《下総と常陸の国史見在社を歩く》

 4月24日、千葉県と茨城県の神社を巡ってきました。

 2社だけでしたが、ともに『国史見在社』と呼ばれる古社です。

 今回は、神崎神社です。

 

 国史見在社

 神崎神社 (こうざき)

◇鎮座地:千葉県香取郡神崎町神崎本宿1994

◇最寄駅:JR成田線・下総神崎駅~1.5km
◇御祭神:天鳥船命、大己貴命、少彦名命、面足命、惶根命

◇御朱印:あり

◇その他:社格=県社、神階=従五位

 

 

国史見在社

(けんざい or げんざい)

国史見在社とは「六国史」に記載のある神社のこと。

 

 六国史とは
 日本書紀(720年)、続日本紀(797年)、日本後紀(840年)、続日本後紀(869年)、日本文徳天皇実録(879年)、日本三代実録(901年) を指します。

 つまり、720年~901年に成立した6つの史書が『六国史』です。延喜式の成立が927年なので、国史見在社には式内社より古い神社も存在します。

 

 

【表参道】

 当社は、雙生山と称される小さな山がまるごと社地となっています。

 

◆大鳥居

 鳥居は県道から石段を10段ほど上がった場所に設置されています。

 ツヤ消し黒色が上品な美しさを湛えています。

 

石段は全部で5セット。

《小さな上り→上り→下り→上り→上り》と展開します。

写真は2本目。最も長い石段です。

 

 

◆金刀比羅宮

御祭神:大物主大神

 参道(石段)の右手斜面に鎮座。石段を20段前後上がっていきます。

 

 こちらは、下り石段。

 足元はアスファルトなどで整備されているため歩きやすい道中です。参道の両側に緑が広がっていて、気持ち良いアプローチを楽しめます。

 

 

◆道祖神

 小さな石祠であっても、きちんと祀られていました。

 たんなる山林を歩くのと、神社の参道となっている山林を歩くのとで、その違いは歴然としています。後者は、清澄で引き締まった空気が流れます。

 

◆三峯神社

御祭神:日本武尊

 参道左手に鎮座。

 

石段ラスト。踊り場では面構えの良い狛犬が待ち構えています。

 

◆狛犬もしくは獅子山

 躍動感に満ちた造形です。

 

 

 

◆手水舎

 第一印象は涸れている感じ。でも、水道栓をひねれば「浄水」が出ます。

 

 

◆手水舎から拝殿を遠望

 

 

【社殿】

◆拝殿

 庇の先端に雨樋がつけられ、それが天水桶につながっています。

 

 

◆創始

 創祀年代は不詳。社伝によると、白鳳二年(662年)
 常陸国・下総国の境、大浦沼の二つ塚より現在の地に遷座。
 現在地は、小松村字神崎の双生山と云ったらしく、当社は『三代実録』記載の子松神(小松神)であるとのこと。

 以来、子松神社、神崎大明神と称されましたが、明治維新に際し、神崎神社と改称しました。

by当社・案内板

 

※『日本三代実録』元慶3年4月5日条に、「下総国正六位上の子松神に従五位下を授ける」とあります。

 

 

 

御祭神=5座

 天鳥船命

 大己貴命

 少彦名命

 面足命

 惶根命

 

 天鳥船命は、神産みの段でイザナギとイザナミの間に産まれ、船を司る神です。

 また、別名を鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみのかみ)といい、天夷鳥命と同神とする説もあります。

 

 ◎鳥と船との結びつき
 鳥と船の形状が似るとする説、鳥も船も死者の霊魂を運ぶものであるとする説、 古代人は航海の際、鳥を船上に積み込んでいたとする説などがある。

by『祭神記』玄松子

 

◆本殿

 

面足命と惶根命

(おもだる・あやかしこね)

その1

『古事記』において神世七代の第6代の神とされ、兄=淤母陀琉神が男神、妹=阿夜訶志古泥神が女神である。オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。

 つまり、人体の完備を神格化した神。

byウイキ

その2

 記紀ともに神世七代の第六の神であることから、 中世では仏教(修験道)で信奉される天界最高位である第六の魔王・第六天に擬せられ、本地垂迹に説かれる場合がある。

by『祭神記』玄松子

 本殿屋根を仰ぎ見ました。

 美しい佇まいです。

 

 

【大クス】

◆なんじゃもんじゃの木

  拝殿右手に、天然記念物のクスノキ「なんじゃもんじゃの木」が聳えます。

  延宝2年(1764)、水戸光圀(黄門サマ)が当社を参詣。「この木は何というもんじゃろうか」と自問し感嘆。以来、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったそうです。

by当社・案内板

 NHK・朝ドラ『らんまん』の主人公=植物学者の牧野富太郎が当社を訪れています。この巨木は『牧野富太郎科学随筆集』において紹介されています。

 主幹は明治十年に火災で焼け、高さ七メートルほどで切断されているが、そのヒコバエがよく育ち、樹高二十メートル以上に達している。

by千葉県教育委員会・神崎教育委員会掲示

 

 

【境内社】

◆地主稲荷神社

 

 

◆三社の祠

中央に香取神社が鎮座

両側に竈神社と鹿島神社を従えます。

この鎮座位置(=香取神社がセンター)には意味があります。

 

香取神宮との関係

◇香取神宮の式年造営

 →「あさめ殿」の造替は、神崎神社の専業だった。

 *あさめ殿…式年遷宮の際、ご神体を安置する仮殿の名称。

 

◇社地

 →当社の社地は、香取神宮・大禰宜家の旧領であった。

 by『利根川図志』

 

以上から、当社と香取神宮は密接な関係にあったと想像できます。

 

しかし・・・

神崎神社は、香取神宮との関係について、とくに触れてないようです。

一方、香取神宮はと言うと、神崎神社を元・摂社と位置づけています。

 

 

香取神宮の社史を伝える

『香取神宮小史』(1892)

同書p.40に以下の記述を見つけました。(筆者の所蔵本は、昭和の改訂版)

→「左の五社は、往昔、當宮の攝末社なること、古文書に記される。」

 神崎神社、高房神社、切手神社、東大社、木内神社、と記されています。

 

まあ、摂社だったらどうなの?

という話ではあるのですが・・・。

 

 

 

 

【境内点描】

◆社務所?

 授与所らしき出窓が見えるので、おそらく社務所でしょう。

 他に考えられるとすれば、拝殿との位置関係から見て「神饌殿」でしょうか。いづれにせよ、美しい建物です。

 

 

◆参集殿?

 こちらの建屋も良い雰囲気です。

 

 

◆裏山(遊歩道)への入口

 ここから遊歩道を進むと、天満宮はじめいくつかの石祠を見つけられます。

 

 

◆社叢

 神崎森は、ヤブニッケイ、タブノキ、スダジイ、ヤブツバキ、シダなど、学術上でも貴重な原生林が生い茂る県北を代表する社叢です。

by神崎町役場HP

 

 

【その他】

◆八坂神社

 当社山麓に鎮座。当社に隣接しますが、無関係で独立した神社です。

 鳥居や拝殿そして、きちんとした本殿を有していました。

 

 

◆神崎大橋

 神崎神社を参拝した後、川風を楽しむため利根川土手に行きました。

 大鳥居に面する県道を300mほど北上すると、この橋に出ます。橋を渡れば、対岸は茨城県稲敷市です。稲敷市には、あの豪華絢爛な社殿を誇る大杉神社が鎮座します。

船頭唄

 江戸時代、神崎神社とその社叢は、利根川を航行する船人たちの目印として唄われました。

「ここはこうざき森の下 舵をよくとれ船頭どのよ 主の心と神崎森は なんじゃもんじゃで気が知れぬ」と。

by神崎町町役場HP

 

 

【御朱印】

初穂料300円

無人社ですが、賽銭箱の上に書置きが用意されています。

 

 

【参拝ルート】

《下総と常陸の国史見在社を歩く》

STARTJR成田駅9:41→成田線→10:25小見川駅~駅前バス停10:45→[神栖市コミュニティバス・鹿島神宮行]→11:03息栖神社バス停~20m~表参道入口~280m~一之鳥居~140m~二之鳥居~50m~神門~息栖神社~200m~息栖の森駐車場→浜松タクシー(5.8km)→小見川駅12:39→成田線→13:03下総神崎駅~1.5km~神崎神社・大鳥居~表参道(200m)~神崎神社~350m~神崎大橋~400m~八坂神社~1.5km~下総神崎駅15:03→成田線→JR成田駅GOAL

 *息栖神社からの帰路において、有限会社・浜松タクシーを選んだのは「迎車料金」が無料だから。他社は有料でした。

 

 

【編集後記】

◆道祖神

 下総神崎駅から神崎神社に向かう1.5kmの道中、道端にはこうした道祖神が2か所ありました。

 小さな道祖神ですが、丁寧に祀られている姿に、住民の方々の地味だけれど確かな「敬神」を垣間見ました。(了)