★復学:ゆかっちの場合③★


復学の時には、学校と面談 を行ったほか、、担任と養護の先生に病院へ主治医の話を聞きに行ってもらったことは、以前書いたとおりです。


1度目の退院の時に、主治医から「よくなれば通院回数も減っていきますからね。」と言われたのですが、症状が改善されることはなく、毎週1回は通院していました。翌年、骨髄移植のために入院するまでは、通院、輸血、発熱のくり返しでした。

1度目の退院から次の入院までの297日間の通院回数は60回、調子が悪くなっての短期入院は5回、13泊でした。4.9日に1回通院していたことになり、この数字が病気がよくなっていないことを物語っています。


そういう状態なので、学校は欠席することが多く、半分位しか出席しできていないのではないかと思います。

通院のときは、行ける状態なら院内学級で勉強していました。


4月になって2年生になり、最初のうちは緊張もあったのかきちんと始業時間(午前8時40分)に間に合う様に起きられていたのですが、だんだんと起きられなくなり、4月下旬には1時間目に間に合わなくなりました。貧血のため、やはり起きづらかったのでしょう。

朝起こして、おんぶしてリビングに連れて行ってからも、またうとうとして、学校に行けるのは9時30分位。年末には10時頃になっていました。

のんすけはゆかっちが起きるよりも早く学校に行ってしまうので、ずいぶん長い間ゆかっちが遅刻して行っていることを知りませんでした。そのことを知ったときは、かなり怒っていましたね。


朝は私が車で送っていきます。登校しても午前中は調子が上がらず、まず保健室へ、2時間目が終わるとお友達が迎えに来てくれるので、そこから教室へ向かい、最後まで授業を受けるという毎日でした。授業が終わる頃には迎えに行っていました。


担任も養護の先生も、ゆかっちの状態をよく理解して下さっていたので、遅刻をとがめられることはなく、保健室で過ごす時間が多くても、体と相談しながらの登校を認めて下さっていました。

この担任の先生は、以前にも病弱児の子を受け持ったことがあるそうです。


体育は保健室で見学、掃除の時間はほこりがたって感染が気になるので、これまた保健室で待機していました。運動会も学習発表会も遠足(秋の遠足は行けたけど)も、しんどかったので欠席しました。


休みがちで、けっしてみんなと同じように学校生活を送れたわけではないのですが、ゆかっちはそのことで何か言われたことはないそうです。「みんな優しくしてくれた」とも言っていました。

先生がきちんと説明して下さっていたからか、優しい子が多かったからなのかはわかりませんが、迎えに行ったときに、私にも、「あ、ゆかっちちゃんのおかあさんや。こんにちわ。」と言ってくれる子が多く、この子達となら大丈夫と思いました。また、「バイバ~イ」とたくさんの友達と挨拶するので、友達との関係は、ゆかっちの言う通りうまくいっていたのだと思っています。


この間のゆかっちのことで、もう一つ言っておかなければならないことがあります。

朝は、貧血のために起きづらく、しんどそうなのですが、午後からは人が変わった様に元気になるのです。午後になったからと言って貧血が改善されるわけではないので、動き回るとやはりしんどいのですが、朝とは別人です。

もし、夜間の小学校があるのなら、通わせたいと真剣に思ったトムさんと私でした。