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東南アジア好きな元留学生体験記

シドニーでの留学経験と東京勤務の経験を活かし、国内外問わず雑多なトピックを扱うブログ。東南アジア好き。

タイにいたときは、

現地でSIMを購入し、

持っているサムソンの

携帯電話へ差し込んだ。

 

ただキャリアが弱いのか、

はたまた端末の調子が

悪いのか、とにかく

回線の繋がりが

悪かったです。

 

日本へ戻ってから、

PCがポケットWIFI

に繋がるし、携帯も

難なく使えるのでホッと

一安心。

 

世界中どこに居ても、

つながるかどうかは

ある意味死活問題

でもある。

 

どこに居たって、

国を離れて人と

やりとりするのは

日常茶飯事だし、

海外へ行く際に、

キチンとネットに

繋がるようにするのは、

今後の課題ですね。

 

さて今回はタイが

今も昔も政治的手腕に

優れている国である

という話。

 

タイという国は

昔から、ビルマや

クメール王朝という

国に度重なる侵攻に

悩まされていた。

 

当時はアユタヤに

政権を置くアユタヤ

王朝だった。

しかし、彼らは

外部からの知恵や文化を

積極的に自由貿易という

形で取り入れ、

一時期は東南アジア最大の

王朝を築いた。

 

だからこそ、

欧米や

中国からの文化も

タイには昔から

入ってきており、

こうした文化を

当時から積極的に

取り入れて一大王朝を

築いたのがアユタヤ王朝

だった。

 

また面白いのが、

アユタヤ王朝は度重なる

他国からの侵攻へ対抗する

ため、外国人の兵士を

積極的に登用した。

 

言うならば、

外国人兵士は傭兵

という身分だったのだが、

優れた傭兵には、

積極的に要人として

重要なポストを

与えたという経緯がある。

 

当時有名だった

日本人に山田長政という

人物がいるが、

一傭兵から王朝の

要人にまで登りつめたのは、

こうした理由からだった。

 

その後はアユタヤ王朝が

滅び、バンコクに王朝が

置かれてから、現在でも

同じ王朝による立憲

君主制が敷かれている。

 

タイという国は、

近年では外資を積極的に

呼び込む経済政策を

進めてきた。

 

特に自動車産業は

優遇政策を行い、

アジアのデトロイト

と呼ばれている。

 

現在は成長率が鈍化したため、

デジタル技術の浸透を

推進している。

 

キャッシュレス社会に

向けた決済システムの

進化などには、目を

見張るものがある。

 

変化と外部の環境からの

適応能力が植民地化も

逃れ、長らく国王制が

続いている証拠でもある。

 

タイに見習うべき点は、

数多いですね。

今年は残すところ

2週間となりました。

 

今週~来週にかけては、

飲み会が多いけど、

飲み過ぎず頑張ります。

 

昨日は高校卒業後の

自分史をこんな感じで、

作ってみた。

 

18歳~21歳

2001年4月に日本で

大学を入学したが、

2003年3月に休学。

 

18歳で大学入学するも、

入学後は何がしたいのか

特に定まっていなかった。

歓迎会時に誘われた

ヨット部へ入学するが、

1年弱で退部した。

もとから英語に興味が

あったことから、

大学を辞めて留学を

したくなったため。

2002年から1年間の

英語力の準備期間を

えて、翌年2003年に

オーストラリアへ留学。

 

21歳~24歳

2003年7月に

オーストラリアの

アデレードの大学へ

入学し、卒業後に

2007年2月に帰国。

 

留学時の目標は

とりあえず日本を

飛び出し、海外で

英語力を身につける

ことだった。

 

留学先で国際情勢

を学んだことから、

将来的には何かしらの

国際協力に関する

仕事が出来ればと

漠然と考えていた。

 

並行して非営利団体

でのボランティア活動に

2年生頃からのめり込み、

最終的には大学生向け

サミットを手配する

プロジェクトにも参画した。

 

オーストラリアにいる

現地学生とこうした

活動をすることで、

異文化圏でも物事を

成し遂げる実力と

自信を身につけた。

 

ここまでが18~24歳の

自分史で、これから先が

もちろんあるけど、

今回はここまで。

 

何かしら海外に

携わる仕事をしたい

と考え始めたのは、

やはり留学が

転機となったこと。

 

後に仕事を転々

としつつも、

いつも英語を使い

海外へ出る

仕事を選んだが、

この軸は留学時に

形成されたと言える。

 

また国際協力や

非営利団体における

仕事などが、日本だと

あまり稼げる仕事

ではなく、帰国して

からは民間企業へ

行こうと思ったのは、

その後の話。

 

確かに10年ほど

前は社会起業や

CSTなどの言葉

はまだ目新しく、

フェアトレード

の言葉だって、

日本では浸透

していなかった。

 

逆にオーストラリア

ではこうした言葉は

より頻繁に使われる

ことも多く、大学の

授業でも使われて

いたのが印象的だった。

 

次回24歳~現在

まで書きます。

昨日から本を読んで、

小売業の物流戦略を

勉強している。

 

例えばアパレルでも、

ZARAとユニクロの

営業利益には2倍もの

開きがある。

 

理由は売り切る

スピードを速くし、

在庫回転数を

早めているから。

 

半完成品の

生地のまま

在庫をしており、

需要に応じて、

委託会社や

自社工場にて

製造している。

 

そのため、

スペインを主とした

ヨーロッパ国内に

数多くの工場を

保有し、ヨーロッパ

から世界各地へ

輸送する物流経路が

出来上がっている。

 

ファストファスト

ファッションと

呼ばれる中、

廃棄率を減らし、

在庫回転を

考えるのも、

効率的な物流

設計が重要となる。

 

ニトリは全ての

家具を海外で

製造している。

ただし、バラツキ

が出ないよう、

定型的な型と

その金型を定めている。

 

また年間17万本

という膨大なコンテナ

を裁くため、通常は

乙仲と呼ばれる

海運業者へお願い

するこころを、

自分たちで通関

している。

 

こうした経営努力が

営業利益率が16%

という高収益を

生み出し、かつ

高い在庫回転数も

生み出している。

 

こうして読み解くと、

まだまだ物流にも

奥深さを実感。

 

まだまだ学んで

いきたいですね。