2023年 3月 7日、香取郡に鎮座する「海神系神社」2社を訪ねました。

 今回は、標記神社のご紹介です。

 

 豊玉姫神社 

 社伝によれば、創建は日本武尊(ヤマトタケル)の「東征神話」関連です。日本武尊は東京湾で暴風雨に見舞われた例のエピソードを経て、房総に上陸。その後、この地に海神の娘である豊玉姫を祀りました。

 公式記録は、明治以前のそれが存在しません。

◇鎮座地:千葉県香取市貝塚117-1

◇最寄駅:JR成田線・笹川駅~4.3km

◇御祭神:豊玉姫命

◇御朱印:あり(基本、無人なので事前連絡が必要)

 

 

 当社へのアクセスは、自転車を使いました。

東庄町では「観光会館」にて、電動アシストつき自転車を無料で貸し出しております。役場のHPにレンタサイクルの紹介ページがあります。

 

 

【社頭】

◆案内板

 左方向:良文貝塚、右方向:豊玉姫神社

 

 

◆一之鳥居

 

 

 

 

 

◎豊玉姫命のこと

 国津神である豊玉彦命(=綿津見大神=海神)の娘。神格は、鰐神、龍神、真珠、巫女。古事記によれば、真の姿は「八尋の大和邇(やひろのおおわに)」。

 

 

 

【参道】

 参道は車の通行が可能で、二之鳥居の手前まで進入できます。

ここから、二之鳥居まで300mです。

 

 

◆定

 『定』の隣には「香炉形顔面付土器」を紹介する高札。

 

 

 

 

◆手水舎

 

水は溜水ですが、きれいな水でした。

 

 

 

豊玉姫と山幸彦

 以下は、有名な神話です。

 のちに、姫の夫となる天孫族・ヒコホホデミ(山幸彦)は、紛失した釣り針を探すため、海神の宮に行きました。そこで、豊玉姫と出会い、宮殿で3年ほど過ごした後、発見できた釣り針を携え、鰐に乗って日向に戻ります。

※鰐の想像図を見つけたので、以下にご紹介します。

 

◆鮮斎永濯画譜 (明治17年刊行)

 穂穂出見命/釣(つりばり)を得て/和田津見の宮/より一尋鰐(ひとひろわに)/に載り此國/へ帰り玉ふ/の図。

 

 

 山幸彦が日向に戻ってから、ほどなくして豊玉姫がその後を追いました。

姫は山幸彦の子を妊娠していました。

 

 

豊玉姫の産屋

 姫は浜に建設中の産屋に入りました。この産屋は、鵜の羽で葺かれました。

 鳥の羽なら、東征神話で重要な役割を果たすカラスやトビでもよさそうなのですが、やはりここは、 鵜でなければならないでしょう。

 

 なぜなら、 鵜は空を飛び、地を歩き、海に潜れます。つまり、鵜は3つの世界を自由に行き来できる能力を持つた鳥なのです。産屋を鵜の羽で葺いたのは、このスーパーな能力にあやかって、スーパーな子を産むための呪術だったのかもしれません。

 

 

 

豊玉姫の出産

 姫は、事前に山幸彦に出産するところを見ないでほしいと伝えていました。出産は、大鰐の姿に戻り、浜をのたうちながらの出産でした。その姿をあろうことか夫に見られてしまいました。姫は恥じて、海の宮に帰ってしまいます。

 生まれた子は、この地に残った妹に託しました。

 

 

 

◆二之鳥居

 

 

 

 

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 無人社ですが、境内はていねいに掃き清められています。

 

 

 

 

◆賽銭箱

 中央に「十六弁菊」。両端に「五三の桐」の金具装飾が施されています。

 

 

◆神額

 神名につく「みこと」の文字は、国津神の場合たいてい「命」です。しかし、当社は天津神につける「尊」が使われていました。ex.天津神・ヤマトタケル=日本武尊

 

 

 

 

 

 

【日向三代】

◆天津神の政略結婚

 

 稲作と製鉄の技術を携えて渡来してきた弥生人、とくに大王家は、南九州に土着する縄文人と縄文人たちと共存共栄していた海人族を征服し、次々と混血を重ねました。

それが、天孫降臨の途中でサルタヒコにより南九州に導かれた、とする「日向神話」になっています。

 

①邇邇芸命(ニニギ)

天照大神の孫・ニニギが高天原から下り、国津神・大山祇命(=山神)の娘・ 木花之佐久夜毘売 と結婚。

→第二子=火遠理命(ホオリ)。別名=ヒコホホデミ

 

火遠理命

国津神・綿津見神(海神)の娘= 豊玉毘売 と結婚。

→第一子=鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)。

 

鵜草葺不合命

国津神・綿津見神(海神)の娘(=豊玉命毘売の妹) 玉依毘売 と結婚。

→第四子がのちに初代天皇・神武天皇となる。

 

 天孫族(=天津神)は混血を重ねた結果、初代天皇=神武の血は、その7/8(=87.5%)が縄文人&海人の血ということになりました。天孫族の血は、わずか1/8に過ぎません。

 

 ちなみに、神武天皇もまた、国津神・大物主神(蛇神)の娘=媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)と結婚します。

 

 

◆「日向三代」の系図

 

 

このような神話を創作した意味

 日本において、新たな支配者となった大王家(=天皇家)が山や海の旧・支配者を打倒した証として書き記したのではないでしょうか。

すなわち、新たな支配地を獲得していくたびに、当該地の首領の娘をモノにしていく、といった図式です。

 また、卑下差別するようになっていく縄文人(=土着人)・海人族(=渡来人)との混血記録の存在は、王家の「神聖イメージ」にとってマイナス材料と言えます。にもかかわらず、あえて書き記したというのは、これが隠しようもない事実であったためかもしれません。

 

 

 

◆本殿瑞垣

 

 

◆本殿

 

 

 

 

◆五三の桐

 懸魚の上部に神紋「五三の桐」。これは「五七の桐」(=皇室)への遠慮でしょうか。

 

 

◆千木

 女神を祀る神社ですが、千木は男千木でした。

 

 

 

 

 

 

玉(タマ)と海神

 日向神話において、海神に関わる記述では「玉」との関連を多く見聞できます。

 

 ①神名=豊玉彦(=綿津見神)、豊玉姫、玉依姫。

 ②海神宮で使われる器=玉器(タマモイ)、玉壺(タマノツボ)、玉瓶(タマノツルベ)。

 ③山幸彦に渡された秘宝=塩盈珠(シオミツタマ)、塩乾珠(シオフルタマ)

 

「タマ」は、柳田国男の論考に代表されるように、「神霊」あるいは「魂」のことと理解するのが一般的です。しかし、《海神信仰との関連》から見た場合、それ以外の要素がありそうな気がしてしなりません。海絡みであまりにも「玉」が頻出します。

 

 ともあれ。古代人、とりわけ海人族は、海の彼方or海中に《霊的なモノ=玉》が存在する、と固く信じていたことは間違いないと思います。

 

 

 

【境内点描】

◆授与所+倉庫?

シンプルで端正な佇まいです。

 

 

◆正体不明な建造物

 

 

◆神武天皇遥拝所

 

 

 

 

◆境内社

 左祠:摩利支天と香取大神宮

 右祠:祭神不明

◇摩利支天

 日本の神ではありません。仏教の守護神です。太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」(Marīci)を神格化したものです。日本では護身や蓄財の神として、中世以降、武家を中心に信仰を集めました。

 

 

◆苔

 拝殿に向かって右サイドは、苔に覆われた部分が多くて趣がありました。

 

 

《参考文献》

・『神々の系譜』松前 健(吉川弘文館)

・『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』梅原 猛(新潮社)

・『王権の海』千田 稔(角川選書)

・『海人族の古代史』前田速夫(河出書房新社)

 

 

 

【御朱印】

 御朱印はあります。しかし、無人社のため事前の電話が必要です。今回、電話がつながらず拝受できませんでした。

 

 

 

【参拝ルート】

2023年 3月 7日

START=JR成田駅9:41発(成田線 下り)→下総橘駅10:36着~90m~①星之宮大神~2.5km~②東大社→TAXI→下総橘駅 12:26発(成田線 上り)→笹川駅12:31着~600m~③諏訪大神~同社境内「東庄町観光会館」(レンタル自転車調達)→4.5km→④豊玉姫神社 →450m→⑤良文貝塚層見学→1.7km→⑥瀧大神→2.9km→観光会館(自転車返却)~600m~笹川駅15:34発(成田線 上り)→JR成田駅16:27着=GOAL

 

 

 

【あとがき】

 この日は朝から好天でした。しかし、当社に滞在している間は一度も日が差しませんでした。これは、写真からお分かりいただけるかと思います。こうした天候のせいでしょうか、境内にはしっとりとした落着きを感じました。静謐な空気に包まれて、心地良いひとときを過ごすことができました。

 豊玉姫神社、再訪したくなる良い神社でした。(了)

 

 

 

2023年 3月 三諸