2023年 6月、旧・下総国において、有数の美しさを誇る標記神社を参拝しました。
式内社
船橋大神宮
『延喜式』神名帳に記された社号
→意冨比神社
(オオヒノカミノヤシロ)
簡素な美しさの神門
◇鎮座地:千葉県船橋市宮本5-2-1
◇最寄駅1:京成線 大神宮下駅~170m
→表参道の一之鳥居へ
◇最寄駅2:JR総武線 船橋駅~1.0km
→西参道の一之鳥居へ
◇御祭神:天照皇大御神
(あまてらす すめ おおみかみ)
◇御朱印:あり
誰しもが抱くであろう
素朴な疑問
①意冨比神社は
なぜ、現在は神明宮なのか?
②両社同一なら
意冨比神=天照大神なのか?
この点について、美しい境内をご案内つつ、明らかにしたいと思います。
【表参道】
◆一之鳥居
◆社号標
「 延喜式内 意富比神社」
と刻まれています。
◆二之鳥居
◆手水舎
近づくと、4か所から水が出る自動水栓です。コロナ以前は、水盤背後の小さな自然岩から浄水が止めどなく流れ、水盤には水が溢れていたのですが・・・。
意冨比神社が船橋大神宮となったイキサツ
①当地は伊勢神宮の神領(御厨)だった
②御厨に伊勢神宮の御祭神を勧請した
③時代を経て、御厨が著しく衰退した
④祭神を近隣の意冨比神社に合祀した
⑤いつしか、神明社の方が強くなった
つまり、この両社は・・・
元々、別々の神社だったのです。
【社殿】
神門→拝殿→本殿→仮殿
が南向きに直列します。
4社殿とも《女神仕様》
すなわち
鰹木=偶数・千木=内削ぎ
◆神門
鰹木=6本
軒下に賽銭箱が見えるように、一般的なお参りは、こちらで行います。
◆拝殿
鰹木=8本
一般の参拝者が神門内に入り、拝殿の前まで進むことができるのは、お正月の「三が日」だけです。
御祭神:天照皇大御神
昭和時代は、相殿神2柱を合祀していました。
→天手力雄命&万幡秋津姫命
相殿神の存在は、『房総の古社』に書かれていました。この祭神構成は、同書が刊行された1975年時点のものです。この後~今日までの約45年間のどこかのタイミングで相殿神が外され、アマテラスだけを奉斎するようになりました。
*万幡秋津姫命=瓊瓊杵尊の母神
◆本殿
鰹木=10本
◆仮殿
鰹木=6本
境内社・豊受姫神社(=外宮)の旧社殿でした。外宮の社殿を新造替して以降、旧社殿はこちらに移して仮殿として運用しています。
それにしても当社殿、良い空気を放っています。
本殿の裏手に丁重に祀られています。まるで「奥宮」のような佇まいの当社殿。
「もしかしたら・・・
意冨比神を秘かに奉斎しているのか!?」
と、想像しました。
そこで、社務所に行き、筆者の推測を伝えた上で、真偽を取材しました。
返ってきた答えは、意冨比神を祀る社殿ではなく、あくまでも仮殿です。
とのことでした。
※仮殿…神社を改造、修理する際、御神体を本殿から一時的に「仮住まい」してもらう社殿が仮殿です。その動きを仮遷宮ともいいます。
byコトバンク
【境内社】
当社には、41もの境内社があります。(筆者数え)
以下に、気になる境内社を5社ピックアップしました。
①豊受姫神社(外宮)
御祭神:豊受姫大神
本殿に祀られる天照皇大御神のお食事を司る神さまです。
境内社=豊受姫神社は
伊勢・外宮の「謎の様式」
を完全踏襲しています。
千木=外削ぎ
鰹木=奇数(5本)
→姫神を祀る社殿が男神の様式です。
「外宮は女神を祀っている」とするから、鰹木・千木が《整合しない》のであって、実は男神を祀っている。
と、考えれば《整合します》。
男神だとすれば、その正体は・・・。
平成27年の『式年遷宮』の後、内宮「由貴御倉」の古材を譲与され造替されました。
旧社殿は、船橋大神宮拝殿・本殿の裏手に遷し、仮殿として運用されています。
*由貴とは、「清浄な・穢れのない」という意味。
棟持ち柱の上部にスキマがある、本格仕様です。
②天之御柱宮
あめのみはしらのみや
御祭神:護国の英霊
鰹木=奇数、千木=外削ぎ
③八剱神社・八坂神社
御祭神:須佐男命
背の高い建物の中に、神輿が二基納まっています。
左=本町八坂神社の神輿
右=湊町八剱神社の神輿
ここでは、神輿自体が神社そのもの。御祭神は、常にこの神輿に鎮座しています。
④船玉神社
御祭神:天鳥船神命・住吉命
元々は、船魂を祀っていたと言われています。
社殿の一部は、船の形を模しています。
⑤常磐神社
たくさんの社殿が並ぶ中、当社だけ明らかに社殿のテイストが異なります。
御祭神
中:日本武尊
左:徳川家康・「徳川四天王」
→井伊・本多・酒井・榊原
右:徳川秀忠
あまりにも「徳川」な豪華社殿。斎庭には白石がしきつめられています。
常磐神社は、豪華な御門がついた瑞垣の中に鎮座します。
このほか、大鳥神社、八雲神社、浅間神社、水天宮、稲荷神社、三峯神社、秋葉神社、古峯神社、金刀比羅神社、岩島(厳島)神社、住吉神社、祓戸神社、春日神社、香取神社、鹿島神社、玉前神社、安房神社、天満宮、天神社、八幡神社、竈神社、龍神社、道祖神社、客人神社、多賀神社、粟嶋神社、根神社、祈年穀神社、岩長姫神社、阿夫利神社、大山祇神社、事代主神社、大國主神社、水神社、産霊神社、猨田比古神社(石碑)、祖霊社、などが鎮座します。
意冨比神(おおひのかみ)
この神が史書の中で初見されるのは、『日本三大実録』です。「貞観五年(863年)下総国従五位下 意冨比神に正五位を授く」と書かれています。
by当社リーフレット
◇意冨比神とは、どういう神か
①御食津神説
→「おほひ」=大火、大炊の意とする。
②太陽神説
→おほひ」=大日と、捉える。
①・②のいづれにせよ、古墳時代に当地の農民が農業の守護神として祀ったのが意冨比神社の起こり、と思われる。
by『房総の古社』
ところで
この社号意匠は当社HPで見ることができます。
神社サイドは
正式名=意冨比神社
通称=船橋大神宮
としています。
なるほど、2つの社号を見比べると、文字の大きさの違いが際立っています。
御朱印の墨書も「意冨比神社」と書かれます。
しかし、リーフレットの表紙は「船橋大神宮」ですし、その2ページめに書かれた社号は「船橋大神宮(意冨比神社)」となっています。
いったい、どちらの社号がメインなのか。
HPとリーフレットを見る限り、そのスタンスは一貫性に欠けています。
決定的に重要なことは・・・
当社が意冨比神を祀ってない
という事実です。
HP・リーフレットのどちらも読んでも、意冨比神を「奉斎」あるいは「合祀」などの文言は見当たりません。先に記したように、神職にも確認を取りました。
是非とも、意冨比神を奉斎してほしいところです。
◆忠霊塔と灯明台
忠霊碑には、戦没者の名前がびっしりと刻まれています。
その後背地(=古墳)に木造3階建の灯台が建てられています。
【西参道】
◆一之鳥居
◆石段と二之鳥居
海が近いので、手すりは波をモチーフにしている、とお見受けしました。
【御朱印】
初穂料:500円
【編集後記】
◆古墳
境内には、古墳が2基存在します。
1つは、前述の灯台が建つ古墳
→「覆宮(おほひみや)塚=円墳
2つめは、浅間神社が建つ古墳
→神社サイドは築山としていますが、『房総の古社』菱沼氏は、前方後円墳であろう、と推測しています。
◆境内図
中東のシナイ半島に似た形状の境内地に、たくさんの境内社、相撲の土俵、灯明台、神楽殿、客殿などが点在します。
下総国の「美しい神社」・船橋大神宮、いかがでしたでしょうか。(了)