三代王神社
(さんだいおう)
下総國において、大勢力を誇った千葉氏。本家=千葉常胤の三男がこの地を治め、守護神とした神社です。
◇鎮座地:千葉県千葉市花見川区武石町1-1159
◇最寄駅1:京成線・京成幕張駅~700m
◇最寄駅2:JR総武線・幕張駅~750m
◇御祭神:天種子命(あめのたねこ)
◇御朱印:あり
【社頭・参道】
◆鎮守の森
県道「鎌ヶ谷松戸線(57号線)の幕張東小学校交差点から当社の森を遠望。
◆社頭
◆大鳥居・社号標
◆石段
丘を切り崩して、石段を造成したことが見て取れます。
◆石段両側に古木・奇木
◆昼なお暗い参道石段
木漏れ日がイイ感じです。
◆手水舎
最近では珍しくなった柄杓。水盤の端に2本置かれていました。さらに、手桶の上にもう1本。
浄水は、左手水道栓をひねると勢いよく出てきます。
筆者は、乾いた水盤が嫌いなので、水盤全体に柄杓に取った浄水をかけました。
◆手水舎から拝殿を遠望
【社殿】
◆拝殿
祭神:天種子命(あめのたねこ)
天児屋根命の孫にあたる神。中臣氏・藤原氏の祖。
『日本書紀』の「天皇本紀」では、神武天皇の即位の後に天神の寿詞を奏上したとされる。『古語拾遺』では神武天皇に命じられて天罪・国罪を祓ったとされる。
byウイキ
◆社紋は九曜紋
【由緒】
以下は、当社由緒書によります。
①鎌倉時代:創建
建仁2年(1202)、千葉常胤の三男・胤盛が領内守護のため明神社を創建。
②室町時代:安産
文安2年(1445)、千葉康胤の嫡男出産に際し、当社明神が安産祈願。嫡男誕生後、当主は神恩感謝の証に本社を造営。
→このエピソードが、のちに『下総七年祭』(安産祈願の祭)へと発展します。
③江戸時代:社号
創建以来「武石明神」と称していましたが、寛政8年(1796)に現社号へと改称。
◆本殿覆殿
覆い殿がシートで覆われていました。損傷が激しいため、とのこと。by宮司さん
◆社号提灯
提灯内部の電灯は点けっぱなしです。by宮司さん
◆本殿
覆い殿の逆サイドはシートがありませんでした。格子の隙間から撮影。
【下総 三山七年祭】
当社は、標記の祭事に参加しています。
この祭りは、船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の9つの神社から神輿が二宮神社(船橋市)に集合する「寄合祭」で、7年目ごとの丑年と未年に行われます。
三山七丁目の「神揃え場」に全社神輿が集合。そののち、昇殿参拝します。
→昇殿参拝=神輿を担いで向拝を上がり、拝殿に神輿を滑り込ませ、氏子と共に神輿がお祓いを受けます。
当社は、昇殿参拝後の『磯出式』にも参加しています。
→二宮神社、子安神社、三代王神社、子守神社が参加。他の5社は地元に帰ります。
『七年祭り』は、藤原時平の一族と結びつけられています。
①二宮神社=父、②菊田神社(習志野市)=叔父、③八王子神社(船橋市)=末息子、④高津比咩神社(八千代市)=娘、⑤時平神社(八千代市)=長男、⑥大宮大原神社(習志野市)=叔母、⑦三代王神社(千葉市)=産婆、⑧子安神社(千葉市)=母、⑨子守神社(千葉市)=子守
※〇数字=各社の神輿が二宮神社に昇殿する際の順番。
【境内点描】
◆神楽殿
◆社務所
無人社感が満載です。しかし、嬉しい誤算が・・・。
【境内社】
境内には以下の神社が鎮座しますが、多くは石祠です。
金刀比羅神社、三峯神社、古峯神社、榛名神社、秋葉神社、疱瘡神社、八坂神社、浅間神社、小御嶽神社、道祖神社、稲荷神社(屋敷神)
by当社由緒
◆八坂神社・金刀比羅神社
拝殿の右隣に鎮座します。
◆水盤遺構
前面には、八坂・金刀比羅とは無関係な紋(=棕櫚)です。
◆左:金刀比羅神社
◆右:八坂神社
◆三峯神社
境内の西側に鎮座します。
◆古峯神社
境内の西側に鎮座します。石祠です。
◆不明社1
◆不明社2
【御朱印】
初穂料500円
当社は、半・無人社です。宮司さんが週に2~3回ほど境内掃除に来ます。
この日、筆者は無人社と決めつけて訪れました。境内に入ったところ、お掃除の方がいました。帰る際、鳥居の下を掃除されていたので、ダメ元で御朱印を打診したところ、その方は宮司さんでした。
【参拝ルート】
2022年 5月10日
START=京成線・ 京成幕張駅~700m~①三代王神社 ~730m~②昆陽神社~30m~京成線・京成幕張駅=GOAL
【編集後記】
◆作業服の宮司さん
御朱印を授与されるときは、上着だけ着換えて登場されました。
経験的に、小高い丘に鎮座する神社は、たいてい「良い気」です。当社も例外ではありません。居心地の良い境内で、良いひとときを過ごすことができました。(了)