三諸の諏訪巡拝記事、今回は「下社春宮」です。記事としては第5回ですが、実際の参拝は下社からスタートしました。

 グーグル・マップを用いて、机上で事前参拝したところ「春宮→→→秋宮」が合理的順路、と結論しました。

 

《神楽殿が重要な役割!?》

 

信濃国一之宮

 諏訪大社 

 下社春宮 

『延喜式』(927年)に記された社号

南方刀美神社二座

(みなかたとみの かみのやしろ)

◎二座とは

 ①上社のみ。前宮1座&本宮1座説

 ②上社と下社。各1社1座説

があり、筆者は②を支持しています。

◇鎮座地:長野県諏訪郡下諏訪町193

◇最寄駅:JR中央本線 下諏訪駅~1.2km

◇御祭神:建御名方神・八坂刀賣命

◇配祀神:八重事代主神(建御名方神の御兄神)

◇御朱印:あり

 

 

【弥生時代の諏訪】

 さて、伊那から北上したイズモ系弥生人が諏訪湖南岸に進出し、建御名方神を祀ったことを過去記事に書きました。

 弥生人の諏訪進入は、もう1系統あります。イズモ系より少し早く、アヅミ系弥生人が諏訪に入っていました。

 

 アヅミ系弥生人の先祖は、宗像と並ぶ海人「安曇」です。北九州から日本海沿岸を進み、高志国(こし)から姫川を遡上。彼らは、のちに安曇野と呼ばれる地を開拓した後、諏訪に進入。諏訪湖北岸に留まりました。

 アヅミは、諏訪湖に突き出た舌状地に、彼らが奉斎する女神=ヤサカトメを祀る聖所を設営しました。

 2つの舌状地の一方には、のちの「秋宮」となる場所に祭祀場を。もう一方には、のちの「春宮」の原型を置きました。

by『アースダイバー 神社編』中沢新一

 

 

【表参道】

◆春宮大門(一之鳥居)

 下諏訪駅から春宮大門まで600m。

 駅前通りの突当りを左折して中山道に入り、道なりに進みます。

 

◆鳥居の柱

 縄を編んで神紋を作り、柱に取り付けていました。

 諏訪大社の神紋は「梶」です。

 下社=根が5本の「明神梶」

 上社=根が4本の「諏訪梶」

 

◆素朴な石碑

 参道の路傍にこうした建造物があるのも信仰深い地、諏訪の特徴と言えるでしょう。

 

金刺氏

 下社の大祝は金刺氏が世襲しました。下社は、ヤマトと結ぶことで勢力を拡大しました。平安時代半ば、金刺貞長なる人物が現れ、朝廷内で活躍。842年、神階が無位だった諏訪神社がいきなり従五位下にジャンプ・アップしたのも貞長とヤマト政権による皇室への働きかけの結果でした。

 やがて、ヤマトは下社と共謀して上社支配を目指します。

 なぜなら、ヤマトは香取・鹿島を前線基地として蝦夷と戦う中で、まつろわない諏訪(上社)を中心とした反ヤマト勢力に背後を突かれることを恐れたからでした。

 

 現在、下社に関する文献や記録はほとんど残っておりません。

 その原因は、中世における上社と下社の抗争があります。1518年、上社勢力が下社大祝を討ち取り、さらし首にする事件が起きました。文献類はその際、消失・焼失してしまいました。

 この事件は、下社の圧力に対する上社の抵抗と見られています。

 

◎金刺氏はアヅミ系弥生人の直系、と中沢新一は推察しています。金刺とは金属の道具で肌を刺すとの意。すなわち、肌に刺青(=入れ墨)していた一族=安曇ということ。

 

 

◆下馬橋

  春宮へのお参りは、それが殿様であっても、この橋を境に駕籠や馬から下りなければなりませんでした。結果、下馬橋と呼ばれるようになりました。

 

◆手水舎

 

◎春宮 鳥居の向こう側は…

 二之鳥居ー神楽殿ー幣拝殿が同一線上に並びます。

 結果、神楽殿がブラインドとなり鳥居の外から幣拝殿やご神木が見えません。

これには、意味があることに気づいたので後述します。

※境内図は下諏訪町地域開発公社 観光振興局「おいでなして しもすわ」より

 

◆二之鳥居

 なんと!スロープの半分を「正中」(=神様専用道)に当てています。

 神社当局は、正中を凸凹に造って歩きにくくしています。

 この策がハマって、正中を知らない外人たちが端を歩いています。

 

 手水舎で「禊」したら

 次は「祓」もできます。

 祓戸大神を祀る浮島社に向かいましょう。

 

◆浮島社への入口

 スロープを上がって、狛犬の先を左に曲がると、目印となる常夜灯が見えます。この砂利道を下って、突き当りを左折すると朱塗りの鉄橋があります。

 

 諏訪では、こんなに小さな祠であっても御柱が建てられます。

「大樹+磐上の祠」ですが、石祠ではないようでした。

この橋を渡ります。

 

浮島社

 当社は砥川の中之島に鎮座しているため、神域の両サイドが流水です。

 そのうえ、御祭神が「祓戸大神」とくれば、清々しくないわけがありません。

 御祭神

 祓戸大神

 祓所大神とは、神道において祓を司どる神のこと。

 祓戸とは祓を行う場所のこと。

 

『延喜式』の「六月晦(みなづきつごもり)大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売を祓戸四神と呼びます。=祓戸大神です。

 毎年六月晦日、例祭と併せて夏越しの大祓式が行われます。

 静寂に包まれた緑と水の神域に、清浄な空気を感じました。

 

◆砥川

向こう岸に渡ると「万治の石仏」ですが、筆者は行きません。

来た道を引き返します。

参道に戻ってきました。

 

 

神楽殿

 神楽殿がブラインドとなって外から幣拝殿が見えない、と既述しました。

 それだけではないのかも!?

 と、あることがヒラメキました。

 この神楽殿は もしかして

「蕃塀」としての役割 を与えられているのかもしれません。

 蕃塀とは、邪気や悪霊の侵入を阻止する装置です。

 祭神守護のため、この場所に神楽殿を建てたのかも。

 

 古来、邪気・悪霊は直進のみで、迂回ができないと考えられていました。

 蕃塀は、この定義に基づいて考案された「バリヤー」です。

 

◆神楽殿を迂回する人間向け参道

 さらに…

 祭神守護の「逆パターン」もあるかも!? 

 すなわち

 祭神が境外に出られないよう、神楽殿を建てた。

 =諏訪から出ないよう封印した。

御神霊もまた直進しかできず、迂回の動きができない、という前提で考えました。 

 

◇なぜ封印しなければならないのか

 大国主神と息子たちは、ヤマトにとって怨霊神だからです。

 →下社は、ヤマトとの結びつきが強いので、こういうことになります。

 

 古事記にある「諏訪を出ない」は口約束にすぎません。

 ヤマトは大国主命を出雲大社に押し込み、有力な息子たちを諏訪大社(下社)に閉じ込めた。

 と、想像してみました。

出雲大社について。内陣において、大国主命は天津神5柱に包囲監視されています。しかも、横(西)を向かされています。これは、参拝者を大国主命と正対させない仕掛けです。

 

◆簡素で美しい神楽殿

 

 

◆幣拝殿

 幣殿と拝殿を合わせた社殿で、江戸時代に建てられました。

 二重楼門づくりの部分が「幣拝殿」、その左右が「片拝殿」です。

◎ここで言う幣殿とは、参拝者が神前に幣帛(へいはく)を捧げる社殿のこと。

御祭神

 建御名方神

 八坂刀賣命(主祭神の妻神)

 八重事代主神(主祭神の兄神)

 

◆ご祭神は半年ごとに遷座

 ◇春宮鎮座期間:2月から7月末

 ◇秋宮鎮座期間:8月から1月末

筆者の参拝は5月。よって、下社御祭神の御神霊は当社にいらっしゃいます。

 

 

◆巨大賽銭箱

 賽銭箱の中央部に板を並べ、蓋をした格好です。こうすることで、参拝者が正中に立った場合、賽銭を斜めに放らねばならなくなります。よって、参拝者は板の両側に流れる=正中を護れる。と、考えたのかもしれません。

 

◆片拝殿と御柱

片拝殿の奥行はこんな感じ。

 

宝殿

 本殿を持たない諏訪大社において、それに相当するのが宝殿。御祭神は、宝殿に鎮座します。

 宝殿は東殿と西殿があって、御柱祭の際に1棟だけ建て替えます。つまり、7年に1回の建て替えです。

 

◆東宝殿

 2棟あって、7年ごとの建て替えということは、1棟=14年のサイクル。したがって、常に新築同様です。

 

遷座祭

 下社の御祭神は、春宮と秋宮に半年づつ滞在します。

 したがって、遷座祭が毎年2回(=2月1日&8月1日)斎行されます。

 これは、

春宮&秋宮の2社をもって1社とする

ということなんだろうと思います。

 

 以下の写真はネットから拝借した遷座祭(2月)の1コマ。秋宮宝殿から春宮宝殿に向かう御神霊の行列です。

 8月の「春宮→秋宮」は盛大に斎行。

 2月の「秋宮→春宮」は地味です。

 御神霊の春宮到着後に儀式があります。

「掲柳の幣」を神官一同で手渡しリレーし、最後に宮司が奉納します。

※掲柳=ねこ柳を諏訪では掲柳と呼びます。ねこ柳は、春を告げる植物です。

 

◆西宝殿

 

筒粥殿 つつかゆでん

 諏訪大社4社の中で、筒粥殿が残っているのは、当社だけ。よって、筒粥神事が斎行されるのも当社だけです。

◇筒粥神事

 筒粥殿で大祓詞を唱えながら釜を囲む神職

 1月14日夜半、米と小豆と44本の葦筒を釜に入れて一晩中粥を炊きます。

 翌15日未明に筒を割ります。43本の粥の状態で農作物43種の豊凶を占い、残り1本で世情を占います。

※神事の写真は中日新聞web版から拝借

 

 

◆二之御柱

 

 

【境内社】

 境内社は3社。

 建御名方ファミリーを祀ります。

 ①右=上諏訪社

 御祭神:建御名方神(上社祭神)

 

 ②左=若宮社

 御祭神:御子神13柱

 →建御名方神には、19もしくは21柱の御子神がいます。この中で、とくに当地の開拓に関わった13柱を祀ります。

 

③子安社

御祭神

高志沼河姫命(御母神)

こしのぬなかわひめのみこと

 

 

【神社への確認物件】

以下の2点は、境内図に記載なしでした。→授与所でお尋ねしました。

 

①不明建屋

 二之鳥居と神楽殿の中間点あたりから左奥を眺めると見えます。

 神饌殿とのことでした。

 

②謎の石玉垣

 神楽殿に向かって右側の斜面です。

 →古井戸跡とのことでした。

 井戸は怖い場所で、ないがしろな扱いができません。

 都内「金杉 三島神社」の宮司さんから聞いたエピソードを1つ。依頼されて井戸仕舞いに出向き、祝詞を挙げていたとき、強烈な引力に襲われ井戸に引き込まれそうになったことがある、と、その恐怖を語ってくれました。

 

 

◆結びの杉

 この杉の木は先で二又に分かれていますが、根元で一つになっていることから「縁結びの杉」といわれています。by案内板

 

◆社叢

 

◆斎館

 斎館は授与所裏手の高台にあります。

 ここから下りる時、このような目線となります。笠木や貫が間近に迫り、鳥居が新鮮に映ります。

 

このあと、弥栄富神社などを経て、秋宮に向かいました

ヤサカトミ=ヤサカトメ=八坂刀賣命

 

 

【御朱印】

初穂料500円

 

 

【参拝ルート】

2024年 5月 9日

START新宿駅8:00→特急あずさ→10:12上諏訪駅10:19→各駅停車→10:26 下諏訪駅~600m~下社春宮 一之鳥居~600m~下馬橋~120m~春宮二之鳥居~170m~①浮島社(祓所大神)~②下社春宮 ~240m~③弥栄富神社&矢除け石(=磐座)~350m~④御作田社~600m~⑤千尋社&千尋池~30m~⑥諏訪大社 下社秋宮~800m~下諏訪駅12:22→中央本線→12:26岡谷駅→1.1km(TAXI)→⑦洩矢神社~900m~⑧藤島神社~1.1km~岡谷駅北口(昼食)~同駅南口バス停14:27→市営スワンバス内回り→14:22石舟渡前バス停~260m~⑨赤石社~600m~⑩千鹿頭神社~850m~石舟渡前バス停 16:29→スワンバス内回り→16:47老人福祉センター入口~30m~ホテル・ルートイン上諏訪GOAL

 

 

【編集後記】

◆おっ、四神相応か?

春宮は南向きの神社です。

(厳密には南南西向き)

神域付近に山や川が確認できます。

 

となれば、四神相応の理想地かも!?

と、地理を確認してみました。

 

 ◇北に山=玄武が守護

 →御射山

 ◇南に池=朱雀が守護 

 →諏訪湖

 

と、ここまでは陰陽五行・風水的に見て合致。

しかし、残念ながら東西が逆でした。

 

 ◇東に川=青龍が守護

 →川でなく、道(中山道)でした。

 ◇西に道=白虎が守護

 →道でなく、川(砥川)でした。

 

ご覧いただき、ありがとうございました。 三諸