2023年 4月 4日&5日。1泊2日で茨城県の神社を5社ほど巡りました。
今回は、大洗磯前神社の兄弟社であり、式内社である標記です。
式内社
酒列磯前神社
(さかつらいそざき)
『延喜式』に記された社号
常陸國 那賀郡 7座(大2座・小5座)
→名神大「酒烈礒前薬師菩薩神社」
(さかつらいそざきの)
◇社号は、平安時代と今とで文字が異なります。
→列と烈、磯と礒
◆一之鳥居
鳥居は西向き。拝殿に向かって300mほどの参道が東へ延びています。
東方向は海。海の彼方は「常世の国」
◇鎮座地:茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2
◇最寄駅:ひたちなか海浜鉄道・磯崎駅~900m
◇主祭神:少彦名命(すくなひこな)
◇配祀神:大名持命(おおなもち)
◇御朱印:あり
【参道】
◆入口付近
当地は、ツバキが自然に密生していたことから「椿山」と呼ばれています。
樹齢300年を越えるヤブツバキを中心とした社叢。
参道上空を覆うように、枝葉を伸ばす古木群。
生命力旺盛なタブの木に囲まれ
丁寧に掃き清められた参道を歩く
こうした「聖なる空間」に身を置くと、心身が浄化されるようです。
◆手水舎
◆二之鳥居
一之鳥居は明神系鳥居、こちらは神明系鳥居。
参道入口からここまでが日陰。この先は、陽光が燦燦と差し込みます。
由緒
ある夜、製塩の者が海に光るものを見た。
翌日、海辺に2つの奇妙な石があった。
翌々日、20あまりの小石を怪石の周りに発見した。
怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。
神霊が人に憑依して
「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこな)である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今、人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。
~『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条
→「人々を救うために帰ってきた」
どのような脅威から人々を救おうというのでしょう?
東の海からやって来て、日本再上陸の地が当地ということでしょうか?
そして・・・
少彦名命を酒列磯前神社に祀り
大巳貴命を大洗磯前神社に祀る
天安元年(857年)八月、官社となる
同年「薬師菩薩名神」の名を授かる
→「薬師菩薩」の名称が気になります。
仏教用語としてヘンなのです。
薬師は如来であって、菩薩ではありません。ゆえに、この名称に違和感があります。
でも、時の政権から授かった名ですから、受け入れるだけですかね。
【社殿】
◆拝殿を遠望
元禄十五年(1702年)、現在地に社殿を造営し、旧社地から遷座しました。
当時、旧社地に社殿はなく、神籬(ひもろぎ)による祭祀を続けていました。
【参考】神籬(ひもろぎ)
神が社殿に常駐するようになる時代より前、神は必要に応じて降臨すると考えられていました。それが神籬だったり磐座だったりしました。
神籬は青竹などで四方を囲み、注連縄を張り、中央に幣を取り付けた榊を立てます。
神籬画像 by「神社人」
余談ですが、筆者は香取神宮『御田植祭』を見学した際、神籬を見ました。
それは、境外「香取神宮 斎田」の傍らに設えてありました。
「田の神が山から降臨してくる依り代かあ」と感慨を深めたことを思い出します。
◆拝殿
賽銭箱に打たれた神紋は「十六弁菊花」(=皇室の神紋)
少彦名命は天津神。よって、主祭神の神祇と神紋は整合します。
疫病除け
当社は、漁村にあって海上安全や五穀豊穣を願う神社として知られています。
ご神徳はそれだけではありません。
医薬2神を祭神とし、疫病除け信仰の存在なども中央に認知されていたのでしょう。だからこそ、1,000年以上も昔に「薬師」の名を授かったのだと思います。
◆神紋
白色の紋幕が好きです。やはり、神道・神社は白色が基本です。
◆敷き詰められた玉砂利
参道は、拝殿に突き当たると左右に別れて奥へと続きます。
それ以外、砂混じりの細かい玉砂利が敷き詰められていました。素晴らしい。
「酒列」の由来
当社近くの海岸に岩石群があり、南傾斜して並んでいます。その一部、北に傾いた列があります。
南向き列の中に北向き列、すなわち「逆列(さかつら)」です。
これが地名となり、社名由来となりました。社名由来は諸説あり。
のちに酒の神様を祀ると、「さかつら」の「さか」が「逆→酒」へと変化しました。
画像はネットより拝借
◆本殿
拝殿・幣殿・本殿を一望。
三殿が一体となった「調和の美」には、惚れ惚れします。
◆社叢に溶け込む本殿
医薬の神
少彦名命と大己貴命は、なぜ「医薬の神」となったのか。
①大己貴が病んだ際、少彦名が「遠見(別府温泉)の湯」を運び、治療として沐浴させたこと。
②2神が医療としての厭伏(ようぶく。マジナイのこと)に通じていたこと。
などに由来するようです。
◆医は「まじない」
医薬の「医」の旧字は「醫」です。かつては「酉」の部分に「巫」を用いました。これは、巫女が呪術により病魔を祓ったことによります。やがて、酒を薬用としたことから、「巫」の部分が「酉」に変わりました。
by『日本の神様読み解き事典』柏書房
【その他の施設】
◆斎館
神事に臨む際、神職はこちらで潔斎します。
斎館は、どの神社であっても、美しい木造建築が多いような気がします。
入母屋破風と唐破風のセンター・ラインをズラしています。
非安定を意図的に創る意匠。ってことでしょうか。
◆神馬舎
大駐車場近くに神馬舎。白馬の木像が鎮座します。
建久二年(1191年)、源頼朝が当社にナマモノの神馬を奉献しています。
◆「海が見える鳥居」
参道の中ほどを左折します。
なるほど、鳥居の先に海が見えます。しかし、漁港越しなので少し残念。
後述する、旧社地付近から眺める海は美しいです。
【境内社】
◆酒列鎮霊社
戦没者を鎮霊する社。
境内社の中でもっとも丁寧に作られた社殿です。西向き。
神社では、忠魂碑とか慰霊塔などの石碑による奉斎が一般的です。しかし、当社は社殿でお祀りしています。しかも「一等地」にて。
鎮座位置が分かる写真を撮りました。
境内の奥、瑞垣を挟んで本殿の隣に鎮座します。
◆末社群
二之鳥居をくぐった先、参道左手。南向きに鎮座。
左から順に
稲荷神社(倉稲魂命)
天満宮(菅原道真公)
事比羅神社(大物主神)
冨士神社(木花咲耶媛命)
水神社(罔象女神)
◆稲荷神社 2社
参道石垣の外、駐車場との間にできたスペース。南向きに鎮座。
左:女化稲荷神社
右:礒合稲荷神社
女化(おなばけ)稲荷神社の本社は、茨城県龍ケ崎市です。社地は「女化原」と呼ばれる原野、『女化物語』という民話があります。話の大筋は霊狐による動物報恩譚、及び異類婚姻譚で「ツルの恩返し」的な内容。
【境外】
◆旧社地
一之鳥居の北側。海を望む立地です。
元弘二年(1332年)に建てた社殿が乱世で消失。以降、元禄十五年(1702年)まで当地で《神籬祭祀》が続きました。
by当社由緒
こちらから望んだ海は気持ちの良い眺めでした。
荒海=鹿島灘が近くにあるとは思えない静けさです。
最後に
今回記事において、割愛した物件を列挙します。
◇拝殿手前の両サイド
・社務所、神輿庫
◇手水舎と二之鳥居の周辺
・石碑=是与里みたらしの道
・石像=幸運の亀(=撫で亀)
・古石=徳川斉昭公お腰掛の石
以上5点、写真撮影しましたが、記事掲載を割愛しました。
◇参考文献
『鹿島神宮』東実(鹿島神宮元宮司)学生社
『日本の神様読み解き事典』柏書房
◇参考サイト
『神社の記憶』祭神記(玄松子)
【御朱印】
初穂料:500円
【参拝ルート】
2023年 4月 5日
START=『東横イン 水戸駅南口』~500m~水戸駅8:28→JR常磐線→8:33勝田駅~ひたちなか海浜鉄道・勝田駅8:42→阿字ヶ浦行き→9:09 磯崎駅~900m~①式内社(名神大)酒列磯前神社 ~磯崎駅10:46→同 海浜鉄道→11:12勝田駅11:16→常磐線→11:30大甕駅東口~1.0km~②式内社(論社)泉神社~1.6km~③大甕神社~900m~大甕駅西口=GOAL
【編集後記】
◆筆者記事のリンク
当社の兄弟社への参拝記事(2018年10月参拝)
写真は「神磯の鳥居」
◆当社は参道が素晴らしい
何枚も写真撮影してしまいました。あと2か月ほど経過して、緑の濃さが増したら、この参道はさらに美しくなることでしょう。タブの木は、枝のうねりに躍動感があって、八岐大蛇を想像しました。
また、境内の静寂な雰囲気も特筆ものです。華美な雰囲気がなく、神社的清浄が漂う居心地の良い境内でした。(了)