《安房国 式内社&忌部の神々を巡る旅》の8回目は、標記神社です。

静寂でしっとりとした境内を持つ、美しい古社です。

 

式内社(論社)

 莫越山神社 

 なこしやま

 

延喜式に記載された社号

莫越山神社

ナコシヤマノカミノヤシロ

 

 沓見にある莫越山神社は、式内社の論社です。

 当社は、房総開拓で知られる忌部氏のうち、讃岐と紀伊の忌部氏が祖神(=手置帆負命・彦狭知命)を祀った神社です。

◇鎮座地:千葉県南房総市沓見253

◇最寄駅:JR内房線・南三原駅~2.7km

◇バス便:日東交通・館山鴨川線

 南三原駅前→賀茂瓦屋前バス停~469m

(8:00~18:00の10時間で6便のみ)

◇主祭神:手置帆負命・彦狭知命

◇相殿神:彦火火出見命、豊玉姫命、鸕鶿草葺不合尊

◇御朱印:あり

 

 

◆一之鳥居

 当社は、一之鳥居だけが南北軸に建てられています。

 残る2つの鳥居は東西軸。拝殿・本殿も含めれば、東向きと言えます。

 

 社号にある莫越山とは、一之鳥居の北方5kmの場所に秀麗な姿を見せる山です。古代人はこの山を神奈備として崇拝したのでしょう。

 ただ、神体山は拝殿の真裏となることが一般的です。当社の場合、拝殿の裏に山がありません。さらに言えば、当社拝殿は莫越山を向いておりません。したがって、莫越山を遥拝するためにこの鳥居が建てられた、とそう理解することができそうです。

 

 

 

 一之鳥をくぐって直進し、突き当たりを左折すると二之鳥居が出現します。

 

 

◆二之鳥居

 一之鳥居より少し小ぶりな神明鳥居です。高さ5.3m、幅4.9m。昭和12年(1937)に都内の建築会社(ゼネコン=竹中工務店)が奉納しました。

 

 

◆美しい石段

 当社は、小高い台地の上に鎮座しています。

二之鳥居の先、60段ほどの急で高い、しかし広やかな石段を登ります。

 

 

◆手水舎

 残念ながら、水の供給は断たれていました。

 水盤に刻まれた神紋は「五七の桐」

 これは、上総国に鎮座するいくつかの主要神社に同じです。

 

 祭神が”木工の神”だからでしょうか、拝殿・本殿・神饌所・境内社など、社殿はすべて素木で作られていました。

 

◆三之鳥居

 こちらも神明鳥居。大きさは、3つの鳥居の中でもっとも小ぶりです。

 

 

◆拝殿

 

 

 

 

 

 

御祭神

手置帆負命 たおきほおい

讃岐忌部の祖神

 日本書紀では、作笠者(かさぬい)との美称で紹介されています。

古語拾遺では、天照大御神が天岩戸にお隠れになった時、彦狭知命とともに天御量を作り、材木を切って瑞殿(みずのあらか)を作った。 よって、木工の祖神とされている。

古代の建築技術者、また、笠と矛の製作専門技術者

 

◎「手置」とは、手を押し開くの意。「帆」は、尋(ひろ)の切音で、《手を置いて長きを量る》からの名である。

 

 

彦狭知命 ひこさしり

紀伊忌部の祖神

  日本書紀では、作盾者(たてぬい)との美称で紹介されています。

古語拾遺では、神武天皇段に登場し、太玉命の孫・天富命に率いられて山から木を伐採して、神武天皇の正殿を造営した。天御量を使って大小の峡谷の木を伐採して瑞殿を造営。また、盾の製作専門技術者

 

◎「狭知」とは、度量知(おししる)で、《物を測り知る》からの名である。

 

 

 

◆本殿

 相殿神として、皇室の祖神が祀られています。

◇相殿神

 彦火火出見命=神武天皇の祖父

 豊玉姫命=鸕鶿草葺不合尊の養母

 鸕鶿草葺不合尊=神武天皇の父

 当社から、海岸沿いを北上すると、上総国です。上総に入ると、一之宮・玉前神社を筆頭に豊玉姫や玉依姫などの海神を祀る神社が急増します。当社でも豊玉姫が相殿に祀られており、海神の気配が窺がえます。

 

 

◆天孫の宮殿を造営

 天照大神と高皇産霊尊が天太玉命に勅して、番匠・鍛冶の諸職の神々を天降されたとき、手置帆負命・彦狭知命を棟梁の神となされた。(古語拾遺)

 そして、この二神は諸々の工匠を率いて、日向国高千穂櫛蝕(くしふる)の峯に行宮を造り、天孫(ニニギ)の皇居を定めた。これがわが国における宮殿造営の初めである。

by『房総の古社』

 

 

◆神饌所

 

 

「莫越なこし」の意味

 ①越してはならない山

 この山は神体山として、昔から山に立ち入ったり、越えたりすることを禁じられ、禁忌の山として崇敬されていたことから生れた呼称、とする説。

 

 ②狭い平坦地にある山

「ナコ」「ナゴ」とは、古語で「平坦な地」を指します。名古、奈古など。

「シ」を助詞として、ナコシヤマ=《平坦地にある山》とする説。

photo by館山市立博物館

 

 

◆御神木

「子育てのシイ」として信仰されている御神木。樹高13m、枝張り東西16m・南北16mです。

 

 

◆若宮神社

御祭神:小民命御道命

相殿神:10柱

 

※小民命御道命

(こたみのみことおみちのみこと)

 天冨命に従って安房の開拓に携わりました。この地において、祖神の手置帆負命・彦狭知命を祀ったと伝わっています。

 明治16年(1883)本殿建築の際、現在地に造立されました。

 

 

◇相殿

 ①稲荷神社(宇迦御魂命)

 ②白鳥神社(日本武尊)

 ③金刀比羅神社(2柱)

 →大物主命・崇徳天皇

 ⑤八雲神社(速須佐之男尊)

 ⑥山祇神社(大山祇神)

 ⑦宗像神社(市杵島姫命)

 ⑧猿田神社(猿田彦命)

 ⑨石神社(玉依姫命)

 ⑩白山神社(伊弉那美尊)

 

 

 

 

◆忠魂碑

 明治37年、38年(1904、05)の日露戦役従軍記念碑で、傷死・戦死・病死・死亡の7名と従軍した57名の姓名が刻まれています。

 

◆社務所

 玉垣下に建つ社務所。安房国総社=鶴谷八幡宮に出祭する神輿も納められています。

 また、莫越山神社『正遷宮上棟式』を描いた巨大絵馬や、建築関係の講社から奉納された多数の額も安置されています。

 

 江戸時代、「営業手腕」の高い神職がいて、江戸方面に多くの崇敬者ーとくに大工などの建築関係者ーを得たようです。

 

◇正遷宮上棟祭式図絵馬

 上棟祭(1887)式典が盛大に斎行された様子が絵馬の形で残されています。

photo by館山市立博物館

 当社では、『大日本大工諸職之大祖』と称して、神拝・大工行事の秘巻を大工等に授け、また名乗りも与えていました。

 また、江戸の大工たちも祖神講を組織して信仰し、明治8年には浅草に遥拝所として祖神教会が設立されました(のち本所に移転)。以来、今日に至るまで東京の建設関係者の参拝が続けられています。

 

 

論社のこと

 一之鳥居の写真につけた文章で触れたように、莫越山は当社の真裏にありません。二之鳥居→三之鳥居→拝殿→本殿を結ぶ直線の延長線上にもありません。

 

  高家神社から先は地元タクシーで移動しました。運転手さんは、沓見地区の莫越山神社は知っていましたが、宮下地区にも同社があることを知りませんでした。

 

 当社(=沓見地区の莫越山神社)は、『延喜式』神名帳に記載された「莫越山神社」なのか否か…。

 これについては、次回ご紹介する宮下地区の「莫越山神社」記事で明らかにしたいと考えています。

 

 

【御朱印】

 表参道とは異なる、別の石段を下ると宮司宅に行けます。御朱印は、そちらにてもらえます。

 

◇初穂料:300円

 当日は、宮司さんが不在。ご家族から書置きを頂戴しました。

 

 

【参拝ルート】

2023年 5月11日

《安房国の式内社

   &忌部の神々を巡る》

START=館山駅前バス停8:20→日東交通[館山千倉白浜線]→8:42牧田郵便局バス停~30m~①下立松原神社~1.8km~②高家神社→7.7km(TAXI)→ ③沓見・莫越山神社 →4.9km(TAXI)→④宮下・莫越山神社~380m~川谷バス停14:00→日東交通[丸線]→14:40館山駅前バス停~館山駅15:37→JR内房線・木更津行→(君津駅で乗り換え)→JR総武快速・逗子行→17:33津田沼駅=GOAL

 

※前日(5月10日)の神社巡り

①船越鉈切神社、②海南刀切神社、③洲崎神社、④下立松原神社(滝口)、⑤天神社(=④の境内社)、⑥布良崎神社、⑦安房神社 以上

 

 

【編集後記】

◆麁香(あらか)

 古語拾遺によれば、手置帆負命は紀伊にも住んだことがあり、この2神の末裔が紀伊国名草郡の御木(みけ)・麁香に居住していると記されています。

 本文で書いたように、「瑞殿」と書いて「みずのあらか」と読むようです。つまり、「(社)殿」=「あらか」となります。

 

 筆者が浅草近くの南千住・石濱神社を参拝した際、瑞垣の内側、本殿の隣に『麁香神社』が鎮座していました。御祭神は、手置帆負命・彦狭知命でした。(了)