今回は少しだけ昔話をしようと思う。しかし内容があれなので長くなるだろう。本当に暇な時に読んでいただけると…


あ、ちなみに●●する計画に進捗が無かった訳じゃないです…はい…







それはさておき、私が●●願望を持ち出したのは小学生の頃である。私は小学校低学年から鍵っ子だったが、学校から帰るとふとした時に泣いてる事が多かった。理由はない。何となく●にたくなって泣いてしまうのだ。

(ちなみに鍵っ子とは両親共働き等で帰宅後1人で留守番しながら親の帰りを待つ子の事である。)





この時から、私の人格形成は既に崩れ始めていたのかもしれない。








こう言ったように子供の頃の体験や生活環境と言った生育歴は大人になってもその爪痕、影響を与えることが多い。





少し話が逸れるが生育歴に特性がある人の例えとして…

「人の物を盗む、奪おうとする」

→幼い頃に玩具やお菓子など好きな物を安定して与えられなかった。又、親の都合で取り上げられる事が多かった等、子供にとって安全な環境で過ごせなかった反動で、物等に強く執着しやすくなる。

「依存しやすい人」

→子供の頃に自分に構ってくれる人や守護してくれる人が少なかったので、自身に関心を向けてくれる人に安心感を感じてしまい、更に安心感を求めたり自身への関心を外さないように執着してしまう事で依存関係に陥りやすい。






なんちゃって専門家の様な話をしてしまったが、とにかく子供の頃の出来事、経験って大人になっても影響は残るよねって話である。








私の育った環境にも特性がある。①いじめ②両親の不仲③母親との関係と言った3つの要素だが私の場合はこの3つが生育歴に影響を与えていると勝手に予想している。今回はそのうちの一つ「いじめ」について話そうと思う。










私は小中と二回いじめに関わったことがある。小学校では加害者側、中学校では被害者側としてだ。ちなみに加害者と書いているが、実際には冤罪なので良ければ最後まで読んでほしい。







最初のいじめは小学校4か5年生の時。鳥取県より1人の女の子が転校してきた。とても可愛い子で読者モデルをしていると言っていた。当時の私と言えば自分で言うのも何だが、クラスの皆を引っ張って遊びに行くような子供であった。私は転入生の子と仲良くなりたくて遊びに誘うも断られる事が多かった。諦めきれなかった私は教室では1人で転入生に話しかけたりする事も多々あった。








そんなある日、当時の担任に1人呼び出される事があった。内容は「転入生ともっと仲良くしてあげろ。」と言うものだった。私は「何故私だけ??」状態。いつも話しかけたり遊びに誘っているが断られるのでむしろ嫌われてるのでは?と思い始めていたぐらいだ。しかもその頃になると転入生はクラスのAちゃんBちゃんと言った固定の二人とつるむ事が多かった。ちなみにAちゃんBちゃんは外ではあまり遊ばず学年の中でも大人しめの子である。(ちなみにAちゃんはお菓子作りが得意でバレンタインになると私は必ずお菓子交換をしたり一緒に女子会をした。Bちゃんも絵が上手く自作の漫画をよく書いており好きなキャラ等を書いてもらってたりしていた。)


先生に最近の交遊状況も報告しつつ何故自分だけ呼び出されたのか訪ねると、「転入生がお前に仲間外れにされると言っていた。」と。私は更に「??」状態。とりあえず以後気を付けますとその場を終わらせ、その後も定期的に遊びに誘うようにしてみたが状況は変わらず、無理に誘うよりも相手から来るのを待つことにした。しかしそうしてる内に事態は思わぬ方向へ進むことになってしまったのだ。




ある日、急遽クラス会が開催された。議題は「転入生の上履きや筆箱がゴミ箱に捨てられた。空き教室の黒板に転入生の名前で●ねと書かれていた。」と。担任は犯人は誰だ、目撃者は報告するようにと話しその日は終わったかに見えた。







しかし、放課後になって私だけが呼び出されたのだ。放課後の教室には30代の体格の良いヤンキー先生と私の2人のみ。先生は第一声に「何故正直に言わんねん。」と。質問の意図が分からなかった私は何の話だ?と聞いた。すると先生は







「お前が転入生を虐めてたのは分かっとんねん!正直に話せやこらぁ!」








といきなり怒鳴りながら隣にあった木の棚を蹴り飛ばした。凄い音を立てて棚は大きな穴をぽっかりと空けていた。








私はあまりの衝撃に一瞬何が起きたか分からなかったが、何とか先生に「待って!?ほんまに何の話しか分からんねん!?何の事か教えてほしい!」と訴えた。先生は「まだとぼけんのか!あぁん!?転入生がお前に上履きとか私物捨てられて黒板に●ねって書かれたって言うてんねん!」と。









全く覚えの無い濡れ衣だった。先生に「私じゃない!信じてや!」と何度も訴えるも信じてもらえず、しばらくして「埒があかんから今日は解散や。」と解放され家路に着くことが出来た。






翌日から先生は私へ当たりが強くなっていた。クラスメートの皆も私を庇って先生に話してくれていたが状況は変わらず。私の兄共々お世話になっていた仲良しの先生だったのですごく悲しかった。このままで終わるのかなぁと思っていた矢先、事態が急展開を迎えた。



転入生とよく行動を共にしていたAちゃんの告発である。「上履きや筆箱は転入生ちゃんが自分で捨てていました。黒板も掃除の時間に自分で書いているのを見ました。」と言った内容を先生に報告したと(Aちゃんが私にも話してくれた)。先生はすぐに転入生に再度聞き取りをすると転入生はあっさりと自作自演だったことを認めたそうだ。その後転入生はすぐに謝罪してくれたが先生は謝ってくれなかった。後に兄達が仕返しをしてくれたが今回は関係ないので内容省略。






事件から暫くして転入生とは仲良くなることが出来た。一緒に鬼ごっこに等もした。改めて事件の事を聞くと転入生は「皆の中心にいる貴方が羨まった。」と話してくれた。








シングル家庭で育った彼女には弟がいた。しかし弟には疾患があり母親は彼女より弟に時間をかけることが多かった。一方で彼女に対しては「しっかりしてよ。」ときつく当たることが殆ど。そんな時に転校先でいつも皆の中心におり、先生とも仲良くてキラキラしている様に見えた投稿主が羨ましくて憎く見えたと。








2回目のいじめは中学校。当時私は吹奏楽部に所属し、大好きな音楽にかまけていた。その頃既にいじめは発生していた。標的は私ではなく、普段からおどおどした大人しい子であった(ここではCちゃんとしよう)。Cは普段から制服のスカートを男子生徒の前で脱がされたり物を盗られるのが日常茶飯事であった。そんな彼女はクラスは違えど同じ吹奏楽部に所属していた。









ある日私はいじめの主犯加害者が自身の財布をCの席に隠す所を目撃した。その後財布が無くなった事を訴え始めた。大声で訴えるものだから同じ吹奏楽部の先輩達も心配し始めた。そうなると大捜索が始まるわけで、他生徒がCの机に入っていた主犯の財布を見つけた。主犯は白々しく「C最低~人の財布盗むとか泥棒やん~ 」と捲し立てた。普段から抵抗力の無いCは既に涙目になり首を振るだけだった。










あまりの気持ち悪さに私は「自分でCの机に財布突っ込んどきながら人の事泥棒扱いするのは違うんちゃう?」と反論した。主犯は私の言葉に「はぁ?私が嘘着いてるって言うん?」と。私は「確かに証拠は無いけど、さっき休憩中そこの席でごそごそしてたやん。ってか、普段からCのスカートずらしたし嫌がらせしてる辺りから状況は察しやすいと思うけどな。」と言った。すると彼女は顔を真っ赤にしながら「だまれよ。関係ないやん。」と言いながら教室を出ていった。この時はこれで終わったかに思えた。










翌日から私の私物が無くなる事が増え、友人の多くが私をいない者を扱いするようになった。お察しの通りいじめの標的が私に変わったのだ。











暫くすると私は体調を崩しやすくなった。登校時間が近付くと腹痛が酷くなりトイレに籠る日々。しかし母はいつも「仮病なのは分かってる。絶対に学校に行け。」「学校には娘が仮病だと電話しておく。」「お前が出てくるまで私はここを動かない。」と捲し立て続けた。トイレから泣きながら出ても「私は送っていかない。1人で勝手に行け。」と突き放した。私は田舎に住んでおり当時自宅から中学校までは子供の足で徒歩50分程かかり、それでも一限目には頑張って間に合わせるように走って登校する日々だった。教室についても物がなくなり誰も彼もが無視するのでストレスで腹痛が発生し、保健室で湯たんぽを借りて腹痛を我慢しながら授業を受ける日々。



体調を崩し38℃を超える熱が出て早退を先生に勧められた時はとても嬉しかった。この頃はまだ保護者の迎えが必須となるので学校からの連絡で母が学校に迎えに来てくれた。しかし二人きりになった途端に「何で帰ってくんねん。」「意地でも耐えろや。」「病院なんて行かんからな。しんどいなら自分だけで行ってこい。」と言われ学校にも家にも居場所がなかく地獄の日々が続いた。生活に耐えかねた私はリストカットに逃げることしか出来なかった。痛みを感じることで自分はこの世界に生きてるんだと実感し、繋ぎ止める日々。



そんなある日、ふと心の中で何かが弾けたのか、気付いたら昼前に学校を抜け出していた。その足で公園に向かいブランコに乗ってぼーっとサンドイッチを食べていた。どれ位時間が経ったのだろうか…暫くすると自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。そちらに顔を向けると、当時の担任と英語担当の先生がこちらに向かって走って来ていた。英語の先生に「バカ野郎!何してんねん!?心配したんやぞ!」と両肩を握られた。担任も「何があったんや?途中から誰も姿見てないって言うから校内探し回っておらんくて、親御さんにも電話したのに知らんって言われて胆冷えたぞ。」と言われた。




先生達が私を心配してくれたのは分かったが、驚く程に何も感じなかった。「ふーん。」と言った感じ。その後車で家に送り届けてもらうと仕事でいないはずの母が家にいた。母は私を見るなり「心配したんやで」と泣いてくれた。この時「この人は私の心配をしてくれるんだ。」と驚いた事を覚えている。





事情を話し暫く学校を休むことになった。最初のうちは母も心配してくれていたが1週間過ぎると再び「そろそろ行けよ。」と家から出そうとするようになった。








結果的に2週間ほどで学校に復帰した。その頃になると周囲は手の平を返したように話しかけてきた。それを見て私は「気持ち悪い」としか思わなかった。









暫くして生徒指導の先生に「(主犯の子との)話し合いの場を設けないか?」と持ち掛けられた。私は前に進むしかないと、話し合いを了承した。











結果、私が主犯側に謝罪させられる結果となった。












話し合いの場は、部屋に長机が2つ対面で置いており私は窓側の長机に1人。生徒指導の先生と主犯が扉側の机に並んで座り、何故か扉付近に担任の先生が立っていた。端から見ると3対1で私がこれから尋問されるかのような座り方だった。






話し合いの場と言うのも名ばかりで、主犯の話を聞く割に私の主張については気にしすぎと言った指摘が入った。しかも今回のいじめの切っ掛けはCに対するいじめであった筈なのに、主犯は「(投稿主に)私の大切な秘密を漏らされた。そっちが先に嫌がらせをしてきた。」ととんちんかんな話を聞かされた。凄く子供騙しな話だと思ったが教育指導の先生はこれを信じたようで「それはお前(投稿主)が悪い。謝っとけ。」と。




私と主犯は秘密を共有する仲ではない。何故それが分からないのか。それでも3対1と言う状況や色々な出来事に疲弊していた私はその場で主犯に謝罪をしてしまった。







この辺りから私は人間ってろくな生き物じゃないなと思い始めた。









後から聞いた話だが、母の方も色々戦ってくれたみたいで主犯保護者からの謝罪を求めた。しかし学校側がいじめの事実を認めず、担任の先生だけは正直にいじめの事実を認め教頭にも事実関係を認めるよう訴えてくれた。それでも教頭は「証拠が無いだろ」と言いきったので母はその場でボイスレコーダーを出し「これを教育委員会に持っていきます。」と伝えた。その瞬間教頭は手の平返しをし主犯保護者に謝罪するように学校に呼び出してくれた。しかし当日になっても保護者は現れず。結局泣き寝入りとなったのだ。








現在、主犯の子は上京し芸能人を目指している。マイナーだがドラマにも出たらしい。私はline以外のsnsを一切してないのでだが、幼馴染みが余計な情報をたまに教えてくてる。何故人を虐めるような人が人を笑顔に出来ると思うのか疑問だ。でも彼女は彼女で自分の人生を歩んでいるので私には一切関係ない。勝手にそのまま何処かで生きてろと言う感じである。







こんな感じで私は人生において二回いじめに関わったことがある。そのおかげで人は簡単に裏切るし、信用できる生き物ではないと学んだ。上手く立ち回るには皆の好きそうな人物を演じるのが一番であり、安全である。その為に私は常に笑顔や相手の話しに対しリアクションや相づちを欠かさずにして好印象を植え付けるようにした。おかげで同級生や先生、会社では上司、先輩方に可愛がられるようになった。





これだけ聞くと「良い環境じゃないか!」「そんな環境にいながら●にたいなんて贅沢だ!」と思う方もいると思う。しかし、そもそも生きたいと根本的に思っていないので、ふとした時に●にたくなるのだ。他者と話していても「自分は今●にたいと思っているのに何をこんなに話して時間稼ぎしているんだ。」馬鹿らしく感じてしまうのだ。






と、まぁこんな感じの体験があったことで私は性格と価値観がねじ曲がった状態で大人になってしまった事も今回●●に踏み切ることにした背景の一つにあると考えている。





今回は長々と自分語りをしてしまった。けど初めて人に?自分の心の中以外に吐き出したのでスッキリした。






今回の日記を書いて少し皆さんに言っておきたいことを思い出した。いきなりだがこう見えて私は高校生の頃より周囲から「悩みなさそう。」「一緒にいると元気になる!」「一家に一台欲しいマスコット」と言われる様なキャラである。自慢みたいになってしまったが、つまり何が言いたいのかと言うと「見えない傷や闇は誰にでもあるもの。それがどんなに明るい人であってもだ。」と言う事。いつも笑っていたり、優しい人はそれだけ傷付いた経験をしており、だからこそ相手を悲しませない方法を熟知しているのだ。





私は二年後に●●してしまうので放置してもらって大丈夫だが、これを読んでる誰かは周囲にそう言った方がいたらどうか貴方自身も優しく接してあげて欲しい。最初は遠慮をすごくされると思うが恐らく大半が甘え方、頼り方を知らないだけなのでめげずに根気よく優しくしてあげて下さい。それだけで誰かは1人は救われるかもしれないので。




次は気が向けは両親の不仲と母親との関係について書こうと思う。


残り723…