UNQUALIFIED -7ページ目

4 NO REASON

 とあるネットの掲示板に「なぜ勉強しなければならないの?」とあったので僕なりに軽くコメントしてみたのだが、いい機会だからもう少し余談を追加しておこう。

 僕は「勉強したくなかったら勉強せんかったらええやん」と思うし、それでも勉強しないオプションを選択できない生徒には「自分のことを自分で決めるためにも勉強しといたら?」とだけ答えるようにしている。

「なぜ勉強しなければならないのか」という問いについて的確に答えるのは難しい。まず「勉強」の定義からして面倒だし、よしんば定義できたとしても「どこの誰」にとっての「勉強」なのかで答えは天文学的な可能性を帯びてしまう。そして結局は「何でもない」ところに落ち着く。といういつものパターンを繰り返すのも悪くないが、何か重要なポイントを見失う結果にもなりかねないという思いの方が強くて、僕はこれまであまりまともに答えたことはないし、これからもきっとない。

 そもそも「なぜ勉強しなければならないのか」は「なぜ勉強するといいことがあるのか」に繋がっているような気がして好きじゃない。

 先週末にパブで酔っ払いのオーストラリア人に絡まれたのだが、その男が僕のガールフレンドを指して「彼女はお前のワイフなのか」とウルサイので思わず"Is she cute?"と返したら去っていった。これは映画「スパイゲーム」でのロバート・レッドフォードのセリフがとっさに出たものだが、映画の丸暗記学習がこういうカタチである種のコミュニケーションを成立させたのがすごく嬉しかったし、英検の発話力を鍛えるモチベーションが異様に高まったのは事実だ。

 だが、僕は「こんないいことがある」からといって英語を「勉強」してきたわけじゃない。好きな映画を原語で理解したかっただけだし、好きな俳優の口真似が楽しかっただけだ。第一、何かを期待して(目論んで)した行動が上手くいったためしがない。それよりも「やっていること自体が喜び」であれば、その成果は「ひとりでに」現れるだろうしそれを「勉強」だとは思えないだろう。

 だいたい「おいしい状況を手に入れるために勉強している人間」を生徒たちは本当にリスペクトするのだろうか。

 僕は「勉強しなさいvsしたくない」バトルがご家庭や学校で繰り広げられるのは一向に構わないのだが、学習塾の講師ともなれば「勉強」を「やっていること自体が喜び」だと生徒たちに伝えてしかるべきだと思う。そしてその「勉強」がいつしか「勉強でなくなる」瞬間を体験してもらうのが僕らの仕事じゃないかとさえ思う。

 はっきり言ってしまえば「勉強」するのにいちいち「理由」なんて要らないんだ。
 何かの役に立つとかいい大学に入るためとかいう発想自体が「セコイ」んだよ。

 学習塾で働いているとありとあらゆるセコイ話が聞こえてくる。やれ推薦狙いだの私立のエスカレーターだのと大人がくだらないノイズを撒き散らしているのは、僕も関係者として生徒たちに申し訳ないと思う。だがらこそ僕は「勉強は楽しむものだ」というメッセージを授業を通して生徒たちにちゃんと伝え続けるし、それは相手が塾長だろうと保護者だろうと絶対に曲げないし、それができなくなったときは僕が廃業するときだと思っている。

 勉強をしなければならない理由を探し始めると、勉強する喜びそのものを見失うかも知れない。

 理由なく勉強してる。
 それでいいんだ。

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