2023年 5月10日&11日、館山市と南房総市に行ってきました。

 《安房国の式内社&忌部の神々》を巡る旅は、訪れた11社のうち8社が忌部の神を祀る神社でした。また、11社のうち式内社は3社、その論社は5社でした。

 

 今回は、船越鉈切神社と海南刀切神社の2社です。

 NHK『ブラタモリ』でも取り上げられ、地学的な側面も楽しめる神社です。

 

 

 ①船越鉈切神社 

 (ふなこしなたぎり)

縄文遺跡に建てられた神社

◇鎮座地:千葉県館山市浜田376

◇最寄駅:JR内房線・館山駅~6.6km

◇バス便:安房浜田バス停~20m

 JRバス関東・洲崎線<平砂浦海岸行>

◇御祭神:豊玉姫命

◇御朱印:なし

 

 

 

立地環境

 細かい話です。

 興味ない方は、下方の「要点」をお読みください。

 

A.地震隆起段丘

 南房総の海岸周辺は、過去の巨大地震によって海岸が隆起を繰り返しています。その結果、地形がヒナ壇のようになっています。

 4つの段丘は、館山市 沼地区の地名をとって「沼I~Ⅳ面と」呼ばれます。 

 Ⅰ面=推定約6,000年前

 Ⅱ面=推定約4,300年前

 Ⅲ面=推定約2,850年前

 Ⅳ面=1703年の元禄地震による隆起。

 第5面とも言える「大正段丘」は関東大震災による隆起。

by館山市役所HP  

図版 by文化財報告書(PDF)

 

 

B.海食洞穴

 館山周辺は縄文海進の時、地盤が浸食されて造られた海食洞穴が見られます。

「鉈切洞穴」はその1つで、標高25mの海岸段丘にあります。

 洞穴開口部は高さ4.19m、幅5.85m、開口部から最奥部まで36.8mです。

by千葉県教育委員会

 

 

 要点 

 当地は巨大地震の度に海岸が隆起を重ねた。

 結果、地形がヒナ壇のようになってしまった

 

 よって、太古は海岸にあった洞穴が、今はトンデモなく高い場所(標高24m)にある。

 

→地震のたびに海岸が隆起し、古い地盤が奥地へと押し上げられていった。

 以上です。

 

 

 船越鉈切神社は、そんな洞穴に鎮座します。

【参道】

◆一之鳥居

 このあたりの地盤は、約4300年前の海岸でした。でも、今は海岸から300mほど奥地です。

 

◆参道入り口

ここから拝殿まで「時空の旅」が始まります。

参道の長さは200m、15mほど上がって行きます。

 

◆二之鳥居

 一之鳥居からここまでは平坦な道でした。

 この先に石段が見えます。

 

神社の石段に

物質的違いはなくても

当社の石段を上ること

これは

いつもと異なる

高揚がありました。

 

 

 なぜなら…

 4,300年前の地盤から

 6,000年前の地盤まで

   「時を遡る石段」との

 感慨があったからです

 

このあたりは、「沼Ⅱ面」=4,300年前に海岸だった場所です。

 

 

手水舎付近は 6,000年前の岬だった場所と推定されています。

水盤の水を「満タン」にして、

蛇口からの水で禊しました。

社紋は初めて見るものでした。

 

◆ラストの石段

 この石段の上に広がるのが6,000年前の地盤です。

 

 

拝殿が見えます。

輝いています。

 

 

 

◆拝殿

 洞穴の開口部にアジャストさせた拝殿。

 社殿は北北東を向いています。

 この時間、陽光は東南(画面左手後方)から差しています。ほぼ逆光です。

◇来歴

1959年:神社拝殿建設(再建)に伴う発掘調査(早稲田大学考古学研究室)

1967年:千葉県指定史跡に指定

2008年:測量調査(館山市教育委員会)

2009年:境内地を千葉県指定天然記念物「南房総の地震隆起段丘」に指定(千葉県)

byウィキペディア

 洞穴内に祭祀跡はありません。

 

 

船越鉈切洞穴

 ウイキペディアには「現在では洞窟内への立ち入りは制限されている。」と書かれています。しかし、拝殿横に入り口が作られていて、誰でも簡単に入れます。

 入口に注意書きがあったので写真を撮りました。

◇洞穴の大きさ(再掲)

 開口部は高さ4.19m、幅5.85m、開口部から最奥部まで36.8m。

 

◇人の居住

 紀元前2,000年頃、この洞穴内で人が生活していました。

 by館山市役所 

 

◇出土物

 この洞穴から、縄文時代後期初頭(約4,000年前)、を中心とした土器、鹿の角、魚や動物の骨で作られた漁の道具などが出土。

 漁具は釣針や刺突具、網の錘(おもり)など多彩。このことから、当地の縄文人が多様な漁の方法を身につけて暮らしていたことが判明した。

by千葉県教育委員会

 

 

御祭神:豊玉姫命(=海神)

 

 洞穴内部は静謐

  しかも・・・

 

 ご本殿は神々しく…

 強くご神威(オーラ)

 放っていました。

 

 

◆まるでスポット・ライト

 社殿周辺だけ明るいのがお分かりいただけるでしょうか。

 洞穴内は、仄暗かったのですし、奥は真っ暗闇でした。しかし、洞穴に亀裂でもあるのでしょう。社殿の左側から陽光が入っています。(光源は陽光しかありえません。)おそらく、この時間帯だけこうして日の光が差しこむのだと思います。とても厳かな雰囲気でした。

 

 『アースダイバー』風に言えば、陽光が社殿を直射するさまは、あたかも太陽の精霊が豊玉姫を身ごもらせているかのようです。

 

 

 

【境内点描】

海食崖に鎮座する浅間さま

御祭神:木花開耶姫命

 

◆宝蔵

 竜宮から納められたという伝承がある独木舟(まるきぶね)や、元禄10年に漁師たちが奉納した鰐口などが伝えられています。

 独木舟は、江戸時代初期には20艘以上あったといい、海上安全を祈願するために奉納されたとも考えられています。

by館山市立博物館

 

 

◆鉈研ぎ石

 これは、江戸時代頃に趣味人が「後付け」した感が漂います。

 

 

 

 

 ②海南刀切神社 

 (かいなんなたぎり)

高さ10mの奇岩がある神社

船越鉈切神社から30mほどです。

あちらが「上之宮」、当社は「下之宮」と呼ばれ、2社で1つの神社、とのことです。

◇鎮座地:千葉県館山市見物788

◇最寄駅:船越鉈切神社に同じ

◇御祭神:刀切大神(なたぎり)

◇御朱印:なし

 

 

◆大鳥居

 

 

◆伝承

「むかし、この神(なた切大明神)が船に乗ってこの浜に上陸。そののち、手斧をもって、巨岩を切り開いて路を通じた。」

 

◆元禄八年(1695)の文書

「なた切大明神は海中から出現した海神であるが、この地に住んでいた大蛇を、なたで退治して人民の苦しみを救ってくれたので、なた切の称号を得た。」

 

創始年代は不詳です。

 

 

 

 

◆垂直に切り立った巨岩

 本殿の裏です。本殿と巨岩の間にはわずかな空間しかりません。

 

◆巨岩2

拝殿~本殿の左サイドを進んだ突き当りです。

 

 

◆真っ二つ

 高さ約10mの巨岩。二つに割れていることについては、相模から海を渡って来た神によるもの。先に書いた「道を切り開いた」伝承や「大蛇退治」伝承があります。

真っ二つに切り裂かれている写真を撮れなかったので、「立山博物館」HPから拝借。

 

 

◆境内社

拝殿の右サイドは稲荷神社

 

 

【御朱印】

 両社とも不明です。

 

 

【参拝ルート】

2023年 5月10日

《安房忌部の神社を巡る》

STARTJR津田沼駅7:26→総武線&内房線→9:35館山~館山駅前バス停9:45→JRバス・平砂浦海岸行→10:03安房浜田バス停~20m~①船越鉈切神社&②海南刀切神社 ~45m~安房浜田バス停11:09→JRバス・相の浜行→11:18洲崎神社前バス停~160m~③洲崎神社~洲崎神社前バス停12:18→JRバス・相の浜行→12:35相の浜バス停~乗り換え・20m~相の浜バス停12:37→JRバス・安房白浜行→12:45白浜中学校バス停~450m~④下立松原神社(滝口)&境内社(式内社:⑤天神社)~白浜中学校バス停13:56→JRバス・館山駅前行→14:04布良崎神社バス停~30m~⑥布良崎神社~布良崎神社バス停14:49→JRバス・館山駅前行→14:52安房神社前バス停~450m~⑦安房神社&忌部塚~安房神社前バス停16:22→JRバス・館山駅前行→16:45館山駅前バス停~190m~『ホテル・マイグラント』GOAL

 ※翌 5/11の神社巡り

 ①下立松原神社(牧田)、②高家神社、③莫越山神社(沓見)、④莫越山神社(宮下) 以上

 

 

【編集後記】

◆安房忌部の神社を巡る

 表記テーマで1泊2日の神社巡りを敢行しました。初回は、忌部と関係ない神社からの出発となりました。

 でも、「なた切神社」は、以前からずっと行きたかった神社でした。願いが叶って嬉しかったですし、予想以上の聖性を感じることができて、良かったです。(了)