2024年 4月 1日&2日、遠江国の神社を巡ってきました。今回は、三ケ日町の神明社です。併せて、記事のラストにおいて、当社と関係が深い「初生衣神社」にも軽く触れたいと思います。

 

式内社

 濱名惣社神明宮 

はまなそうしゃ

『延喜式』神名帳に記された社号

→英多神社(えたのかみのやしろ)

 

拝殿裏手、高台に鎮座する「本殿」

◇鎮座地:静岡県浜松市北区三ヶ日町三ケ日122

◇最寄駅:天浜線三ケ日駅~1km

◇御祭神:天照皇大御神

◇御朱印:あり

 

【社頭】

 

◆表参道

一之鳥居は、正しい「伊勢鳥居」

 ①笠木:断面が五角形

 ②笠木:端の切り方が斜め

 ③貫:四角形で板状

 ④柱:円柱で傾斜している

 ⑤柱:上に行くほど細くなる

 

 

◆『定』と社殿

 社殿の中には、石灯篭が安置されていました。

 

◆ご神木

 

手水舎には、水がありませんでした。

 

◆二之鳥居

 こちらも神明系=伊勢鳥居です。

 

 

 

◆縁結びの木

 異なる種類の2本の古樹。

 ぴったりと寄り添い、根元は結合しています。

 

◆拝殿

 当社は、伊勢神宮と同様に狛犬が居りません。また、社殿は神明造風です。よって、社殿彫刻もありません。

由緒

 垂仁天皇の皇女=倭姫命が大和の笠縫邑(かさぬいむら)より天照皇大御神の御霊(=八咫鏡)を奉じて鎮座地を探す旅に出ました。その際、 当社地に40余日滞在され、のちに伊勢の国に向かわれた。と伝わります。by当社パンフ

 

 由緒では、倭姫命が当地に立ち寄ったとのことでしたが、「公式記録」にそのことは出ておりません。

 

(参考) 倭姫命 御巡幸の足跡図

 倭姫命は〝天照大神の鎮座地〟を求めて、笠縫邑を出発。宇陀から近江・美濃を経て伊勢に到着されたと伝えられております。この巡路については、『皇大神宮儀式帳』に詳しく記されています。

by倭姫宮御御杖代奉賛会HP

そもそも…

天照大神は

 鏡を私と思って祀れ

 天皇は鏡と同床共殿せよ

 と、ニニギノミコト命じていました。

 

にもかかわらず…

崇神天皇は

 鏡を恐れて笠縫邑に移し

 安住地を倭姫に探させた

これは、いったい

 なぜなのでしょう。

    ↓ 

 崇神天皇の代、疫病が流行。民の流浪や反乱も起きました。

 崇神天皇は、その原因を八咫鏡(=天照大神のご神体)の神威によるものとしました。

by『神話のおへそ』日本書記編 (神社庁)

 

凶事の原因は、天照大神の神威だった

すなわち

 天照大神の祟り

という意味に取れます

 

倭姫命の巡幸の結果、鏡は伊勢の地に落ち着き、皇大神宮へと発展しました。

 

それにしても…

なぜ、皇祖神=天照大神が

子孫である天皇に祟らなければならないのでしょう。

 

「祟り」は、祟られる側に思い当たるフシがあります。

崇神天皇は《鏡の祟り》を恐れていた。

 

ということは…

鏡は

 天照大神のご神体ではなく

 他の神のそれかもしれない

と、そんな疑念が生じます。

 

◆合祀されている八つの神社

 浮免川崎神社、須佐之男神社、天満宮、貴船神社、白山神社、八柱神社、金毘羅神社、金山神社

 

◆中門

 

拝殿裏の小高い丘に「本殿」が鎮座

趣のある石段そして木製瑞垣

 

社殿様式は伊勢神宮をふまえています。

 鳥居は神明系。屋根は茅葺き。

 狛犬、社殿彫刻はありません。

 千木は内削・鰹木は偶数(4本)。

 本社殿は伊勢神宮への貢進品の収蔵庫として使われたと言われ、板倉造という古い建築様式です。建屋に柱がなく、板を組んで建てられているのが特徴です。

 1987年に建て直し、遷座祭を斎行。古くから伝わる建築様式で新造したことに敬意を表します。

 石段はそこそこ急勾配でしたし、手すりがなかったので、上り下りに緊張を強いられました。

 

 

【境内社】

①太田命社

御祭神:太田田根子

 「崇神天皇の時、疫病が流行。天皇の夢枕に大物主神が現れ、意富多々泥古(オオタタネコ)に吾を祀らせれば、国が平安になるであろう、と神託。天皇はその人物を捜し出し、三輪山にて祭らせた。」

 この「逸話」は広く知られています。当社の祭神は、正に、このオオタタネコです。

 

②天棚機姫命社

御祭神:天棚機媛命

あめのたなばたひめのみこと

属性:機織りの神

 天照大神が天岩戸に籠られた時、神御衣和衣(かんみそにぎたえ)を織った神です。by古語拾遺

 当社は「初生衣神社」が作った神御衣和衣(かんみそにぎたえ)を納置するのが古来よりの慣わしです。のちに、この神御衣は皇大神宮に奉献されます。

 

◆伊勢鳥居と玉垣

 このスペースに2つの社殿が鎮座します。

 

③天羽槌雄命社

御祭神:天羽槌雄命

あまはづちをのみこと

属性:機織りの神

◇別名

 雨羽雷命、建葉槌命、倭文(しずり)神

 →天照大神が天岩戸に籠られた時、天日鷲命とともに大神に献上する白和幣(しろにぎたえ)もしくは文布(しず)あるいは木綿(ゆう)を織った神。by古語拾遺

 

◇系譜

 御父神=天日鷲命

 御子神=由布津主命(ゆうつぬし)

 ※ちなみに、この顔ぶれは安房国「下立松原神社」と近隣地の天羽町を想起します。

天羽槌雄命は

『古語拾遺』と『先代旧事本紀』において、倭文(しとり)神の遠祖とされています。

『日本書記』では、倭文神の遠祖は建葉槌命

 

④浜名天満宮

御祭神:菅原道真公

京都の北野天満宮より勧請

 

 

◆社務所

 関係者は不在でした。御朱印は賽銭箱の傍らに置かれたプラスチック・ケースに書置きが入っていました。

 

 

【御朱印】

初穂料:500円

初穂料は賽銭箱投入との指示書あり。

 

 

【参拝ルート】

遠江国の神社巡り《2日め》

2024年 4月 2日(火)

START掛川駅7:35→1.1km(TAXI)→7:45東名掛川バス停7:57→高速バス→8:36東名三ケ日バス停~2.3km~①伊雑皇神社~2.1km~ ②初生衣神社~250m~コンビニ(昼食)~50m~③濱名惣社神明宮 ~1km~天竜浜名湖鉄道 三ケ日駅12:43→天浜線→13:03新所原駅~乗換~JR新所原駅13:17→東海道本線→13:41浜松駅

(浜松駅~北口バスのりば <30>村櫛行き14:09→遠鉄バス→14:42鳥居先バス停~650m~④曽許乃御立神社~鳥居先バス停16:04→遠鉄バス→16:50浜松駅)

 JR浜松駅17:10→東海道本線→17:36掛川駅~乗換~新幹線 掛川駅18:10→こだま号→19:48東京駅=GOAL

※④式内社「曽許乃御立神社」は疲れたので中止しました。

 

 

【編集後記】

 当社参拝の前に、初生衣神社に参拝しました。見たかった「織殿」は修繕中でした。

 

 初生衣神社 うぶぎぬ

◆社頭

 当社には、「伊勢の神宮に神御衣を収める」という役割があります。

御祭神:天棚機媛命

(あめのたなばたひめのみこと)

属性:機織りの祖神

 

◆「織殿」は工事中

生で見たかった建屋でした。仕方なく、ネットから修繕前の写真をお借りしました。

 

◆おんぞ祭

 ◇午前:初生衣神社から浜名神明宮へと神御衣が運ばれます。お祓いののち、天棚機媛命社に保管します。

 ◇午後:『おんぞ奉賛会』が「皇大神宮神御衣」「太一御用」などと書かれた幟を持ち、神職とともに神御衣を受け取りに行きます。

行列写真はネットからお借りしました。

 

 

◆御朱印

 授与所に書置きが用意されていました。賽銭箱に300円お納めしました。

 初生衣神社は無人社でした。本務社は浜名惣社神明宮。なので、浜名惣社神明宮にも初生衣神社の御朱印が用意されていました。

 

◆織物との関係性

 浜名惣社神明宮は、天羽槌雄命や天棚機姫命を祀り、初生衣神社も天棚機姫命を祀ります。と、このように両社とも織物と深い関係性を持っています。

 その理由の1つとして、当地がかつて伊勢神宮の神戸であったことを挙げても良いと思われます。(了)