_____生きる代償が記憶の喪失なら
今を最善として死を選ぶか
生きてこそ新たに埋まっていく記憶に
希望を抱くのか_____
ここに来て突然暑さが増したような感じがします。
まだ少しだけ朝と夜が冷えますが昼間は夏らしさを出してきましたね。
私は何より暑いのが苦手なので、もう既に憂鬱です。
もうすぐ梅雨の時期になります。
ずいぶんと前の事なのでご存じの方も多いと思いますが
雨水ってなんとなく汚いイメージを持っていましたが
実は飲めるレベルでキレイみたいですね。
なんでも雨水サイダーとやらが売り出されるほどだとか。
何でも知らないことがあふれているな、と思いながら
そんな記事を読んでいたのですが、そもそも地球上に飲める水自体
全水分の10%ほどみたいです。
なんとなく作り出せそうな気もしますけど、コストの話なんでしょうか。
そりゃ昔から水を争ってくるはずだよね、と自然に思えます。
あとは1つと1つで2つなのに、1滴と1滴で1滴なんですよね。
これも面白い考え方だなと思いました。厳密に言えば2滴分の1滴なんですけど。
物事の見方は人の数だけあって、それらの平均
(おおよそみんなこんなところだよね)みたいなところを当たり前と呼んでいます。
異端なものを見ると爪弾きされがちですが、何事の先駆者も
そういう経験の下で世間の当たり前や賞賛を勝ち得ています。
結局は「継続は力なり」なんですけど、引き時を間違えると
本当に異端者になってしまいます。
私もかつて作詞をする過程で、「詩を書いてるやつ」という認識が
イヤな時期がありました。
なんかクサいやつ、キザなやつ、みたいな発想が根強く持たれていたからです。
まだそういった方はいらっしゃるのかもしれません。
しかし世界を変え見方を変えてみると
「世界観が好き」「言葉選びが好き」「考えさせられた」「感動した」
様々なリアクションをもらえます。
茨の道を行きたいわけでも、生温い世界線で行きたいわけでもないですが
書き始めた当初の「誰かの心を動かせたのなら」に近づけたような気がして
励みになった覚えがあります。
今では曲を書くことはなくなりましたが、言葉を紡いでいく過程で
誰かの何かが動いたり、立ち止まらせたりできているのなら
活動としてやってきて意味を見出せているかなと思います。
今この瞬間、明日、いつか来る未来で
自分の記憶が無くなってしまっても、こうして軌跡が残っていれば
たどり着いた先で奇跡に出会えます。
とある作品で
「記憶は、空のビンに思い出を詰めていく作業」という表現がありました。
そんなキレイな言葉で私も伝えられたらいいなと思いました。
今日はそんなところで。