こんにちは
台風接近中の西日本の実家におります
ふらふらグラグラはマシなものの、頭の中にうっすらガスがたまってるような、ちょい圧迫感
しかし、比較的マシです

皆さま、台風お気をつけください❗️
最近、母の大腿骨骨折あとの調子が悪く、いつもより長く実家におりまして、いつ関西に戻れるかわからない状態

母は宇宙人父のお世話で負担が積み重なったのでしょう

もうワタシ介護別居状態やんか

そうこうしてる間にも色々調べまくり、既に3つの特養施設に申し込みをして来ました
いやもう、暑過ぎるー

地元の施設がいいのか、関西の施設がいいのか…
ケアマネさんの「離れた地元の施設に親を入れている方はたくさんおられます」と言う言葉で、馴染みのある地元の施設に決めて申し込みをしています
各施設、雰囲気が違いました
きのう申し込みにいった施設はスタッフさんがみんな通りすがりに笑顔で挨拶、申し込み担当の方もとても丁寧に対応してくださいました
しかしどこの施設もえげつない待機者数

申し込み順ではなく、緊急性を点数化して、順番を決めるのだそうです
中には今は家で対応出来てるけど、先々の為にとりあえず申し込みをされている方も多いらしいので、もしかしたら思っているより早いかも⁉️
…と勝手な安心材料を探してしまってます
急ぐ場合、複数件申し込みをする方が少しでも早くなるようです
市街地の施設は便利だけど、特養といえども料金は思ったよりお高い所が多い
私もかなり心も体も疲れてきた

感謝も努力もない、楽な方に逃げる事しかしない宇宙人父のお世話をするのは精神的にキツイ
高齢になってからは本当に思考回路がおかしいので、説得、説明が難しい
1日でも早く宇宙人父から解放されたい

そして、終戦記念日でしたね
うちの両親はどちらも戦争経験者
宇宙人父はもう空襲の時どこにいたかも覚えていない

母は空襲も経験、まだ子供だったのに、降ってくる焼夷弾の中を逃げまどい、沢山の焼け焦げた遺体、瓦礫と化した町を見て、どれだけ心に深い傷を残した事か…
戦時中も段々と物資が無くなり、食料の配給も最後の頃は家族7人でネギ一本とか、お米一合とか、お金が多少あっても物が無くて買えない
遠くの田舎の遠縁を頼って、バスや長い山道を母親(私の祖母)と乗り継ぎ歩き、野菜を分けてもらいに行ったり
靴がボロボロになっても物が無くて買えなくて、夏は溶けてベタベタになったアスファルトを裸足で走って学校に行ったりしたそうです
鍋釜などの鉄類も兵器製造の為、没収され、それは一般の国民は惨めな生活を強いられたそうです
今から冷静に考えると、そんな一般国民が物が無い、食べれない状態で勝てる訳がない
徴兵され戦死した方々も、ホントは多くの餓死者がいたらしいし…
平和を祈り、戦没者の方々が安らかに眠れますように
そして、めまいや病気で闘病されている皆さまが回復されますように‼️