今回は、香取郡笹川に鎮座する標記神社の参拝記録です。

 

 諏訪信仰は、《縄文信仰と関係が深い》と言われています。したがって、今回の香取地域巡拝は、縄文人の神や海人族の神など、稲作・弥生人以前の古い人々にまつわる神社を巡る旅となりました。

 

 

 諏訪大神 (すわだいじん)

 

この地域は、社号を「○○大神(だいじん)」とする神社が少なくありません。

◇鎮座地:千葉県香取郡東庄町笹川い580-1

◇最寄駅:JR成田線・笹川駅~600m

◇御祭神1:建御名方命

◇御祭神2:事代主神

◇御祭神3:大国主命

◇御朱印:あり

 

 

 

【社頭】

 諏訪神社の総本社は、信濃國一之宮=諏訪大社。分社の数は、約5,000社。これは、稲荷、八幡、神明・天祖系、天神(菅原道真)、大山祇・三島系、宗像・厳島系、氷川・祇園・天王系、に次ぐ8番目となります。

 

◆大鳥居

 当社に到着した際、大鳥居の下に人がいました。撮影を後回しにしたところ、撮り忘れてしまいました。

よって、こちらの写真はネットから拝借しました。

 

 

諏訪神社の数

 諏訪神社の数が最も多い都道府県は、「おひざ元」=長野県ではありません。

新潟県の927社が断トツ。長野県は、386社で第2位。意外です。3位以下は、山梨、福島、群馬、埼玉、千葉の順。諏訪神社は、「東国の神社」と言えるでしょう。

 

 

◆社号標

 

 

◆参道

 常夜燈の先、右手に「東庄町観光会館」&「天保水滸伝遺品館」があります。

両館とも、神社や神さまとは無縁の施設です。当社が境内の一部を提供して”町おこし”に協力しているのでしょうか。写真撮影はしませんでした。

 

 

 

 

 

信州・諏訪の神

 諏訪大社には上社と下社があります。

上社に前宮と本宮、下社に春宮と秋宮。これら4社を総称して『諏訪大社』です。

 

 そして、上社本宮だけ本殿があり、他の3社は本殿がありません。この3社、私たちは拝殿を通して、背後にある山や木や石を拝んでいます。

 

 →諏訪大社のHP

  4社の祭神は、すべて《建御名方神、八坂刀売神》

 

当社の祭神は

 建御名方命

 事代主神

 大国主命

 

 

◆手水舎

 

 

 

 

◇創建(伝承)

 大同2年(807年)、坂上田村麻呂将軍が東夷征伐のみぎり、武運長久、海上安全を祈願し《勧請された》と伝えられています。by当社パンフ

 

(注)・・・《》は三諸。

 勧請。それは、諏訪4社のどちらから、どのような神さまを勧請したのでしょう。

のちほど推測します。

 

 

◆拝殿

 

 

◇創建(公式記録?)

 承平2年( 932年)下総国守による社殿造営

 元暦元年(1184年)源頼朝による社領寄進

などの記録から、当社は約1200年の歴史があることが分かります。

 

 

 

 

 

 

◆神紋

賽銭箱に打たれた神紋は「梶の葉」です。

 根が4本なので「諏訪梶」=上社の神紋です。

 

 

【参考】諏訪大社・梶の葉紋

◆左:諏訪梶 (根が4本) =上社神紋

◆右:明神梶 (根が5本) =下社神紋

 

 

 

「上社」と「下社」

◆歴史

 諏訪大社は、先に「上社」が建てられ、あとから「下社」が建てられました。

 

 上社は、当初「前宮」のみの神社でした。

のちに、「本宮」ができて、そのあと、下社が作られました。「春宮」と「秋宮」は同時建立でした。

 

 古い順に

 上社前宮→上社本宮→下社(春宮&秋宮)

 となります。

 

 

◆上社・下社の関係性についての異説

 本社前宮のみだった諏訪大社でしたが、なぜ増えていったのか。

 

 中央政府は、「まつろわない」諏訪の神(=上社前宮)を監視~支配するために、中央の出先機関的な存在となる神社(=下社)を作った。

by『諏訪の神』戸矢 学

 

 上社の神職は世襲です。

しかし、下社の場合、政府が神職を任命し、諏訪の地に派遣しました。

 

 

 

 

 

 

諏訪色・諏訪度

 これまで、首都圏の諏訪神社を何社か巡りました。

諏方神社は、言わば《諏訪色・諏訪度》が神社によって千差万別です。

たとえば

 立川諏訪(立川市)=社紋が梶の葉でなく「三つ巴」→八幡神社の神紋です。

 日暮里諏方(荒川区)=社紋は梶の葉だが、諏訪大社の種類ではない。→「立ち梶」

なかには・・・

 平田諏訪(市川市)のように、社紋は「上社」のそれ。社殿の四隅に御柱。そんな「THE・諏訪」な神社もあります。

 

 

◆当社の諏訪度

 ①当社の客観情報

◇社紋=「諏訪梶」=上社との関連

◇祭神=建御名方命、八重事代主神、大国主神

※八坂刀売神が祀られておりません。

 

 ②諏訪大社の祭神について

 ・諏訪大社HP

 →4社とも「建御名方神、八坂刀売神」を祭神としています。

 

 ・『諏訪大社 神社明細帳』(明治12年)

 →神社ごとに祭神が異なります。

 

  上社前宮:八坂刀売神

  上社本宮:建御名方神

  下社(春・秋):建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神

 

 以上から、当社と上社前宮とは関係がなさそうです。

八重事代主神に着目すれば、下社との関連が浮上します。しかし、当社の神紋は「上社」型です。

 

 要するに、どのパターンにも当てはまらない。それが当社です。

 

 また、当社・由緒を見ると、建御名方神、事代主神、に加えて大国主命も祀られています。さらに、諏訪さま、恵比寿さま、大黒さま、と神様の別称を併記することで、分かりやすく&親しみやすくしています。

 

 と、まあ「諏訪系神社」というより、《大国主命と息子たち》といった祭神構成の「鎮守様」といったところでしょうか。

 

 

 

◆本殿

 

 

 

 

 

 

【境内点描】

◆神輿庫

 神輿と言えば祭。

当社では、祭礼制度を信州諏訪明神に倣い、春季と秋季に分けて年2回の例祭を斎行します。

 ◇春季例祭(4月):氏子と国家国民の繁栄祈願

 →十六座神楽(千葉県指定無形民族文化財)の奉納

 

 ◇秋季例祭(7月):五穀豊穣の祈願

 →相撲の奉納

by当社パンフレット

 

 

◆神楽殿

 『春の例祭』において、「十六座神楽」が演じられます。

この神楽は関東地方で多く見ることができる、埼玉県・鷲宮神社の「土師流」の系譜です。神楽は、氏子によって五穀豊穣を祈願しつつ演じられます。

 

 

◆相撲土俵

 夏になると、大相撲・出羽ノ海部屋が当地で夏合宿を張ります。

また、土俵の付近に相撲の神=野見宿禰の石碑もありました。

 

 

 

【境内社】

◆子安神社

 

 

 

◆参道

 脇には「女人中」と刻まれた仏教関連の石像群。江戸時代のものでした。

 

 

◆稲荷大神

 社号は「神社」でなく「大神」だいじん、です。

建屋の造形は、拝殿と本殿(覆い殿)が一体化した形式です。

 

 

◆忠魂碑

 

 

 

◆庚申塚

 

 

 

◆参考文献

・『諏訪の神』戸矢 学(河出書房新社)

・当社配布のパンフ

・東庄町HP

 

 

 

【御朱印】

初穂料:500円

 

 

 

【参拝ルート】

2023年 3月 7日

START=JR成田駅9:41発(成田線 下り)→下総橘駅10:36着~90m~①星之宮大神~2.5km~②東大社→TAXI→下総橘駅 12:26発(成田線 上り)→ 川駅12:31着~600m~ ③諏訪大神 ~境内「東庄町観光会館」(自転車をレンタル)→4.5km→④豊玉姫神社→450m→⑤良文貝塚層見学→1.7km→⑥瀧大神→2.9km→観光会館(自転車返却)~600m~笹川駅15:34発(成田線 上り)→JR成田駅16:27着=GOAL

 

 

 

【あとがき】

◆天保水滸伝遺品館

  境内にある郷土史館的な観光施設です。東庄町観光会館内に併設されています。

自転車を借りるため観光会館に行きました。その際、町の職員と思しき方から、笹川繁蔵なる人物の話を10分程度聞く展開となりました。

 神社や神さまと無関係な話なので、職員との会話は要注意です。

 この話、要は浪曲や講談の「天保水滸伝」なる演目の元ネタとなった人物の話です。東庄町を舞台とした侠客の抗争話でした。実際、天保15年(1844)に、笹川一家VS飯岡一家、「大利根河原の決闘」と呼ばれる流血事件があったようです。

 

 東庄町はこの話が「町おこし」の資源となりうる、と判断しています。そのため、「町おこし」に協力する当社は、自社パンフレットの中で抗争話を紹介する…。

 なんだかなあ、って感じです^^; (了)