石尊阿夫利神社 

(せきそんあぶり)

 この社号、相模国の大山阿夫利神社を想起しますが、その分社ではありません。

御祭神4柱のうち「石」に縁ある神が2柱。青石をご神体とする地域の神社です。

◇鎮座地:千葉県印西市高西新田227

◇最寄駅1:北総線・千葉ニュータウン中央駅~2.7km

◇最寄駅2:コミュニティバス「十余一」停留所~700m

◇御祭神:石凝留命・日本武尊・石裂命・根裂命

◇御神体:青石

◇御朱印:あり

 

 

 

【表参道】

◆一之鳥居

 この鳥居から二之鳥居までは、参道と言うより一般道路です。そのイメージは、香取神宮の一之鳥居~二之鳥居です。

 

 

◆鮮魚街道

 一之鳥居の先は、「鮮魚(なま)街道」と呼ばれ、古くからの産業道路(布佐←→松戸)です。

 銚子で水揚げされた鮮魚を江戸へ運ぶため、銚子から利根川を遡上。布佐で上陸し、印西・白井を経て松戸へ。松戸から川へ。江戸川から水路を経て日本橋の魚河岸へ運ばれました。

 

 

◆当社入り口

 進入路は、下り坂です。

 

 

◆不明社

 坂道を下っていくと、石段手前に瓦葺の木製社殿。

 社殿には、石が安置されていました。

 

 

◆石を祀る

当社の由緒も石が関係しています。しかし、こちらの石は別物のようです。

たんなる平石でしょうか。

あるいは、道祖神のような位置づけで、陰陽石(=女性神)を祀っているような気もします。

 

 

◆石段

 3つのパートに分けられた石段は登りやすく作られています。

 

 

◆ゆったりとした踊り場

 

 

◆手水舎

 

水は止められていました。水盤に溜められた水を使っての禊となります。

 

 

◆二之鳥居

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 カチッとして端正な表情の素木社殿。上品な美しさが漂います。

 

 

◆由緒(=伝説)

霊石があがる

 明和元年(1764年)銚子の海底から青く光る石が2個あがりました。石は、住民の願いを叶える霊石でした。そののち、霊石を相模の石尊権現(=大山阿夫利神社)に奉納しようということになりました。

 

大山へ

 大山に向けて、巡行が始まりました。途中、当地に着いた際、青い衣をまとった翁が運び手の夢枕に立ち、次のように告げました。

 

 「我を高西新田の鎮守社に合祀せよ」

 

当社に奉納

 人々は、指示に従って大山行きを中止。当社境内の小高い場所に祠を建て、霊石を奉納しました。

by境内の由緒版

 

 

◆幣殿

 

 

◆本殿

 

 

 

石尊権現

 相模大山では、古代から山岳信仰に基づく阿夫利神社(アフリノカミノヤシロ)があり、大山そのものを「アフリノカミ」として祀る社が《山麓にあった》ものと考えられています。

 

 後世、大山の禁足地は仏教の修行場となり、大山寺が創建。山頂の磐座や瀧が大山寺内の聖地となり、磐座は「石尊権現」として大山寺本宮(=石尊社)となりました。

 

 このように、石尊権現は山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合神です。

 神仏分離が行われる前、相模・雨降山大山寺から勧請された石尊社は全国にありました。

byウイキを要約

 

 

 

 

 

◎大山詣と青石

 江戸時代、大山は江ノ島と並んで江戸近郊の観光地となり、大山詣が盛んになりました。関東一円で「講」が組成されました。ちなみに、東京の国道246号(=青山通り)は大山道でした。

 

 そして、当社の青石。これが霊石と分かったので、大山に奉納しようとした村人たち。この判断は大山詣の流行などもあり、自然な流れだったのかもしれません。

 

 

 

【奥宮】

境内から、さらに登っていきます。

 

◆奥宮 登拝口 

石段入り口に鳥居をしつらえ、下宮が鎮座します。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆奥宮

 由緒によれば、こちらの社殿に青く光る霊石 2体が安置されているとのことです。

 

 

 

 

◆左手の不明社

 木製の刀剣?が納められていました。

これは、大山阿夫利神社の「納太刀(おさめたち)」を意識したものと思われます。刀剣というより、包丁に近い感じでした。

 

※納太刀・・・源頼朝が平家打倒の挙兵の際、大山阿夫利神社に太刀を納めたとの伝説があります。これが、民衆にも広く知られるようになり、人々は競って木刀を納めるようになりました。

by大山阿夫利神社HP

 

 

境内に戻ります。

 

 

 

【境内点描】

◆神楽殿と神輿庫

 

 

◆社務所

 御朱印はこちらで授与されます。

 

 

◆境内社

 稲荷神社が鎮座しています。

 

 

お約束の赤色幟。正一位の白抜きです。

 

 

 

【御朱印】

 すべてを終え、帰ろうとしたとき、1台の軽トラックが駐車場に入ってきました。宮司さんか、氏子さんか分かりませんでしたが、御朱印の有無を打診。授与できる、とのことでした。

 

 この御方、週に1回だけ清掃に来る、とおっしゃっていました。実に幸運でした!

 

 

 

【参拝ルート】

2022年 1月27日

START=北総線・千葉ニュータウン中央駅着8:38~100m~北口バス乗り場~白井市・コミュニティバス 8:50発→東ルート→「宗像神社」9:03着~0m~①清戸宗像神社~700m~船橋カントリークラブ・クラブハウス~②清戸の泉&弁財天~クラブ正門~30m~コミュニティバス「福祉センター」11:13発→東ルート→「市民プール」11:20着~10m~③神々廻 厳島神社~550m~千葉レインボーバス「神々廻」11:37発→白井車庫行き→ 「白井車庫」11:41着~550m~④十余一香取神社~700m~石尊阿夫利神社・一之鳥居~850m~⑤石尊阿夫利神社 ~1.2km~コミュティバス「茅橋台」13:28発→北ルート→「西白井駅」14:02着~170m~北総線・西白井駅着14:05=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆梯子立て

 当社の例大祭は、7月の最終週の土曜・日曜。「梯子立て」と呼ばれる奇祭が斎行されています。各地区を引き継がれた神輿が21時ころ当社に到着。神輿は、境内へと続く急な石段を右へ左へと揺れながら上っていきます。

 

 ちなみに、下の写真。 太平洋戦争激戦地で昭和20年に撮られた超有名写真を想起します。 

 

 

 石段を上りきると、境内にて「梯子立て」が始まります。

担ぎ棒の先を地面につけ、神輿を梯子のように立て、地面に勢いよく倒します。

 

(写真:千葉県公式観光物産サイト「まるごとe!ちば」より)

 

 見物客の大歓声の中、地響きをたて地面に何度も神輿を叩きつけ、悪霊を祓います。(了)