2023年 9月20日、JR武蔵小金井駅と京王線東府中駅を結ぶ路線バスに乗り、沿線の神社を巡ってきました。

 

 人見稲荷神社 

 (ひとみいなり)

 

◇境内に入ったときの第一印象

 → 稲荷神社の雰囲気ではありませんでした。

 

◇そう感じられた原因

 当社がかつて「三所之宮」と呼ばれていたこと。創建から約350年のちに稲荷神社と改称されたこと。本殿に祓戸神が祀られていること、などの予習情報が先入観となったかもしれません。

 

※府中市には「六所之宮」と呼ばれ、六柱の御祭神を祀る「大國魂神社」があります。三柱の神を祀る当社は、大國魂神社にあやかって「三所之宮」としたのかもしれません。

◇鎮座地:東京都府中市若松町5-7-6

◇最寄駅:京王線 東府中駅~1.4km

◇バス便:若松防災センター バス停

 (コミュニティバス「ちゅうバス」)

 →バス停から一之鳥居まで 3m

◇御祭神1:倉稲魂命(うかのみたま)

◇御祭神2:天下春命(あめのしたはる)

◇御祭神3:瀬織津姫命(せおりつひめ)

◇御朱印:なし

 

 
【表参道】
◆一之鳥居
 コミュニティバス「ちゅうバス」に乗り、若松防災センターで下車。眼前に一之鳥居です。ここから二之鳥居まで300mほど、細道の表参道が続きます。
 
◆塞の神
  妻の神、道祖神と彫られています。
 
◆古びた庚申塔
 左:青面金剛=明和5年(1768)建立。
 右:庚申塔=安政2年(1855)建立。
 台石は「南常久、西府中、北小金井」と刻まれており、道標を兼ねているようです。
 
◆常夜燈
 
 このあたりから道幅はさらに狭くなり、農地の中を進んでいきます。
 
◆二之鳥居
 
◆「氷川神社の御旅所」説
 かつては、武蔵国三宮=大宮氷川神社の神輿が人見街道を通り、人見村御仮屋まで来て、くらやみ祭り(←武蔵国総社 大國魂神社の例祭)に参加した。
byウイキ・人見街道
 
 当社がお仮屋(=御旅所)だったとする説があります。
 しかし、その証拠はありません。
 石段の右手にスロープを設えて、バリアフリー対応しています。

 良好な雰囲気が伝わるでしょうか。

 
◆手水舎
御祭神
 倉稲魂命、天下春命、瀬織津姫命
 
 この祭神構成は、小野神社(武蔵国一宮の論社)と同じです。
 これは偶然の一致なのか。
 それとも・・・。
 
※東京都神社庁のサイトで神社検索をかけると、当社の御祭神は2柱。瀬織津姫の名が入っていませんでした。
 コンクリート社殿のようでしたが、木造のような温もり&落ち着きを感じました。
 
御祭神:天下春命

 邇芸速日命(ニギハヤヒ)に従って天降った三十二人の防衛の一人。

 八意思兼神の子。武蔵秩父國造、壱岐県主等の祖。

by『祭神記』玄松子
御祭神:瀬織津姫
 記紀に書かれていない神で、大祓詞に登場する祓戸四柱の神の一神。

 大祓詞によると、川の瀬が織りなすところに坐す川瀬の女神。

by『祭神記』玄松子

 

 瀬織津姫命は、伊勢神宮「内宮」の荒祭宮で奉斎されているという説があります。

 
◎由緒について
①境内の由緒石碑

「御祭神は倉稲魂命、天下春命、瀬織津比咩命、三柱にして、武蔵国造兄武比命の祀られし社なりと傳ふ。」

 

と刻まれています。

※兄武比命

 =兄多毛比命(えたけひのみこと)

 石碑では武蔵国造となっています。しかし、厳密に言うと、兄多毛比命は无邪志(むざし)国造です。

 无邪志国は、7世紀に知知父国(=ちちぶ=秩父)と合併して、律令制国=武蔵国となります。ちなみに、知知父国造は、天下春命。

 

◇石碑写真1

 2列めに

武蔵国造兄武比命の

◇石碑写真2

 2列めに

の祀られし社な(り)

→「武蔵国造兄武比命の祀られし社」

の解釈が2通りあり、意味がまったく異なります。

 

◇猫の足あと(神社検索サイト)

武蔵国造兄武比命《を》祀った社

 

◇神のやしろを想う(神社巡りサイト)

武蔵国造兄武比命《が》祀った社

 

・武蔵国造祀っていたと伝わる社の地に、別の社を建て三柱を祀った。との解釈。

・天春下命、瀬織津姫命、倉稲魂命の三柱を武蔵国造祀った。との解釈。

→これは、どちらにも読めそうです。

 

 

②『北多摩神社誌』(1976)
発行:北多摩神道青年会
(東京都神社庁北多摩支部管内の神社名鑑)
 寛喜三年(1232)武蔵左衛門尉資頼が三所之宮を造営。
 正慶二年(1333)北条と新田の合戦の戦火により、三社亡。
 慶長二年(1597)三社を合祀(=再建?)稲荷社と称した。
 →この本による当社の由緒は
・1232年に社殿が造営された 
・1597年から稲荷神社になった 
 

③『武蔵府中物語』(1963)

著:大國魂神社宮司=猿渡盛厚

「三所之宮」とは六所宮の内の小野神社のことである。

 小野神社の祭神=天下春命、瀬織津比咩命、倉稲魂命の三柱(三所の御神)を人見村に勧請したのが人見稲荷神社の起源である。

と、書かれています。

 

→当社の祭神構成は、小野神社のそれと一致します。

 

 「小野神社を勧請」

 

とする説は興味深いものがあります。

 

 
◆本殿
 
 
 

◆三所之宮陽魂

 大正15年、人見村において

 奉祭祀三所之宮陽魂

 擁護所資頼一躯志

と刻まれた、建長5年の板碑が出土しました。

 

三所之宮陽魂とは

 府中出身の郷土史家である菊池山哉氏は《三之宮(=大宮氷川神社)の神輿》のこと、としています。

 また、後半部については、「それまで仮設だった(神輿の)御旅所を(武蔵左衛門尉)資頼が本建築にしたのだろう」と、見ています。( )は三諸。

by『府中市史史料集11』

 

菊池氏は、三所之宮を大宮氷川神社と解釈。その上で「陽魂=神輿」という理解のようです。

 さすがに、これは違うような気がします。三所之宮と三之宮を(あえて?)混同しているのかな。

 前者=小野神社or人見稲荷神社

 後者=大宮氷川神社

ではないでしょうか。

となると、前者の陽魂とは何なのか、という疑問が残ります。

(注)大宮氷川神社については「一之宮or三之宮」との問題があります。しかし、ここでは触れません。話の流れで、総社大國魂神社の見解(大宮氷川神社=三之宮)に依拠します。

 

 

【境内社など】
◆祓戸神社
 本殿の東側に鎮座。
 祓戸神社がこのように境内奥に鎮座するケースは稀有です。たいていは、手水舎の近くか、拝殿の手前。すなわち手水舎で禊し、祓戸社で祓ってから、御祭神に向き合うのが「形」です。
御祭神
 瀬織津比咩神
 速開都比咩神
 気吹戸主神
 速佐須良比咩神

 

◆祓戸四神の役割分担

 瀬織津比咩神が罪穢れを大海原に運び

 それを速開都比咩神が飲み込み

 気吹戸主神が根国底国に吹き払い

 最終的に速佐須良比咩神が持ち去る。

 

 といった連携で、罪穢れを祓います。

by大祓詞

 
 
 
◆浅間神社遥拝所
 当社の北側500mほどに浅間山(せんげんやま=旧・人見山)、その頂に浅間神社があります。それらを遥拝するための場所、とする説もあるようです。
 しかし、遥拝所の向く先は西の方角。すなわち「富士山本宮浅間大社」。
 遥拝先は、伊勢神宮(天照大神)でもなければ、橿原神宮(神武天皇)でもありません。人見稲荷神社は、なぜ、浅間大社を遥拝しようとするのでしょう。
 この、遥拝所に社殿はありません。
 環状列石の奥に大樹が1本。石の四隅には枝の無い樹木が立てられていて、諏訪大社の「御柱」を想起させます。
 
 
【御朱印】
 ありません。
 本務社である、国分寺市の熊野神社にもないようです。
 
 
【参拝ルート】
2023年 9月20日
START京王線 東府中駅→府中市・コミュティバス→ 若松防災センターバス停~3m~①一之鳥居~二之鳥居 人見稲荷神社 ~550m~②一之鳥居~二之鳥居 浅間神社~200m~③おみたらし神社~200m~京王バス・浅間山公園バス停→[府75]武蔵小金井駅行→貫井トンネル下バス停~500m~④貫井神社~京王バス・貫井トンネル下バス停→[府75]武蔵小金井駅行→武蔵小金井駅GOAL
 
※実際は、武蔵小金井駅から出発しました。それは、午前中に貫井神社に行きたかったからでした。
 しかし、おススメは上記ルートです。それは以下の反省によります。
 武蔵小金井駅を出発の場合
 ①参拝順路の流れが悪い
 浅間神社と人見稲荷神社に一之鳥居から入れなかった。
 →一之鳥居から順を追って進みたい。
 
 ②バス本数の多寡
 コミュニティバスの本数が京王バスより少なく、待ち時間が長かった。
 →便数が少ないほうに時刻を合せてスタートするほうが合理的。
以上です。
 
 
【編集後記】
◆瀬織津姫関連本
あなたにも奇跡が起こる 瀬織津姫神社めぐり 姫旅しませんか?』著 山水治夫
という「スピ本」があります。
 この本で当社が紹介されています。「まえがき」は驚きでした。
→p.2「瀬織津姫を祀る神社へ行くと甘い香りが降ってくること、水平虹が現れること、羽根が物質化すること、甘露が降ってくること、人との出会いなど、実際に私(=山水氏)が体験した奇跡は多岐にわたります。」と、4つの「奇跡」を例示しています。
(羽根が物質化する←どういうことか、私には分かりません。)
 
 三諸は地元の船橋大神宮、流山市 駒木諏訪神社、両社の境内社をはじめ、多くの祓戸神社をお参りしています。しかし、こうした「奇跡」に遭遇したことがなく、残念でなりません。(了)