頭では主治医1の話している事は理解してるよ。
難病の主治医も同じ見解だし。
でも、両親を施設に入れたら、私は障害年金だけになるよ。
生きていけないよ。
今は父の年金と、私の年金で、それでも足が出てる状態よ。
それを考えると、オイソレと先には進めない。
ケアマネさんもそれはわかってくれている。
誰が私の生活を守れるのか。
ドクターストップで働けない私を。
まあ、八方塞がりよ。
宝くじで何億円か当たればそんな心配ないんだけど。
神様は味方してくれないよね。
で、お礼を述べて私は主治医1の診察室を出た。
次に父の番号が出る。
とりあえず父を先に入れたくて、私は待ち合いのほうでボーっとしてたら眠りこけてた。
肩を叩く人が現れる
認知症の看護師『お父さん、脱走したから捕まえてくるから、あなたは診察室に先に入って』
俺「は? あ、はい」
状況が全く読めなかったが、ここは勝手知ったる市町村であるから、父が行方不明になろうが、全く心配はしなかった。
更に警備の人も総出で捕まえたらしい。
いや、ホントに申し訳ない。
その間に私は認知症の医者に手招きされた。
いや、だからこのシチュエーションは、今日は特に嫌なのよ。
30年前からの腐れ縁の医者だから、勝手知ったる人であるけれども。
で、2日前からの顛末と、病院に電話をしたあとの顛末を喋っていたら、認知症の看護師さんに小脇に抱えられる感じで戻ってきたようで。
俺「先生と私がグルになって、俺をバカにしてるってずっと言ってるから、本当なら先に父だけ入って貰って、洗いざらい喋って貰ってから私がここに入りたかった。」
と言ったら、そろそろ父が看護師と入るみたいだから、裏口からこっそりと脱出w
しれーっと、再度、認知症の医者に呼んで貰って中に入った。
やり取り再開。
父の話はグルになって馬鹿にしているという話は全く出ず、2日間飲まなかった薬も、飲んだことになっていたし、私がいきなり用事を言うのが気に入らないとか、昔ではありえない話が出てきて、青天の霹靂だったわ。
何故なら過去の父なら、思い立ったが吉日、乗鞍岳方面にひとりで行って、何の連絡もなく、民宿に1泊して、帰ってくるとか、いつもやってた人なのよ。
私もその気質があって、今はあちこちの認知症カフェを、いきなり訪れるという事を今はやっている。
いや、父の口からそれが出る?
と思ったさ。
で、質問に対して本当に何も答えられない父がそこにいて、正直ショックだった。
診察室では長話も何だから、場所を変えて移動した。
認知症の看護師さんが父に、色んな角度から答えやすそうな質問を投げかけてくれてようやく少しだけ話せる感じ。
会社経営してて、その前は同業種の営業畑でやってきた父が、話せないって…。
これが認知症なんだなと再認識した。
で、薬(特に夜の認知症薬)を飲めますかって10回くらい聞いてくれて、やっと『わかった』という言葉が引き出せた。
あとは雑談とか、色々話していたら、近いうちに、認知症の看護師さんが主催の認知症カフェをやるから、一緒に来ない?
と一生懸命に勧誘w
私も「一生懸命やってて、私はその活動を応援したいから行ってるんだけど、一緒に行ってみる?」
と言ったら、なんだかその気になってくれて、看護師さんも喜んだところで終わることが出来た。
で、計算窓口に伝票を出して、会計を待つ間、コーヒーを飲んで、計算窓口でトラブって(笑)
↑様式美のようなもんです
その間に車を冷やして欲しくて、車の鍵を渡して行ってもらって、その間にケアマネさんに電話して、そしたら警備の人が近づいてきた。
警備の人『あのー、お父様、病院の建物から出られましたが大丈夫ですか?』
俺「あー、すみません、すみません🙇
車を冷やしてもらうために行ってもらいましたから大丈夫です」
あちこちで、父逃走のお詫び行脚をしまくってから、1998年に入院した時にお世話になった当時の病棟看護師長さんに最後に、お詫びがてら主治医1の見解を話し。
元師長『主治医1先生は、昔からそういう人よね。あなたが心配なのよ。』
なんて、慰められて。
最後はお礼を言って外に出ました。
そしたらね、4時間無料の駐車場、2分過ぎてて警備室にとんぼ返りよ。
処理をして貰って、色々な件でお礼を言って、病院を後にする事が出来ました。
帰宅がてらスーパーに寄って晩御飯を買い、帰宅したらバタンキューで眠りこけてしまいましたとさ。
夜中にひとり、カップラーをンをすすり、薬を飲んで、母にも薬を飲んでもらって、注射を打ってから寝る事が出来ました。
ここまでで、3日に予約をしていた整形外科にキャンセルの電話を入れてお詫びしたのは言うまでもありません。
体調不良で、別の病院に行ってて行けない言いました。
無理すればギリギリでしたが、父を医療措置入院させるところまで考えていたため、無理だろうなと思っていたから。
結局は今かかってる、産まれた病院は、精神科が無い病院だから無理なんだそうで、その入院先は、私たちで探してくれとのことです。
認知症カフェに参加してても、その地域の周りしか、情報がないんだよね。
来週の認知症カフェが楽しみだし、家から一番近いスタバで認知症カフェが開始されるから、初回は気合を入れていきたい所存。
メンタルはゴリゴリ削られてるけど、認知症カフェで愚痴って、少しずつ回復中。