★ゆかっちの場合④★
2度目の入院は、1月5日から3月24日までと、退院時期がこれまた年度末のややこしい時期でした。
3月の初めには外泊許可が出て、無事に病院に戻ってきたら、もういつ退院してもよいと言われました。しかし、すぐの退院はやはり不安だったので、何度か外泊を試してから退院することになりました。それに、今回の入院はガウンが長く(38日間)、大好きな院内学級にほとんど通うことができなかったので、リハビリも兼ねて、院内学級でのんびり勉強し、2年生の終業式を迎えることにしました。
しかし、ここで問題が。このスケジュールだと、本来校に戻るのは3年生になってからになります。今度は確実にクラス変えがあるのです。病気とわかってからこれまでの約1年半の間、ゆかっちを応援してくれたクラスのみんなと別れてしまうのです。
私は、最後にきちんとみんなにお礼を言って2年生を終わりたい、その方が3年生になってからゆかっちも学校に戻りやすいと思っていました。
主治医からは、1~2時間程度なら学校に顔を出してもよいと言われていたので、院内学級の先生にも頼んで、ゆかっちを説得にかかりましたが、どうしても首を縦に振りません。
その理由は、骨髄移植の前処置のために、髪の毛が抜けていたからでした。
化学療法をすると、髪の毛が抜けるのですが、ゆかっちはこれまで化学療法をしたことがなく、髪の毛も抜けたことがありません。このことは移植前にきちんと話してあったのですが、やはり実際に抜けてみると、ショックをだったようです。最初のうちは、病院の中でも「はげって言われるのがいやや。」と言っていたくらいです。もちろん、そんなことを言う人は1人もいないし、ゆかっちも誰かにそう言ったことはありません。
担任には、親としてはクラスに顔を出したいのだがゆかっちが嫌がっていると、その理由も話しました。担任は、「それならしかたたない。無理に来ることはありませんよ。」と言って下さいました。
困ったなあと思っていたら、うまい具合に学校からお手紙が届きました。担任とクラスのみんな1人1人からの励ましの手紙を綴じたものでした。
実は、1月初めから約1ヶ月半の間、担任が学外研修で不在だったのですが、その代理に来た先生が声をかけて、クラスの子ども達が手紙を書いてくれたのですが、しばらくそのままになっていたようです。そして、少し時間がたったけれど、絶妙のタイミングでこちらに届いたのでした。
1枚1枚丁寧に読んでいるゆかっちに、「お手紙もらったし、ちょっとでも学校に顔を出してみたらどう?」と声をかけました。ちょっと不安でしたが、返ってきた答えは、「行く!」
翌日、院内学級の先生にも説明して、本来校と連絡を取ってもらうことになりました。
その時に、「もうあまり日がないけど、いつ行く?」とゆかっちに尋ねると、
「できるだけ早く行きたい。」
なんと言うことでしょう。あんなに嫌がっていたのに!
友情というのはすごい!!みんなが待っていてくれるというのは、本当に嬉しいことなんでしょうね。