姫宮神社 

《式内社の論社》

 延喜式「神名帳」埼玉郡4座の1社である、宮目神社(みやのめ)の論社との説があります。

◇鎮座地:埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮373

◇最寄駅:姫宮駅~750m

(東武スカイツリーライン)

◇御祭神:多記理姫命、市杵島姫命、多記津姫命

◇御朱印:あり

 

 

 

【参道】

◆大鳥居

 最近になって、木造から石造に代わりました。

 

 

当社境内は、古墳が3基あるとされています。

 

 

◆手水舎

手水が気持ち良く流れ続けています。

 

 

◆手水舎から拝殿を遠望

 禊を済ませ、晴れ晴れとした気持ちで拝殿を遠望します。

 

 

 

【宮目姫伝説】

もしくは、創建伝承。

 平安時代、桓武天皇の孫の宮目姫という美しい姫が、旅の途中、紅葉ケ岡という場所で突然の病で亡くなってしまい、この地に埋葬されました。

 これを聞いた慈覚大師というお坊さんが、祠を建てて姫を供養し、姫宮明神と呼んだとの言い伝えが残っています。

by宮代町HP

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 江戸時代、旧百間村の鎮守であり、百間領(=宮代、白岡、久喜、春日部を包括する地域)27ヵ所の総鎮守でもありました。

 つまり、この地域の中核的神社の1つと言えます。

 

 

◆文久3年

 現在の拝殿は、幕末の文久3年(1863年)に建てられました。

この年、京都では壬生浪士組(=新選組)が結成されています。

 

 

真新しい、注連縄や榊

 

 

◆神紋

 当社の御祭神は、宗像三女神。

宗像三女神といえば、九州の宗像大社が頭に浮かびます。その神紋は「ナラの葉」。

しかし、当社は「 丸に鶴」です。

 

 こうしたところにも、当社御祭神が宗像三女神であることへの違和感が湧き上がります。

宗像三女神は、宮目姫伝承を元に、姫神連想から取って付けたように持ってきた祭神なんだろうと思います。

 

 

宗像三女神が祭神であることへの疑問の次は・・・

 

 

【宮目神社説への疑問】

◇当社には、応永24年(1417年)銘がある鰐口があったと言うから、相当の古社であるには違いないが、はたして「式内社=宮目神社」であるかどうか疑問が持たれる。

 

◇神職にも会って聞いてみたが、そのような(=式内社であったとの)社伝は存じない。村落の位置も、平安時代初期に既に存在したにしては、郡の東南に偏しすぎているようである。

by『武蔵の古社』菱沼 勇(有峰書店新社)

 

 

ちなみに

『延喜式』神名帳 

武蔵国埼玉郡・4座の1つ「宮目神社」の論社は4社あります。

 

①加須市「玉敷神社」の境内社・宮目神社

②久喜市「神明神社」

③熊谷市「高城神社」

④宮代町の当社

 

菱沼氏は自著において、①とするのが「穏当」と書いていました。

 

 

 

 

◆権現造り

 拝殿・幣殿・本殿が見て取れます。

本殿は、ほんの少し高い位置に建てられていて、そこが姫宮神社2号墳とのことです。

 

 

 

 

◆本殿

 江戸時代中期、正徳5年(1715年)の建築と推定されます。築300年以上となります。

 

 

 

【境内社】

 いくつかの境内社を祀っています。

当社は無人社であるにもかかわらず、すべての社殿が注連縄と榊で浄められています。

 

 こうした勤行はどなたが担っているのでしょう。熱心な氏子さんの仕業でしょうか。早朝、神職が行ったのち、神社をあとにしているのでしょうか。

 

◆参拝の順路

 賽銭箱付近に、このような表示板がありました。

これに従って、ご案内します。

 

 

◆稲荷社

御祭神:宇迦之御魂神

 

 

◆鹿島社・香取社

御祭神:武甕槌神・経津主神

 

 

◆天神社

御祭神:菅原道真公

 

 

◆地主社

別名:地主権現

御祭神:大地主神(おおとこぬしのかみ)

 

 宮目姫は、地主権現に参拝したと伝えられています。

 

元々、当地で祀られていたのは、こちらの神様。ということでしょうか。

しかも、当社は式内社=宮目神社でない可能性が高そうです。

 

このような社殿と祭神を目の当たりにすると・・・

やはり、宮目姫や宗像三女神は後付けにすぎないのでは、との思いにかられます。

 

 

◎女性神

 宗像三女神→宮目姫と遡ると、女神つながりで、地主神も女性神である可能性が考えられます。

 

 だとすると・・・、

 「当社のほか、足立郡の式内社=多気比売神社も女神を祭神としており、この地方では女性を集団の長に仰いでいた例は珍しくなかったと思われる。」(前掲・『武蔵の古社』)

とする推測もあり得るかもしれません。

 

 

 

【古墳上の境内社】

◆八幡社

御祭神:神功皇后、応神天皇

 八幡社は、周囲より2mほど高くなっており、かつて埴輪片が出土したことから、古墳と推定されています。姫宮神社1号墳。

by当社案内板

 

元は、ほかの地に鎮座していましたが、明治34年に当社に合祀されました。

 

 

◆当社案内図

参道にあるステンレス製の案内板。図の右上が小高くなっているのが見て取れます。

 

 

◆三峯社

御祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神

 当社は、八幡神社の右隣に鎮座。その境内社という扱いになっています。

 

 

 

【御朱印】

 ご朱印は、当社近くの宮司宅でもらえるようです。

 

 

 

【参拝ルート】

2022年 3月 4日

START=東武スカイツリーライン・谷塚駅~駅前バス停→東武バス(花畑桑袋団地 行)→草加記念体育館バス停~600m~①花畑大鷲神社~草加記念体育館バス停→東武バス→谷塚駅駅前バス停~谷塚駅→東武スカイツリーライン→姫宮駅~750m~②姫宮神社 ~姫宮駅→東武スカイツリーライン→西新井駅~700m~③栗原氷川神社~700m~④島根鷲神社~1.5km~東武スカイツリーライン・竹ノ塚駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆参道入口

神仏習合が当たり前だった時代の痕跡が並びます。

大鳥居の手前。青面金剛など。

 ◇左:享保十七壬子年(1732年)

 ◇右:文化四丁卯年(1807年)

 

 

◆当社の雰囲気

 昔は、社叢も濃かったかと思われます。しかし、今はやや物足りなさが残ります。境内の気は、悪くありません。とくに、本殿の裏手。鹿島社・香取社から地主社~八幡社にかけての地域が良かったように感じました。 (了)