葛飾神社
当社は、国道14号線に面した立地です。街道から一歩入っただけで、落ち着いた雰囲気が伝わる、静寂な神社です。
葛飾八幡宮(市川市)と社号が似ていますが、似て非なるものです。
◇鎮座地:千葉県船橋市西船5-3-8
◇最寄駅1:京成線・西船駅~400m
◇最寄駅2:JR総武線&東京メトロ東西線・西船橋駅北口~600m
◇御祭神:瓊瓊杵尊、彦火々出見尊、熊野大神
【当社への道程】
JR西船駅からGoogleマップを起動すると、裏参道に案内されてしまうので要注意!
国道14号線を渡って、東京方面に向かいます。マップは、みずほ銀行を右折するよう指示してきますが、無視して東京方面に向います。ほどなく、勝間田公園に隣接する形で大鳥居が見えてきます。
【表参道】
大鳥居の先に石段。その先、参道の両側に獅子山と常夜燈があります。
◆社号について
江戸時代は総社明神とか葛飾明神などと呼ばれていましたが、明治元年に現社名に改称しました。
◆鎮座地について
現在の鎮座地、元々は熊野神社の社地でした。
大正5年(1916年)、葛飾神社が当地に遷座して、熊野神社を吸収合祀しました。
◆当社が当地に遷座する前
『江戸名所図会』(1834~1836年)
標記第7巻の(3) 勝間田池の西畔(=図版左下)の神社は、熊野神社と描かれています。これこそが、現・葛飾神社の場所です。
東西に伸びる街道は「房総往還」です。
現在、勝間田池は埋め立てられて「勝間田公園」、房総往還は国道14号線になっています。
◆一郡惣社
当社は、「かつて、総社だった」という説をネットで見つけました。調べたところ、《一郡総社》でした。つまり、下総國惣社ではなく、葛飾郡の総社ということです。
その証に、大鳥居の神額に「一郡惣社 葛飾宮」と刻まれていました。
そもそも、《一郡総社》なるものは、他の地域にもあるのでしょうか。ジャパンナレッジ『日本大百科全書』に当たってみました。
「惣社」→一定の地域内に鎮座している神社の祭神を勧請して、特定の一神社に合祀し、その地域の集約的な祭祀を行うものとされる神社。
一郡、一郷の総社もあるが、一般的には一国の総社をいう。とのこと。
つまり、《一郡総社》は、なじみがないのですが、あるにはあるようです。
※下総國総社・・・現在、市川真間の六所神社が該当、ということになっています。
◆手水舎
残念ながら、水はダメです。水道栓もありません。
◆拝殿
御祭神:瓊瓊杵尊、彦火々出見尊、熊野大神
良い雰囲気を醸し出す拝殿正面です。
◆歴史的クロマツ
存在感たっぷりの奇木です。
◆拝殿の左後ろに聳えます
『船橋の名木 10選』、『船橋市天然記念物』に選ばれています。
◆本殿
このアングルが本殿を間近に見ることができる唯一のポイントです。
◆境内社
拝殿右脇、石造りの建屋があり、天満宮、鹽竈神社、稲荷神社、日枝神社、羽黒神社が祀られている、とのことでしたが、確認しておりません。
写真は「疱瘡神社」の石祠です。
【裏参道】
◆道祖神と庚申搭
Googleマップが案内するルートは裏参道になります。
みずほ銀行を右折すると、Y字路に道祖神が建っています。ここを左に入ります。
次のY字路も左に進みます。突き当りの手前、左手に進入路があります。
拝殿の左横に出ます。
次は、熊野神社の社地に遷座する前の鎮座地。
と言われている場所を訪ねます。
【葛飾明神 御手洗の井】
◆巨大けやき
葛飾神社裏参道を出て、400mほど北上した場所です。ひときわ大きなケヤキが目印です。
◆欅の根元に小径
◆坪庭
小径の正面に小さな庭
◆標識
葛羅之井は、葛飾明神の御手洗の井とされた。
by『千葉県誌』(大正8年・1919年)葛飾神社の項
つまり、この地に鎮座する葛飾大明神(=葛飾神社)が大正時代になって、現在地に遷座したということらしいです。
ちなみに、葛飾大明神の祭神は瓊瓊杵尊、彦火々出見尊の2柱です。
◆御手洗の井
湧き水の池だったそうですが、今はこのありさま。水生植物と金魚の池です。
旧社地=「葛羅の井」をあとにします。
次に向かうは、「元宮」です。
【葛飾明神 元宮】
◆全景
社叢に埋もれているので、うっかり通り過ぎそうです。
◆葛飾神社境内の由緒板
「大正5年1月13日 一郡惣社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷141番地(現・西船6丁目葛羅の井戸、昔・葛飾大明神御手洗の井戸)の西側台地より此の地に奉遷奉斎し、云々」
と書かれています。
写真の元宮は、「葛羅の井」の北東でした。このあたり、どうも釈然としません。
◆社殿
この祠の中に『奉勧請 葛飾大明神」と刻まれた石碑が納められています。
葛飾神社をスタートして、旧社地である「葛羅の井」そして、元宮と歩きました。葛飾神社とその関連物件は、それぞれに趣があって楽しい神社巡りができました。
【勝間田の池】
当社に隣接する勝間田公園はかつて大きな湧水池でした。
江戸時代、昭和初期、令和4年の図版・写真を挙げてみます。
◆江戸時代
(再掲・江戸名所図会)
by国会図書館・デジタルコレクション
図版の背景に新田部親王による和歌(万葉集所載)が書き込まれています。あたかも、この池を詠っているかのようですが、これは江戸っ子のシャレでした。
歌に詠まれているのは、奈良・薬師寺近くの勝間田池と言われています。
新田部皇子とある女性とのやり取りで、皇子が「池の蓮が美しかった!」とした歌への返歌があります。「皇子に髯がないのと同じで、あの池には蓮などないですよ」という内容です。
当時の男子は皆ヒゲをはやしていましたが、皇子はそれが薄かったので、それを揶揄しつつ、ハス=蓮=れん=恋と言葉をかけているとのことです。
◆昭和初期
池はまだ健在です。
写真by船橋市公式地域情報サイト『まいぷれ』
◆令和4年
勝間田池は、昭和48年(1970年)に完全に埋め立てられ、児童公園となりました。
【御朱印】
なし。
【参拝ルート】
2022年 6月 1日
START= 東京メトロ・西船橋駅~350m~勝間田公園(=旧・勝間田池)~30m~葛飾神社・表参道~①葛飾神社~裏参道~450m~②葛羅の井(=葛飾明神 御手洗の井)~300m~③葛飾明神・元宮 ~250m~④印内八坂神社~130m~「タカナカ理容店にて④の御朱印を受ける。」~850m~⑤印内春日神社~160m~東京メトロ・西船橋駅=GOAL
※朗報=2022年6月半ばより、上記「タカナカ理容店」にて、⑤の御朱印がもらえるようになります。
【編集後記】
◆ホームレス
境内を清掃していた女性2名とお話ししました。当社にはホームレスが棲みついている、とのことでした。日中は、市内をうろついていて、夜になると「ねぐら」に帰って来る、とのことでした。
境内の雰囲気はまずまず。ホームレスの影があるか否かに関係なく、雰囲気は悪いものではありませんでした。 (了)