雲辺寺の日常 | 雲辺寺のブログ

皆様いががお過ごしでしょうか。

どうも雲辺寺でございます。


本日は

雲辺寺の日常についてお送りいたします。


一昨日は正御影供でありましたが、

山内のことは住職に御願いをし、

奈良へ泊まりで出張しておりました。


思いの外、

早く到着したため

小学生以来の東大寺さまへの参拝をいたしました。


普通は堂内の撮影が禁止でありますが、

東大寺さまはほぼ自由です。

その懐の深さに感激をし

お寺の対応として少し考えさせられました。

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ちなみに…

穴のくぐり抜けは挑戦しておりません。

スキンヘッドの人が

挟まって抜けない姿を

海外の人に見せるわけにはいきませんでした。


さて、

少々世間を騒がしている

裁判の件でありますが、

霊場会側の敗訴です。


皆様に分かっていただきたいことは

ある札所の行いが正しいとされたのではなく、

ただ単に

霊場会側の裁判への準備不足が原因で敗訴いたしました。


裁判結果だけをご覧になられる方には

誤解を与えてしまい、

また

日頃お世話になっております皆様方には

いらぬご心配とご迷惑をおかけした

そして

四国霊場のイメージを少なからず低下させた

ただそれだけが…

それだけではないですが、

この裁判で残ったことです。


雲辺寺として

このように発言することで、

札所として

またお寺としても

風当たりは強くなることでしょう。


そう

前置きをしてお話しいたします。


ある札所が

四国88ヶ所霊場会を脱退しても

その寺院が札所であることは

これからも変わりません。


現在はふさわしい姿ではなくても

長年の歴史は

変わることはありませんし、

そして変えることもできません。


トラブルがあるからといって

私たちの代で簡単に判断してはいけないことであると考えております。


仮に

この件で霊場が衰退するならば

定めであったということで

仏様の御意思であり、

お大師さまの御意思として

真摯に受け止めるべきであろうと思っております。


今回の件で色々と学ぶことが多かったと思います。

そもそも

札所であることに頼りすぎているわけで、

札所であるということに頼っている状態から脱却して、

一寺院として、

地域のお寺として

自立することを考えるチャンスであると、

雲辺寺は捉えております。


そうすることで、

お遍路さんがお参りくださっている有り難みや

札所であるということで

色々な方から一目置かれているのだということを

気づくことができるのではないかと思っております。


そして

札所であること以外の

魅力を引き出すことができれば、

札所であることで

心無い人から言われる様々なことも

回避できるのではないかと考えております。


ピンチはチャンスではなく

ピンチをチャンスに変えていかなければ

今回の騒動が

本当に意味の無いものになってしまいます。

 


もちろん

皆様のお参りが少しでも

不便なく行える良い方法を

今まで通り

並行して考えて行きたいと思っております。


皆様

大変なご迷惑とご心配をおかけしてしまい、

本当に申し訳なく思っております。


これからも

変わらぬ御信援をお願い申し上げます。


本日はこの辺りで

失礼いたします。



合掌