2003年11月6日(木)⑨


 病院の消灯は21時。

 消灯ギリギリに病院に帰ってきたあと、ゆかっちは赤血球をつながれ、輸血しながら寝ることになりました。


 先生や看護師さんが病室を出て行き、部屋の電気も消えました。

 ベッドのまわりのカーテンを引くと暗くなりすぎたので、枕元灯の明かりをつけました。

 同じベッドに寝てもいいと言われたので、私はゆかっちと一緒に横になりました。

 おやすみといっても、ゆかっちは、なかなか寝ません。

 「こわい。病院こわい。」としくしく泣くのです。


 私もこわいよ。これからどうなるんやろう。


 「大丈夫。おかあさんもに病院にいるから、一緒にがんばろうな。」と言うのが精一杯で、私も泣けてきました。


 体もしんどい、初めて来た病院でもっとしんどくなり、入院することになり、腕には針を刺され、点滴につながれて、まわりには白衣を着た知らない人がいっぱい。

 いきなりこんな状況になって、こわく思うのもしかたないと思いました。

 私は、かなり長い間、ゆかっちの「病院こわい」といった理由を、こう思っていたのです。

 

 しかし、本当は全然違う理由だったということを本人の口から聞いたのは、それから約1年半後、骨髄移植後しばらくたってからのことでした。本当の理由は、また後日に…。