もうピアノ行きたくない | 使いみちのない風景

もうピアノ行きたくない

一昨日、テレビをつけていたら
ある番組が
「親になる練習」をしている集まりのようなものを取り上げていました。
その部屋には、
年齢も性別もさまざまな大人たちが大勢ひしめいて二人一組になり、
親役と子供役に分かれ、
子供とのコミュニケーションのとり方を練習しているのです。

所狭しと並んだ彼らが
講師の支持に従って、一斉に

子供役「もうピアノ行きたくないの」
親役 「そう?ピアノ行きたくないの?どうして?」

とやっているさまはあまりに奇妙で、
芯から凍り付いてしまいました

自分の子供との接し方がわからずに一生懸命になっている人を
非難する気にはなりませんが、
どうしてこんなことが起こっているんだろう、と暗澹たる気持ちになります。
虐待も然り


本当は、
「難しく考えすぎるから難しいんだよ。向こうも人間なんだから思うように行かない事だってあるって!まーなるようになるよ!」
と言いたい。
話して、聞いて、褒めて、叱って、
良いことも悪いこともたくさんの経験をさせ、見守り、時に首を突っ込んだりブチ切れたり一緒に泣いたり笑ったり、その子が学んでゆくのを見ていてあげればいいんじゃないか、と。

でもそんなことはわかっていてもどうにもならないくらい、
子供を持つということは、きっと今の私が考えるよりずっと
複雑なことなのでしょう


私はたぶん上記のように育てられたただの幸せ者で、
尚且つ親になった経験のない私に
こういった事に提言をする権利はありません


「親」とは何でしょう
「養育」とは
「教育環境」とは・・・
いろいろなものがそれぞれちょっとづつ、
問題の一端を担っている、と考えると
迷路に迷い込んだみたいになります。
出口はそれぞれで見つけるしかないのでしょうが

でも、見ず知らずの人間を相手に、
ピアノに行く行かないだののやりとりをするよりは
もう少しほかに出口に繋がる方法があるのではと思ってしまうのです


私は「ピアノやめたい」と言ったら
押入れに閉じ込められました



本日のone disc

定番ですが大好きです(既にネタが・・・)
いいもんはいいんだからいいのよ

「Ultimate Collection」/ DE BARGE
stay with me、不朽の名曲です