今回は、諏訪祭政体における核心の1つ、《精霊ミシャグジ》に関わる神社です。
上諏訪駅をバスで出発。上社本宮を参拝後、徒歩で当地に向かいました。
本宮からの道のりは、若宮八幡神社、北斗神社、道祖神、権祝邸跡、石清水、藤森のマキ(祝神)、境石、杖突峠入口道標、など途中の見どころが盛りだくさんでした。
御頭御社宮司総社
おんとう/みしゃぐじ/そうしゃ
当社は、上社本宮から800m、上社前宮から650mの位置にある、守矢家の敷地内に鎮座します。
その神域は、赤石山脈に連なる守屋山を控えた扇状地の斜面に展開します。
◇鎮座地:長野県茅野市宮川389-1
◇最寄駅:JR中央本線茅野駅~2.5km
◇バス便:上社バス停~850m
→アルピコ交通かりんちゃんライナー
◇御祭神:精霊ミシャグジ
◇御朱印:不明
当社への道中
=信心深い諏訪
◆道祖神
本宮東参道を出発した道が16号線と合流する地点に道祖神がありました。
道祖神は信州イメージが強い神像です。
◆名もない石祠
石清水の脇に鎮座。小さな石祠ですが、丁寧に祀られていました。さすが諏訪です。
◆小さな祠
当社に向かって歩いていた際、右手斜面に鳥居が見えたので、登って撮影しました。
後日、諏訪市役所に社名を問い合わせました。その翌日、文化財係の職員が現地に赴き調べた上で、電話回答してくれました。
諏訪特有の「マキ」と呼ばれるもので、これは「藤森氏のマキ」というものなんだそうです。
※マキ…同姓の人達で作られた集団を「マキ」と呼び、マキで作られた神社を「祝い神(いわいじん)」と言う。
そういえば、千鹿頭神社の近くに小泉神社という見慣れない神社があったのを思い出しました。これなども「小泉一族のマキ」だったのかもしれません。
御頭御社宮司総社
◆参道
入口は国道20号に面しており、この細道を抜ければ、当社&守矢史料館です。
松の右手は生け垣内に藤森神社と揮毫された神額を掲げる鳥居と祠がありました。これ、藤森氏のマキかも。
◆表札
ブロック塀に「神長官 守矢」と書かれた表札。奥に木製の門が見えます。
◆祈祷殿
門をくぐると、すぐ左手に祈祷殿があります。ここは、かつて『神使(おこう)精進屋』があった場所です。
※守矢家敷地内の精進屋には、おこうさまに選ばれた少年たちが籠りました。こちらで精進潔斎した後、前宮の神事に参加しました。
祈祷殿では、明治に至るまで、神長の神事秘法が一子相伝により伝承されました。
その内容は、ミシャグチ神の祭祀法、冬の御室(竪穴式住居)内での神事用秘法、御頭祭での御符札の秘法、大祝即位式に用いる秘法、などです。
要するに
ミシャグジは、守矢氏しか扱えなかったのでした。
◆守矢邸=神長屋敷
屋敷には「勅使の間」などもあったようです。
◆守矢史料館
長い庇を突き抜ける4本の樹木。ユニークなデザインの資料館です。
展示物などについては、後半で詳述します。
◆御頭御社宮司社を遠望
左右の生け垣を画面に入れ込んで撮影しました。
なぜなら、向かって右の生け垣は絶対にスルーできないからです。
隠すように祀られた社殿
生け垣の中央部が幅50~60cmほどの幅に刈り込まれていて、最奥部に木製社殿がひっそりと鎮座しています。
さて、どんな神様を祀っているのでしょう。これについて書かれた文章を以下に2つ挙げます。
◇久那土神説
~八ヶ岳原人さんのブログ
「守矢家の氏神とも屋敷神とも言われる岐社と千歳社が坐しています。」
→前者はクナト神を祀り、後者は祖霊社らしいです。
千歳社は石祠なので、この社殿は岐社になります。千歳社は発見できませんでした。
◇洩矢神説
~戸矢学『諏訪の神』河出書房新社
→戸矢氏は、岐神を祀ってないとしています。
これは屋敷神であり、祭神は洩矢神であろう。とのことです。
三諸は、邸内社として岐神を祀っているような気がします。
岐神(久那土神)
久那土(くなど)は「来な処」。すなわち「来てはならない所」の意。悪霊邪気の侵入を防ぐ神です。
『延喜式』道饗祭(ちあえのまつり)の祝詞の中で、禍を塞ぐ神として登場します。
※道饗祭=都の四隅道上で、八衢比古神、八衢比売神、久那斗神の3柱を祀り、都や宮城の中に災いをもたらす鬼魅や妖怪が入らぬよう防ぎ、守護を祈願する神事。
次はいよいよ「本丸」。
ミシャグジを祀る御頭御社宮司総社です。
参拝を楽しみにしていました。
◆御頭御社宮司総社の「御頭」とは
諏訪神社の神事に奉仕する当番のことを「御頭(おとう)」といいます。「おとうばん」に由来する言葉かもしれません。
御社宮司社の冠的に付く「御頭」は「おんとう」と読みます。これが上記の御頭と同じものだとしたら、社号として馴染まない気がします。ここは、たんに御社宮司総社で良いような気がするのですが…。
当社には、手水舎、鳥居、狛犬がありません。
ミシャグジ
神道の神とは明らかに異なる、大地の精霊とでも言うべき「神」です。
ミシャグジは、立派な姿をした「タタエ(=湛)の樹木を通し人間の世界に出入りします。また、上社神事の中でも出現します。例えば、御室神事。暗い竪穴の中で神長・守矢氏によって降ろされ、大祝の体に着けられます。あるいは、大立増神事。諏訪の大地を巡行するおこうさまに、守矢氏がミシャグジを着けます。おこうさまは、どこを巡るかというと、大地に育った秀逸な樹木=湛のある場所で礼拝を行っていきます。
各地のミシャグジ社は、大樹の根元に祠が祀られ、御神体として石棒が納められているのがその典型です。
覆い屋の裏側に、鹿の骨が置かれていることを後になって知りました。
タタエ(=湛)
◆峯の湛え
御頭御社宮司社のすぐ近くです。樹種はイヌザクラ。
大樹の根元には石祠。まさに、ミシャグジ祭祀の典型。
神使(おこう)さまは、湛えの樹木がある地を巡ります。
御頭御社宮司社
【境内社】
◆御社宮司社総社の右サイド
右:稲荷社
左:天神社
天神社は菅原神でなく、天津神を祀る社ではないかと想像します。
◆御社宮司社総社の左サイド
右:霊石
左:神明社
◆古墳
敷地最上段の東南部に小高い丘があります。守矢家では、そこを「塚」と呼び、石室がある円墳です。用明天皇の御世に造営された守矢家祖先の墳墓とのことです。
背後の大木は、杉です。
◆せぎ
当社の敷地は1,452坪で、斜面が4段に分けられています。周囲には溝水をめぐらせていました。今でもその一部が「せぎ」と呼ばれて残っています。
【守矢史料館】
4本の樹木は、中央の2本に「薙鎌(なぎかま)」が打ち付けられています。
◆参考資料
左:館内で購入した「しおり」
右:入館時に受け取るパンフレット
館内展示物は写真撮影が可能でしたので、何枚か撮影しました。
以下の写真につけた文章は、パンフと「しおり」がベースになっています。
【展示物】
◆薙鎌(なぎかま)
風害を除く、鉄製呪物です。実りの秋の大敵である大風を鎌で切って弱めようとする考え方に基づいています。
また、陰陽五行の原理である「金克木」からの説明では、風は「木気」であり、風を制するには「金気」が良く、木に鎌を打ち込むとする考え方になります。
※写真は、パンフレットを撮影。
【神前供物の復元】
館内では「御頭祭」において、神に捧げられた供物を復元展示しています。
御頭祭
春先、大祝の代理人である神使(おこうさま)と呼ばれる少年たちは、神長=守矢氏の秘儀によりミシャグジ霊をたっぷりと身に着け、大地を祝福する巡行に出ます。
神使が巡行する直前、上社前宮において饗宴が催されました。十間廊に鹿の頭75個をお供え。さらには、イノシシやウサギをはじめ、鳥、魚、などを高盛にしたお膳が供されました。この饗宴は、鹿頭の供物にちなんで「御頭祭」と呼ばれました。
饗宴の座には大祝をはじめ高位の神官たちが居並び、これらを食しつつ、神使の出立を祝いました。
◆ウサギの串刺し
松で作った棒で白兎を串刺して、神に捧げます。
◆鹿と猪の頭
このほか白鷺、山鳥、フナ、ブリ、エビなどが神に捧げられました。
中世では、頭だけでなく体全部が献ぜられたこともありました。
◆耳裂け鹿
神前に供する鹿75頭の中に必ず耳の裂けた個体があり、これは神の矛にかかった1頭を示す目印と言われています。
◆焼き皮
右:イノシシの頭皮焼き
左:シカの皮焼き
ほかにも、鹿やウサギの生肉、茹でた鹿肉と脳を味噌で和えたものなどが神前に供されました。そののち、神職や氏子たちの食膳に並びました。筆者には食欲がわかないものだらけです。
◆サナギ鈴を入れた袋
「おこうさま」は地域巡行の際、サナギ鈴を首にかけたり、御贄柱に取り付けて持ち運びました。こちらは、その容器です。
◆サナギ鈴
この鉄鐸は、薄い鉄板をメガホン形に成形したものです。
御頭祭は縄文的か
御頭祭は「狩猟によって生きていた縄文文化の名残である」とする見方があります。
しかし、宗教学者=中沢新一は自身の著書でこれを否定します。
『アースダイバー 神社編』中沢新一
ここでは、縄文社会と弥生社会の見分け方を提唱しています。
◇縄文社会
狩猟や採集中心。
縄文人は、動物や植物に姿を変えた自然エネルギーを受け取っています。
→これは、自然界から人間界へとエネルギーの移動が起こるだけで、エネルギー総量の増減は起きません。
彼らは、狩りで動物が獲れたのは自然の霊力の主(=モノヌシ)からの贈り物と考えました。
だから、それに応えて、獲物の体を飾り立て、その霊をモノヌシのもとへ送り返す「霊送り」の儀式をしました。
◇弥生社会
水田稲作中心。
自然に対して投入された量よりも、ずっと量の多い収穫がもたらされます。
→人間の開拓した領域にだけ増殖が起こり、自然循環からもたらされるものを超えた「利潤」が出ます。
弥生人は、狩猟の獲物に対して、動物の霊を元の循環に送り戻すための儀礼は行いません。
循環を超越した「神」に向かって生贄や供物など「捧げ物」をする宗教になります。
以上をふまえたとき
御頭祭は、饗宴の構成に「動物霊の送り」の要素は含まれず、エネルギーの循環を促そうとする思想も含まれておりません。
この饗宴では、動物の獲物は自然界から得られた利潤と考えられ、それを盛大に消費することに重きが置かれています。
よって、御頭祭を「縄文的」と考えることはできないことになります。御頭祭は、農耕時代に発達した、疑似縄文的な狩猟祭であることが分かります。
【御朱印】
不明
【参拝ルート】
2024年 5月10日
START=上諏訪駅 諏訪湖口7:47→アルピコ交通かりんちゃんライナー→8:15上社バス停~70m~四之鳥居~190m~東手水舎 二之鳥居~①諏訪大社 上社本宮~800m~②御頭御社宮司総社&神長官守矢史料館 ~850m~③峯の湛~750m~④荒玉社~100m~⑤諏訪大社上社前宮→TAXI→茅野駅(昼食)~茅野駅西口バス停13:30→アルピコ交通バス岡谷駅行き→13:33葛井神社入口バス停~170m~⑥葛井神社~葛井神社入口バス停14:33→アルピコ交通岡谷駅行→14:44角間橋バス停~250m~⑦八劔神社~角間橋バス停15:34→アルピコ交通 岡谷駅行→15:40上諏訪駅・霧ヶ峰口=GOAL
【編集後記】
◆非神道的
本文において、御頭祭は縄文的か弥生的か、ということに触れました。ほかに、もう1つ視点があります。それは神道的か否かという観点に基づくものです。
神道は穢れを徹底的に嫌います。血穢は、死穢に次ぐ最強の穢れの1つです。御頭祭は、かつて血がしたたる鹿の頭を捧げました。今は、剥製を用いています。剥製なら穢れてないのでしょうか。答えは否です。剥製は製作過程で血穢にまみれます。汚れでしたら、洗浄すれば綺麗になります。しかし、穢れは何度洗浄しても落ちません。つまり、剥製は祓わなければ「ホンモノ」と本質的に同じと言えます。神社当局は、このことを分かり切っているはずです。したがって、剥製を用いるのは動物愛護団体による批判を回避するための方便の意味があるのかもしれません。(了)