稲毛浅間神社 

 東京駅から総武線快速で35分。サワヤカさ満載の神社です。

◇鎮座地:千葉県千葉市稲毛区稲毛1-15-10

◇最寄駅1:京成線・京成稲毛駅~240m(裏参道)

◇最寄駅2:JR総武線・稲毛駅~900m(裏参道)

◇最寄駅3:JR京葉線:稲毛海岸駅~1.1km(表参道)

◇バス停:浅間神社~10m(裏参道)

  JR稲毛駅→千葉シティバス・ルネグランマークス行き

◇御祭神:木花咲耶姫命

◇配祀神:瓊瓊杵尊、猿田彦命

◇御朱印:あり

 

 

 

 筆者は、常に裏参道から入ります。

これは、検見川神社と併せてお参りするためです。(京成稲毛駅のお隣が検見川駅)

 

 

【裏参道】

 こちらから入る理由は、地理的条件ほかに、もう1つあります。それは、木花咲耶姫命にご挨拶する前に、市杵島姫命と磐長姫命にご挨拶できるからです。

 

◆大鳥居

 参道は、ゆるやかな上り坂です。

 

 

◆手水舎

 

 

 

 

①市杵島姫命

◆厳島神社

 手水舎の向かい、木々に囲まれた静寂な池に鎮座します。

 

 

◆厳島神社・鳥居

 

 

◆気分は上々

手水を使った直後の厳島神社参拝。禊のあと、祓をするような気持になります。

 

 

 

 

さて、池(=水)の次は、山(=岩)です。

 

 

 ②磐長姫命

◆小御嶽社

 木花咲耶姫が瓊瓊杵尊と恋に落ち、結婚することに。父親・大山祇神は、姉である磐長姫も一緒に嫁がせました。しかし、磐長姫は「醜女」との理由で実家に帰されてしまいました。

 岩や石は永遠の象徴です。この仕打ち(=「永遠」をないがしろにしたこと)への磐長姫の呪いのため、人の寿命が短くなった。そういう一書があります。

 

 

次は、木花咲耶姫にご挨拶です。

 

◆裏参道のゴール付近

 この緩やかな上りの先に表参道との合流地点(=神門)があります。

 

 

 

◆神門

 裏参道から、円を半周するようにして神門にたどりつきます。一方、表参道からはほぼ直進でこの十字路に到着します。

 

 

神門を潜ってから、さらに登ります。

向って左はスロープ。右は階段です。

 

 

 

 

 

◆拝殿

 1964年に原因不明の火災で全焼し、1966年に再建。今に至ります。

画面左手に神楽殿。右手に社務所・授与所があります。

 

 

 

【主祭神の関係性】

当社は、①木花咲耶姫命、②瓊瓊杵尊、③猿田彦命、以上3柱を主祭神としています。

 

①大山祇神の娘

 →日向・笠沙(かささ)の岬で②と出会い、結婚。オシホホデミミノミコトをもうけます。ちなみに、その孫が神武天皇。

 

②天照大御神の孫

 →稲穂を携えて、高天原から高千穂の地に降り立った天津神=ニニギノミコト。

 

③天孫降臨の際、天津神を道案内するために待ち受けていた国津神。

 

 ◇当社の配祀は、日向神話を意識したものと思われます。

 ◇①・②の結婚以降、天津神は三代にわたって、国津神との混血を進めます。

 

 

◆社紋

 富士山本宮浅間大社の社紋は「棕櫚」です。

しかし、当社は「九曜紋」。千葉氏の影響が大です。

 

 

 

【木花咲耶姫と浅間神社】

 富士山本宮浅間大社が木花咲耶姫を祀るようになったのは、江戸時代からです。

 

 それまで、「火山の神=浅間大神」だけを祀っていました。

 

 富士山本宮浅間大社の千木と鰹木は男神を示す様式です。

すなわち、千木=外削、鰹木の本数=奇数。

 

 女神を主祭神とするようになっても、この建築様式は変えておりません。

 

※「浅間」の読み

 本来「せんげん」でなく「あさま」です。

古来、「アサ」とか「アソ(阿蘇)」は、火山を指す言葉でした。

 

 

 

【基本的なQ&A】

Q:浅間大社は、なぜ、木花咲耶姫を祀ったのか?

A:木花咲耶姫が炎の中で出産できたことから、火(=噴火)を制御できるはず。と考えられました。このことから、浅間大神との同一視が始まりました。

 

Q:なぜ、火中出産せねばならなかったのか?

A:一夜の交わりで木花咲耶姫が妊娠したため、ニニギから「わが子ではないかも?」と疑われました。

 姫は疑いを晴らすため「天津神の子だから、炎の中でも無事に生まれる」と、自ら産屋に火を放ったため。

 

 

 

◎妹であることに意味がある

 古事記では、弟木花佐久夜比賣と「弟」が冠された表記になっています。「弟」は「若い」という義です。これは、若く生命力あふれる女性こそが神と結ばれるべき存在であり、神婚が可能な女性。ということを意味します。

 

 つまり、一夜にして身ごもる「一夜孕み」の幻想は、処女の生命力あふれる若さによって支えられていたのです。

byネット論文『神話としての「一夜孕み」』堂野前、彰子(古代紀要)

 

 

 したがって、木花咲耶姫と磐長姫の関係は、前者が姉で後者が妹では成立しない話です。木花咲耶姫は、若さ溢れる美しい《妹》でなければならなかったのです。

 

 

◆本殿

 

 

◆神楽殿

 当社では、元旦、祈年祭、例祭、新嘗祭において十二座の神楽が奉納されます。

これは、神を迎える「巫女舞」に始まって、神を送る「御囃子の舞」にて終了です。

 

 

 

◆富士山への憧憬

 当社は、平安時代末(=1187年)に社殿を大改築しています。

社地を富士山の形に土盛り。富士登山道にならって、参道を三方に設置。社殿は東京湾を隔てて、富士山を見つめる形にしました。

 

 

 

【表参道】

 本記事は裏参道からスタートして、境内社から拝殿までを紹介しました。

ここからは、表参道&その境内社などを列挙します。

 

◆二之鳥居

 大きな鳥居です。こちらを一之鳥居と誤解されている方もいるかもしれません。この背後の湾岸道路を隔てた向こうに小さな一之鳥居があります。

 

 

 

 

 

 

 


◆神門を遠望

 

 

 

【境内末社】

神門の石段上がり口の両サイド、随神門のような格好で八坂神社と大宮神社が鎮座。

 

①八坂神社

御祭神:須佐之男命

 神門に向って右側に鎮座。言わば、左大臣的位置。

 

 

②大宮神社

御祭神:大山祇神

神門に向って左側に鎮座。言わば、右大臣的位置。

 

 

③稲荷神社

御祭神:宇迦之御魂神

 

 

④寄せ宮

 拝殿と社務所の間にある狭い階段を降りていきます。

香取神社(経津主命)

若宮神社(彦火火出見尊)=木花咲耶姫の息子神

小室神社(木花咲耶姫)

 

 

 

【小祠群】

①エリア1

 大宮神社の裏手、小高い所の頂上に鎮座

左:神明社、中央:庚申塔、右:三峰神社

 

 

②エリア2

 エリア1の麓に鎮座。

左から、天王宮、山王宮、水神宮

 

 

◆忠魂碑

 石碑はほかにも古峯神社、出羽三山などがありますが、こちらがもっとも緑に溢れていて、落ち着いた場所に鎮座します。(裏参道沿い)

 

 

 

◆表参道・一之鳥居

 二之鳥居から海側に50mほど南下した地に建立。ただ、6車線の湾岸道路が2つの鳥居を遮断。しかも信号がありません。よって、200m迂回する必要があります。

 

 

 

 

◆北参道

 「房総往還」という名の道路に面しています。この参道には、手水舎がありません。石段を上ると、拝殿の横に出ます。お急ぎの方にとって、この参道が最も便利です。

 

 

 

【御朱印】

初穂料300円

コロナ以降、書置き対応になっています。

 

 

 

【当社しおり】

  御朱印と共に拝受しました。その表紙に書かれた文言を転記します。

 

 「神は人の敬によって威を増し

   人は神の徳によって運を添う」

 

その通りなんだろうと思います。

 

 この出典は、鎌倉時代の『御成敗式目』。定めたのは、北条泰時。

大河ドラマでは、小四郎と八重の間に生まれた長男(幼名=金剛)です。

 

 

 

【参拝ルート】

2022年 5月 6日

START=京成線・検見川駅~90m~①検見川神社~検見川駅→京成線→ 京成稲毛駅~260m~浅間神社・裏参道大鳥居~②稲毛浅間神社 ~京成稲毛駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆みろくさま

 当社には、このような仏教的な石像・石祠もあります。

→末社・小室神社の隣地。富士講関連の施設です。

 

 江戸時代、身禄(みろく)という山岳行者によって、浄土思想と富士信仰が結びつけられました。富士山頂を「浄土」に見立て、弥勒菩薩の衆生救済の信仰が広がりました。稲毛の富士講も影響を受けたようです。

 

 

◆さわやかな境内

 筆者がお気に入りの裏参道は、たっぷりの水を湛えた神池に浮かぶ厳島神社からスタートします。少しづつ登りながら頂上の拝殿・本殿を目指しました。

 この季節、青々とした松原、新緑の木々やかわいい花が咲く参道のさわやかさは、参拝者に極上な時間を与えてくれるでしょう。(了)