2024年 4月 1日&2日、遠江国の神社を巡ってきました。今回から第2日めです

 

三ヶ日町総鎮守

 伊雑皇神社 

いぞうこう

 この社号を見て、伊勢・皇大神宮の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」を想起された方がいらっしゃると思います。筆者もそうでした。web上では、伊雑宮を勧請したとする記述が圧倒的多数でした。しかし、調べてみるとスンナリとはいかない感じでした。

◇鎮座地:静岡県浜松市北区三ヶ日町平山918-1

◇最寄駅:天浜線三ケ日駅~3.3km

◇バス便:東名三ケ日バス停~2.3km

◇御祭神:志摩国玉磯宮御日神

◇御朱印:不明

 

 1日目は浜名湖の東側を巡りました。

 2日目は西北側=三ケ日町に行きます

掛川市からこの町に行く方法は3通り

①天竜浜名湖鉄道掛川駅から天浜線で三ケ日駅

②JR掛川駅から東海道本線&天浜線で三ケ日駅

③東名掛川バス停から高速バスで東名三ケ日バス停

 →所要時間=③が最速

 →距離(下車~当社)=③が最短

 →アクセス料金=③が最安

「速い・近い・安い」の③を選択。

 

 

 当地はみかんの産地として有名です。バス停を降りて、少し歩くと周囲は右も左もみかん畑でした。

 

◆表参道

 

 

 

◆橋から見た上流方向

 

伊勢・皇大神宮別宮「荒祭宮」を想起させる石段。中ほどに巨木(の痕跡)があるところまで「荒祭宮」仕様です。

 石段を上がると、右手に手水舎。しかし、浄水がありません。

 下界を振り返ると、川岸に御手洗場のような場所が見渡せたので行ってみました。

 岸辺には3段ほどの石段が設けられていて、水際まで降りることができました。なので、この水路で手水を使うことにしました。

 ふと、内宮・五十鈴川の御手洗場が思い浮かびました。

 

◆三之鳥居

 

鳥居を潜ると、左手に拝殿を遠望できます。

 

◆四之鳥居

 

由緒

◆伝承

 創立は寛永十年(1633)。村の長老が夢で託宣を受け、伊勢皇大神宮の別宮である伊雑宮(志摩國 磯部しきべ)を勧請した、と考えられています。by境内由緒板

 

伊勢「伊雑宮」

 神宮の別宮は14社あります。うち13社が伊勢国に鎮座しますが、伊雑宮だけ志摩国鎮座です。そして、伊雑宮より南の摂社末社は1社もありません。なぜ、このようにポツンと離れた場所の神社が別宮となっているのでしょう。不思議です。

御祭神

  天照坐皇大御神御魂

 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)

 

 

 一方、当社は

遠江「伊雑皇神社」

 伊雑宮を勧請したにもかかわらず、御祭神は天照坐皇大御神御魂としておりません。

 伊雑の読みも「いざわ」でなく「いぞう」です。

御祭神

  志摩国玉磯宮御日神

(しまくにたまいそのみや御日神)

 

御日神とは天照大御神なのでしょうか。

 

 

 ◆静岡県神社庁HP

 伊雑皇神社=祭神は天照大御神

 別名=「磯部(いそべ)さま」

→志摩国玉磯宮御日神との表記はありませんでした。

 

◆磯部

 伊雑宮鎮座地の地名です。そして、度会氏も宇治土公氏も元々は磯部氏と呼ばれていました。

*度会氏=豊受大神宮(外宮)の祠官を世襲。

*宇治土公氏=内宮の特別職であり、猿田彦神社の宮司家。

 

◆「伊雑」の読み方

 当社が伊雑宮を勧請したのだとしたら、「伊雑」の読みは「いざわ」とするのが自然です。しかし、当社は「いぞう」です。なぜなのでしょう。

 伊雑宮が南伊勢の人々から「いぞうぐう」と呼ばれていたことに因んだのでしょうか。あるいは「いざわ」とするのが恐れ多かったのでしょうか。

 

 

伊雑宮の祭神と当社祭神

 ウイキペディアを眺めていたら、興味深い記述を見つけました。

『先代旧事本紀大成経』事件という記述です。

 江戸時代に伊雑宮が本来の内宮である》といった内容の書が出て、それに関連した事件が起きました。

→書物の内容は「伊勢神宮=1社3宮」説でした。

 伊雑宮=日神を祭祀

 内宮=星神を祭祀

 外宮=月神を祭祀

 これは、当時、伊雑宮が主張していた「伊雑宮こそが日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀る神社である」という説を裏づけるものでした。これに対して、内宮・外宮の神職が幕府に詮議を求めた事件です。

 結果→1681年に幕府は当該書を偽書と断定。版元やこの書物を持ち込んだ神道家、仏僧、そして製作依頼したとされる伊雑宮の神職らを罰しました。

 

 以下は、当社が上記書物の影響を受けたかもしれない。との前提に基づく筆者の妄想に近い文章になります。

 

志摩国玉磯宮御日神

◇御日神

 当社祭神名の一部である「磯宮御日神」とは、ヤマトが侵入する前から南伊勢の地元海民が祀っていた神という考え方。すなわち、政治的な太陽神としては、アマテラスではなく、サルタヒコ。もしくは、自然神としての太陽神の可能性もあります。

 

◇磯宮

 倭姫命が巡幸した地に、五十鈴川上流地域があります。そこに磯宮(伊宮・いそのみや)があるので、そちらからの勧請と考えることもできないではありません。となると、御祭神は天照大御神です。

 

◆当社由緒板

 由緒版には、アマテラスの「ア」の字もありません。しかも、「伊雑宮を勧請したと考えられる。」です!これは、伊雑宮の勧請ではないとする見方の余地を残します。

 また、近隣の大歳神社の境内社に御久和稲荷という神社があります。この祭神の1柱に伊雑皇命(いざわすめみこと)とありました。当社社号と表記が同じです。でも、関係があるのか否かは分かりませんでした。

 

 結局、志摩国玉磯宮御日神が天照大御神なのか否か。

 よく分からず、締まりのない結論となってしまいました。

 

 

写真集に戻ります

 

◆美しい拝殿

 ヒノキ材の気品とシンプルな造形が際立ちます。

 

◆桜と鳥居と狛犬

拝殿からの振り返り

 

 

御本殿

みかん畑に囲まれた山あいの地に、こんなにも美しい社殿があるなんて…!

ヒノキの素木+神明造

幸福な組み合わせです

 

当社は、相殿にいくつかの神々を祀っています。

◇摂社:白壁神社(猿田彦命)、八柱神社(五男三女)、金山神社(金山彦・金山姫)

◇末社:若宮大明神社(応神天皇)、秋葉神社(秋葉山像一体)、三峯神社(熊野牟須毘の御魂三神)、山神社(大山祇命)、大山祇神社(大山祇命)、不動明王(波切不動尊)、橘神社(田道間守命)、以上

 

拝殿を参拝し、本殿遥拝を終えました。

次は、清流と清滝に向かいます。

 手水舎脇の三之鳥居を潜って、石段を下りていきます。

 

 

 

 

 

◆市杵島姫を祀る小社

落差は3mとのこと。隣に5m程度の落差がある「滝行」用の人工滝もありました。

かなりの水量が勢いよく落下。

 

◆岩屋

不動明王を祀っています。

 

マイナス・イオンを大量に浴び、清々しい気持ちをキープしたまま引き返します。

 

 

◆社務所

 残念ながら無人でした。

 素晴らしい神社でしたので、参拝の記念に御朱印が欲しかったのですが、叶いませんでした。

 

◆表忠碑

 忠魂碑ほど桜が似合う物件は、ほかに思い浮かびません。

 

 伊雑宮を勧請した?当社

  内宮のような御手洗場

  荒祭宮のような石段

  瀧原宮のような清流

  靖国神社のような桜

などなどを堪能しました。

なんて、書いてしまいましたが、こんなふうに書きたくなるほど、居心地よい神社でした。

 

 

【御朱印】

不明

 

 

【参拝ルート】

遠江国の神社巡り《2日め》

2024年 4月 2日(火)

START掛川駅7:35→1.1km(TAXI)→7:45東名掛川バス停7:57→高速バス→8:36東名三ケ日バス停~2.3km~①伊雑皇神社 ~2.1km~②初生衣神社~250m~コンビニ(昼食)~50m~③濱名惣社神明宮~1km~天竜浜名湖鉄道 三ケ日駅12:43→天浜線→13:03新所原駅~乗換~JR新所原駅13:17→東海道本線→13:41浜松駅

(浜松駅北口バスのりば <30>村櫛行き 14:09→遠鉄バス→14:42鳥居先バス停~650m~④曽許乃御立神社~鳥居先バス停16:04→遠鉄バス→16:50浜松駅)

JR浜松駅17:10→東海道本線→17:36掛川駅~乗換~新幹線 掛川駅18:10→こだま号→19:48東京駅=GOAL

※式内社④を予定しておりましたが、疲れたので取りやめました。

 

 

【編集後記】

◆2日目は「伊勢神宮」関連

①当社=内宮別宮「伊雑宮」を勧請

②初生衣神社=伊勢神宮に神御衣を奉献

③濱名惣社神明宮=倭姫命は「天照大神の鎮座地探し」の際、当地に来訪しました。

と、3社とも伊勢神宮関連でした。この偶然は、三ケ日町がそもそも伊勢神宮ゆかりの地だったことによります。

→当地一帯が古代から中世まで「神戸(伊勢神宮の領地)」だったこと、あとになって知りました。

 

 ①から②へ向かう際、地元の方に道順を確認したところ、なんと!クルマで連れて行ったくれました。ご親切をありがとうございました。(了)