何から話せばいいのでしょう。

私の中学校の修学旅行は、岩手県田野畑村でした。

ただの修学旅行ではございません。

田野畑村の農家、酪農家、漁業家の皆様の家にお世話になり体験学習を行うというものでした。

私個人の思い出としては、修学旅行に行くまでの過程で苦い思い出もあり、複雑な思いもあるのですが(秘密)

後輩たちの頃には、ホームステイを実現させるなど

先生方や生徒と田野畑村の方々が長い年月をかけて築き上げた「絆」

20年たった今、これはすごいことだったんだなぁと改めて思うことであります。

今の社会で「不足」しがちに思える「何か」をすべて凝縮している。忘れかけた教育の原点である気がしました。

そして、月日が過ぎて「あの日」がやってきたのです。

東日本大震災・・・

私たちは、修学旅行先の事前学習・調査でチリ地震津波のことを知っていました。

その時の惨状も大変酷かったと聞きます。

今回の津波は、それをはるかに上回る規模の津波でした。

気になっていた田野畑村の情報が、徐々に入るようになってきたのが4月ごろでしょうか。

我々が宿泊したホテル羅賀荘は四階まで水没。

宮古と久慈を結ぶ三陸鉄道は田野畑村にある駅のうち、高架の上にある島越駅が「消滅」しました。

先日、テレビ東京で三陸鉄道特集コーナーがあり、田野畑駅、島越駅、港周辺の現状を映像で見ることができました。

海に近い民家が消滅したことはもちろん、高いところを走っていた三陸鉄道の島越駅が橋桁を残して消滅していた絵に驚きを隠せませんでした。


そんな中、当時の母校の先生方や生徒・ご父兄の皆さんが中心となって「田野畑村を応援する会」を発足。

支援活動をスタートさせました。

私はこの活動を「西の風」など地方紙で知りました。

私は活動自体には参加していないのですが、積極的に紹介などしていきたいと思います。

この度、「田野畑村を応援する会」のブログができました。

田野畑村を応援する会
http://ameblo.jp/tanohatalove/

活動報告はもちろん、現地の方々のブログなど「生の声」を紹介しています。

田野畑村のみならず、被災地全体に継続的な支援が行われる為にも、現状を私たちが「ちゃんと知る」ということが大切なのだと思います。