2024年 4月26日、標記神社にお参りしてきました。5年半ぶり、2回目です。
当社は境内社に鹿島神宮(武甕槌大神)と香取神宮(経津主大神)を新たに勧請。筆者が参拝した4日前に『鎮座祭』を斎行していました。
伊勢山皇大神宮
いせやま こうたいじんぐう
当社は「関東のお伊勢さま」と親しまれている神明社です。
◇鎮座地:横浜市西区宮崎町64
◇最寄駅1:JR根岸線 桜木町駅~500m
◇最寄駅2:京急線 日ノ出町駅~600m
◇主祭神:天照大御神
◇御朱印:あり
【社頭】
◆銅製大鳥居
フツーであれば、一之鳥居です。
しかし、当社では「二之鳥居」と呼び、ナンバリングが一般と逆です。
奥の高台に「一之鳥居(木製)」、鳥居の形式はどちらも伊勢鳥居。
奥行がある石段と広めの踊り場。この組み合わせを何セットか越え、高台へと緩やかに上がっていきます。
◆手水舎
建屋は平入。屋根の向きは拝殿のそれとシンクロしておらず、90度ズレています。
コロナ禍を経て、柄杓は消えました。
◆大注連柱
石段の頂上から振り返りました。
柱は角柱で祈願文が刻まれています。
◇拝殿に向かって右柱
→神徳天高ウシテ 四海静平ナリ
◇拝殿に向かって左柱
→皇國地久ウシテ 萬民歓楽ス
「天」と「地」、「静」と「歓」が呼応…、ってことで良いのでしょうか。
◆祓所
丁寧に結界され、最奥に1本の榊。
聖性を帯びた空間です。
◆拝殿
御幌(みとばり)が下がっていますが、上方1/3あたりを覆うのみです。
「風が吹いてないのに布がめくれた」と書きたい人にとっては、不都合でしょうか。
◆賽銭箱と本殿の階(きざはし)
厳かな空気が肌を軽く刺激します。
当社は「私幣禁断」ではありません。
由緒
「当社の前身は、江戸時代から戸部(当地界隈)の地に鎮座していた小祠でした。そして、明治3年(1870)に大遷座祭が斎行されました。」by当社パンフ
→実質的な創建は、明治3年。新しめの神社ですね。
◆謎の「寄せ石」
内宮「四至神」や外宮「三つ石(川原祓所)」などを想起させ、意味ありげな石です。
なので、授与所で尋ねましたが「なんの謂れもないもの」とのことでした。
おそらく、酔狂な輩がいかにもな感じに設えたのでしょう。
それにしても、こうした「思わせぶり」が放置されているのはどうなんでしょう…。
もしかしたら、この日この時だけのものだったのかも。
◆正体不明な建屋
境内図に掲載されておりません。
拝殿に寄り添っているので、神饌殿かも。
あるいは、四丈殿(=斎王殿)!? なんて夢想したくなりますが、ありえないですよね。
◆御本殿
唯一神明造の凛とした美しさ。
社殿は光り輝き、気品に溢れます。
この社殿は、皇大神宮御垣内の西宝殿をそっくりそのまま譲り受けました。
平成26年度 第62回「式年遷宮」のときのものです。
ここまで、拝殿や本殿など神社の「顔」をご紹介してきました。しかし、今回記事においては「序章」に過ぎません。ここからが本題です。
【今回のメイン】
①新築された境内社
②杵築宮
異なる祭神表記
①新築 境内社
杵築宮の鳥居、瑞垣、社殿
大神神社の鳥居、瑞垣
◆杵築宮きづきのみや
この社号は、言わずと知れた「出雲大社」の別名です。総本社=出雲大社の御祭神は大国主大神ですが、当社の場合は少々異なります。
御祭神
豊受姫大神(伊勢 外宮の祭神)
子之大神(野毛地区の氏神)
→大国主命、姥之大神
以上は、授与所に置かれた無料配布のパンフから転記しました。
しかし…
この祭神表記は問題です。
というのも
当社公式HPはパンフと祭神構成が異なっているのです。詳細は後述します。
◆杵築宮の全貌
美しい鳥居・瑞垣・社殿。
すべてヒノキです。
ピカピカな「お白石」
◆大神神社おおみわじんじゃ
~三輪明神御分霊
御祭神
大物主神おおものぬしのかみ
なんと!
三輪鳥居!
鳥居の向こう側に
社殿はありません
参拝者は三輪鳥居を通して
ご神体=磐座を拝します。
◎三輪山(=三諸山)の磐座群
頂上=大物主大神
中腹=大己貴神
山麓=少彦名神
と分かれて鎮まっている、とされています。by大神神社HP
上記の仕分けに従えば、当社の磐座は「三諸山の頂上から遷座」と理解できます。
鳥居の意匠は、大和・笠縫邑(かさぬいむら)に鎮座する檜原神社のそれと同型です。
おもしろいことに
◇檜原神社
大神神社(祭神=国津神最高神)の摂社
天津神の最高神を奉斎
◇当 杵築宮
伊勢山皇大神宮(祭神=天津神最高神)の摂社
国津神の最高神を奉斎
と、シンメトリックな図式ができます。
三ツ鳥居はキホン「明神鳥居」の組み合わせ。当社もそれを踏襲しています。
ですが、笠木の断面を五角形(=伊勢鳥居の特徴)とした「隠し味」を発見しました。
格子の奥に磐座。
文字通り、垣間見えます。
◆2018年の磐座写真
視界を遮るものがなく、磐境(いわさか)に護られてはいるものの、磐座は丸裸でした。
一方、奈良・大神神社の磐座はキホン三輪山の山中。大神神社から三輪山に入ることはできません。「山辺の道」を使って狭井神社まで行き、お祓いを受けて初めて入山することができます。
つまり、いつでも&誰でも簡単に見れるわけではない。それが三輪山の磐座群です。
当社の磐座も三ツ鳥居に遮蔽されたことで「らしく」なりました。
②杵築宮 御祭神について
紙媒体と電子媒体とで、祭神の「顔ぶれ」が異なります。
資料A:『パンフ』
2024年 1月製作
◇杵築宮
豊受姫大神・子之大神・姥之大神
資料B:『公式HP』
2024年 5月現在
→「境内神社」→「杵築宮」
主 神:大国主命
配祀神:豊受姫大神、須佐之男命、住吉三神、子之大神(=大国主命・少彦名命・姥之大神)、鹿島大神、香取大神
※鹿島と香取は新たに勧請。2024.4.22に「鎮座祭」を斎行しました。(筆者)
【私見】
AとBはどちらも2024年発信ですが、祭神についての記述が統一されておりません。
パンフ=豊受姫大神を祭神の筆頭とし、大国主命はローカルな氏神にすぎません。
HP=大国主命を主神と明記。地元氏神としても、名が挙がっています。
◇パンフだけ読んだ方
→主祭神は豊受姫大神だと思うでしょう。
◇HP「境内神社」だけ読んだ方
→主祭神は大国主命だと確認します。
◇両方読んだ方
→混乱します。
豊受姫大神と大国主命、いったいどちらが主祭神なのでしょう。
と、ここまで書いたところで、6年前に『参拝のしおり』を拝受したことを思い出し、カメラに収めました。
資料C『しおり』
2018年拝受-製作年不明
◇杵築宮
大国主命、豊受姫大神、須佐之男命、月讀命、住吉三柱大神
◎資料Bと資料Cは、大筋で同内容でした。
→大国主命は豊受姫大神より序列上位
◎BとCの相違は枝葉的な4点
→月讀命の除外
→少彦名神の追記
→子之大神の扱い(見出しの有無)
→姥姫を姥之大神に名称変更
以上から、どうやらパンフレット(資料A)の記述に「偏向」があるようです。この事実、伊勢山皇大神宮は気づいているのでしょうか…。
もしや、まさかの…
祭神変更や序列変更、あるいは社号変更(杵築宮→豊受神宮)などを視野に入れている。当該パンフの製作~配布は、そのための「地ならし」…。
なんてこと… ないですよね…。
《結論》
杵築宮の主祭神
→大国主命
以上、媒体によって異なる「杵築宮」の祭神構成でした。
現行パンフをどうにかしないと、《杵築宮の主祭神=豊受姫大神》と誤解する方が続出するものと思われます。余計なお世話かな。
さて、帰路につきます。
帰りも表参道を使いましたが、ここでは「裏参道」をご紹介しておきます。
◆裏参道(紅葉坂参道)
拝殿に向かって右奥に裏参道があります。
◆小さな社殿
鳥居の左手、木柵越しに見ることができます。この社は「境内案内図」に掲載されておりません。前回参拝時、授与所に尋ねたところ、水神社とのことでした。まさに、ひっそりと佇んでいます。
高台に鎮座しているので、祭神は高龗神かもしれません。あるいは、罔象女神か。
鳥居をくぐって石段を下ります。
◆石段の中ほどに「踊り場」
裏参道(紅葉坂参道)を上がってきた参拝者のために設えられた手水舎でしょうか。
唐破風仕様の巨大屋根が目を引き、柱に対してアンバランスな大きさです。
◆彰忠碑
手水舎から望む美しい空間。
この場所は、前回来た時も遠望だけで「清澄な気」を感じました。彰忠碑は、日清・日露戦争の戦没者の招魂碑です。
◆紅葉坂参道 銅鳥居
鳥居は《先に金、次に木》。これは、表参道と同じパターンです。
桜木町駅西口まで550m程度です。
◇割愛した写真◇
社号標、旧大鳥居の台座、表参道木製鳥居、照四海(高さ6mの常夜灯)、太鼓楼(毎朝6時に号鼓)、いくつかの石碑、授与所・社務所、神楽殿。
【御朱印】
初穂料:500円
何種類か用意されています。筆者は、いつものようにシンプルなものを選びました。
【参拝ルート】
2024年 4月26日
《伊勢山皇大神宮》
START=JR根岸線 桜木町駅南1出口~500m~表参道 銅製大鳥居~木製伊勢鳥居~手水舎~大注連柱~祓所~拝殿にて御挨拶~本殿遥拝~授与所(御朱印の依頼)~謎の寄せ石~不明な舎殿~杵築宮・子之大神~大神神社(三輪鳥居&磐座)~授与所(御朱印の拝受)~水神社(紅葉坂参道=木製鳥居~手水舎~彰忠碑を遠望~銅鳥居~550m~JR根岸線 桜木町駅西口)=GOAL
【編集後記】
◆伊勢神宮の別宮って!?
明治4年、神奈川県は神祇省から「官幣国幣社等外別格ニ處シ」との令達を得ました。しかし、これは正式な社格とは別モノ。県は、官幣中社あるいは国幣中社への昇格をたびたび求めました。(ウイキより抜粋)
そして…
明治8年、凄いことを仕掛けました。
なんと!
伊勢神宮 別宮への昇格
を願い出たのです。
→結果は、もちろん却下。
この事実は、神奈川県が表参道に建立した石碑に刻まれています。そして、当社は公式HPでこれを紹介しています。
◇HP→境内のご案内→伊勢山碑
「当宮の創建の由緒が(神奈川県によって)書かれています。この中で、当宮は『伊勢別宮(伊勢神宮の別宮)』とされています。」と。
「伊勢山皇大神宮は伊勢別宮」と、一方的に名乗ってしまう明治時代の神奈川県。その強烈な「上昇志向?」の自治体と、150年を共に歩んできた当社。
伊勢神宮からの社殿譲渡。杵築宮、大神神社などの建て替え。あるいは、超豪華な神楽殿(=屋内神殿→外宮「せんぐう館」のように、屋内に唯一神明造の社殿がある。)の建設。など、当社の精神性とバイタリティは自治体譲りかもしれません。ある意味、ナイスなコンビです。(了)