親鸞聖人は90年の長い苦難の人生を過ごされました。そのご生涯の中で、私は特別大切な出来事が二つあると思います。

 その一つは、比叡山での修行をすてて山を下りられたこと。

 もう一つは、妻子とともに家庭生活を送られたことです。

 比叡山での修行をすてて山を下りられたことについて、聖人ご自身が「雑行(ぞうぎょう)を棄()てて本願に帰す」(註釈版聖典472ページ)と主著『教行信証』に記されています。

 これは自分の修行によって仏さまになるという道をすてて、阿弥陀如来の大慈悲によって救われていく道を選ばれたということです。雑行とは自力、本願によって救われる道は他力といいます。

 出家して、一人黙々と修行する道では救われず、家庭生活を送り、複雑な人間関係の中で親類縁者、すべての人々とともに救われる道に出あわれたのです。

 さて、「仏教」とは、お釈迦さまの教えを実践して私が仏さまになる教えですが、親鸞聖人のみ教えを通して、私は次の三項目に分けて味わっています。

 一、 お釈迦さまという仏さまによる教え。

 二、 その内容は阿弥陀如来と名のられる仏さまのお慈悲よって救われる教え。

 三、 それは、この私が救われ仏になる教え。

 阿弥陀さまのお慈悲は「大慈悲」と呼ばれ、すべての苦悩の人々を余すことなくお救いくださるはたらきです。そのお慈悲が、この世界に満ちあふれてはたらいてくださっていることをお釈迦さまがさとり、み教えを説かれたのです。

 そして親鸞聖人は、一人で修行しても救われない私たち凡夫が家庭生活を送りながら、複雑にもつれた社会の中で、そこに生きるすべての人々がお慈悲のはたらきに出あって救われるという真実のみ教えを明らかにして、私たちに開いてくださったのです。