2024年 1月14日、今年の干支にちなんで龍ヶ崎市の神社を訪れました。

今回は、その最終回。星宮神社のご紹介です。

 

 星宮神社 

(ほしのみや) 
 若柴宿の西北は、牛久沼にほど近い場所に鎮座します。無人社のようでしたが、清掃はじめ一定の保全管理がなされている感じでした。

◇鎮座地:茨城県龍ヶ崎市若柴町683

◇最寄駅:JR常磐線龍ヶ崎市駅~1.6km

◇バス便:星宮神社バス停~ゼロm

 →JR龍ヶ崎市駅からコミュニティ・バス<07若柴線>

◇御祭神:天御中主大神

◇御朱印:あり

 

 

鬮神社から星宮神社へ

鬮神社から星宮神社への道は里山の雰囲気を伝える気持ち良い古道です。

 

 

◆星宮神社の由来

 創立は、平安時代中期、醍醐天皇の時代に遡ります。延長2年(924)肥後国の八代郡八代(熊本県八代市妙見町)の八代神社から妙見菩薩を勧請して星大明神として創建されました。by由緒書

※八代神社HP

 天御中主命を祭神とし、別名を妙見宮と称している。

 

 

 

◆鳥居の注連縄

 蛇を模したような形状の注連縄です。

 

◆注連縄の「手桶」

 貝原塚八坂神社にも似たようなものがありました。筆者は「魔除けの男根」と推測しました。一方、こちらはどー見ても手桶です。おそらく、当初は魔除けが編まれていた。しかし、時を経て手桶へと変わっていった。そんな風に想像します。

【追記】

手桶は火除けの呪術かもしれません。

 手桶は、社殿の屋根に懸けられた懸魚(けぎょ)と同様に水を連想させるモノです。つまり、魔除けでなく火除けかも。

 

【追記2】

やはり「火除け」でした。

 次回記事を書くため、埴山姫を調べていて発見。追記します。

 この物体には「匏(ひさこ・ひさご)」との名称までありました。

 これは、延喜式「鎮火祭祝詞」に登場します。いわく「水神が匏を、埴山姫が川菜を持って鎮め申し上げよ」と。

→火の神の火気を鎮めるために水気を象徴する呪物である匏(酒や水を入れる容器)と川菜を用いよ、という意味。by『日本の神々』鎌田東二

 

 

◆手水舎と由緒版

 ひとつ屋根の下に同居していました。

水盤に張られた水は汚れていましたが、水道栓から水が出ました。

 

◆参道

 

星宮神社

 全国の星宮神社は

天御中主神(アメノミナカヌシ)

妙見信仰・妙見菩薩が

キーワードになります。

天之御中主神

意外に思われる方がいるかもしれませんが

この神は、ほぼ無名でした

その証拠に、天之御中主神を祀る神社は『延喜式神名帳』に記載されておりません。

一般の信仰対象になるのは、明治時代まで待たねばならなかったのでした。

 

記紀に「活動記録」がない

それが天之御中主神です

『古事記』712年

天地が分れた際、最初に登場した神 との記述。

 

『日本書紀』720年

そもそも、本文に登場しません。

異伝(第一段 一書)に名だけ登場。

 

これは何を意味するのか

 神道の神々は、モデルとなる人物が実在した、とする説があります。

しかし、天之御中主神の場合…

「神話を編む上で神々を順序立てする必要があり、そのために作り上げられた神であろう」(神様事典・柏書房)

すなわち、モデルとなる人物がおらず、紙の上にだけ存在した神だったのでしょう。

 

さて、無名時代が長く続き、時の経過とともに出典となる古事記を読める人もほぼいなくなりました。

 

◇江戸時代後期

天之御中主神が認知される

 本居宣長が『古事記伝』を著したことによります。

 

◇本居宣長以降

天之御中主神が注目される

平田篤胤が《天之御中主神=万物の主宰神》である、とする理論を展開。

 

◇明治時代

神仏分離令による変化

 妙見信仰の寺院や神社が「妙見菩薩」を公然と祀れなくなりました。

 結果、多くの寺社が祭神を天之御中主神に改めて、神社として再出発したのでした。

 この祭神選択は、妙見菩薩と天之御中主神が同一視されていたことによります。

 要するに 

 天之御中主神とは 

 記紀の時代に作り上げられ

 江戸時代に「発見」された

 モデル不在の神様 

と、言えるのではないでしょうか。

 

 

 

◆本殿

 覆い殿の隙間から本殿を撮影しましたが、うまく撮れませんでした

 

妙見信仰

 妙見は仏教と一体化して妙見菩薩とも呼ばれました。その起源は中央アジアの遊牧民の北極星信仰といわれ、それが中国で道教や仏教を取りこみ、やがて日本に伝わりました。7世紀頃、新羅や百済から伝わったと考えられています。

 妙見は、天空から人を見守り、人の運命を司る神として信仰されました。

 妙見菩薩は、北極星または北斗七星を神格化しています。

尊星王(そんしょうおう)

妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)

北辰菩薩(ほくしんぼさつ)

などとも呼ばれます

by千葉市立郷土博物館HP

 

【境内社】

◆金刀比羅宮

御祭神:おそらく大物主神

 

 

◆二十三夜講の石碑

 

【伝説】

◆駒止の石

 平将門の乱の時代、平貞盛の乗った馬が石の前で突然動かなくなった。不審に思った貞盛が周囲を見渡すと、星大明神の祠があった。そこで、この祠を懇ろに参詣すると馬は再び動き出した。以後この石は「平貞盛の駒止の石」と呼ばれ、今でも星宮神社境内に残っている。by由緒書

 

◆御手洗池

 河川で漁をした際、魚に混じってウナギが獲れた場合、ウナギはこの池に放したそうです。

 なぜ、そのようなことをするのでしょうか。

ウナギを食べない

 それは、ウナギが星宮神社の神様の使いだからだそうです。

 よって、当地区の人々はウナギを食べません。あるとき、禁を犯した人がいました。すると、その人は病気になり三日三晩苦しんだと伝わります。

 筆者が訪れたとき、池の水は干上がっていました。

◆病気

その昔、若柴地区の人たちでは病気になったら、当社にて治癒を祈りました。

①当社の椎の木に藁の人形を作って杭で埋めてお祈りすると病気が治る。

②病気が重く、危篤の場合は当社でお百度参りをした。

③足の病。境内にある石碑、道緑神様(ドウロクジン)にお祈りすると治った。

などの言い伝えがあります。

 

最後に

 繰り返しになりますが、星宮神社とは明治になるまで妙見信仰に基いて、妙見菩薩を祀る寺院や神社でした。神道の神様は祀ってなかったということです。

 妙見菩薩は北極星を神格化していたので、新たな神社名として「星」に関わるものが使われた。というわけです。

 

 

 

【御朱印】

不明だと思い込んでいました。

ブログ友からいただいた情報によれば、御朱印があるそうです。

 

 

【参拝ルート】

2024.01.14

STARTJR常磐線龍ヶ崎市駅着09:59~20m~3番バスのりば 10:15→関鉄バス<白羽1丁目行>→10:29藤が丘1丁目バス停~450m~①貝原塚八坂神社~700m~藤が丘1丁目バス停 11:18→コミュ・バス<循環ルート外回り>→11:45にぎわい広場バス停~5m~②龍ヶ崎総鎮守八坂神社~にぎわい広場バス停 12:25→コミュニティバス<循環ルート外回り>→12:30竜ヶ崎駅バス停~10m~竜ケ崎駅12:35→関東鉄道竜ケ崎線→12:40佐貫駅-ランチ-同駅~1.2km~③若柴八坂神社~300m~④鬮(くじ)神社450m~⑤星宮神社~ゼロm~星宮神社バス停 14:40→コミュニティバス<若柴線>→14:49龍ヶ崎市駅東口バス停~90m~JR常磐線・龍ヶ崎市駅GOAL 

(同駅15:13→常磐線・上野東京ライン 品川行)

※コミュニティバスは1回200円。私は「1日・乗り放題券」を使いました。(400円)

 

 

【編集後記】

◆神仏分離令

 明治政府が神社と寺院を分離する政策を打ち出した結果、妙見菩薩と同一視されていた天御中主神を祭神とする神社=星宮神社が新しく生まれました。

 これは、祇園社が八坂神社となり、全国に広がったのと同じパターンです。

 

◆天井画・天御中主神

 大阪市中央公会堂に「天地開闢」をテーマにした天井画があり、天御中主神が描かれています。向って右、両手を広げているのが天御中主神。※写真はネットから拝借

キリスト教会の天井画のようなイメージで日本の神々が描かれています。(了)