天之御中主神社
(あめのみなかぬし)
創建は、寛永3年(1626年)。当社は、もともと妙見菩薩を祀っていました。
明治の「神仏分離令」により、神社へと転身した際、天之御中主神へと祭神変更しました。
◇鎮座地:千葉県佐倉市上志津962
◇最寄駅:京成線・志津駅~1.3km
◇御祭神:天之御中主神
◇御朱印:たぶん、なし
◆社号標
天之御中主神は、 『古事記』上巻の冒頭、天地開闢の際、最初に現れた神です。
至高神・最高神などと呼ばれますが・・・、
①たんに最初に出現しただけで、何の事蹟もありません。
②『延喜式』神名帳において、この神を主祭神とする神社は1社もありません。
by『日本の神々』鎌田東二
つまり、天之御中主神とは、明治維新以降に信仰されるようになった「新しい神」です。
→明治初頭、廃仏毀釈運動が吹き荒れ、多くの寺院が生き残るため神社へと転身しました。ご本尊(=仏教)から御祭神(=神道)へと変えるに当たり、古事記から調達した神が天之御中主神なのです。
とはいえ、明治元年=1868年ですから、天之御中主神が世間に認知され、信仰対象となってから150年以上経過しました。
◎なぜ認知されなかったのか
天之御中主神の出現が書かれた『古事記』が中世以降、国学者すら読めなかったためです。
どういうことかというと、平安時代に平仮名とカタカナが発明されたことに関係します。この結果、時代の進行と共に古事記を読める人がいなくなりました。江戸時代に、本居宣長が登場するまで数百年もの間、『古事記』は誰も読めませんでした。したがって、古事記にほんの少しだけ書かれた神様となれば、その存在感が薄いものとなるのは頷けるところです。
◆参道
◆鳥居もしくは常夜燈の台座
参道の始点を結界していた痕跡です。
◆石段
超高齢者や足腰や膝が悪い方のために手摺りはあるにこしたことないです。
◆水盤
遺構です。
◆社殿
スレートもしくはトタン屋根+鉄骨で造られた覆い屋が社殿を保護します。
◆浦安・鶴亀
◆ご神木
【境内社】
◆天満宮
拝殿に向かって左手のスペースに鎮座。千羽鶴が奉納されています。
◆寄せ宮
拝殿に向かって右手のスペースに鎮座。覆い屋の中に石祠が2つ。
◆御祭神
左:疱瘡神、右:不明
このような小祠でさえ、きちんとお祀りされているところが凄いです。
【中世の遺跡】
平成12年、当社裏山において、中世の常滑焼大甕が出土。甕の中から、人骨・古銭・カワラケなどが出てきたそうです。
◆石祠
中世の遺跡がどのあたりになるのか。案内板などはありませんでした。
◆浅間大神石碑
◆社殿を見下ろす
【御朱印】
たぶんありません。
【参拝ルート】
2021年 9月20日
◆START=京成線・ユーカリが丘駅~1.8km~①高千穂神社~1.2km~ ②天之御中主神社 ~600m~③上志津八幡神社~1.2km~京成線・志津駅=GOAL
【編集後記】
◆新興宗教
天之御中主神は、妙見宮や水天宮などで祀られることが多いのですが、ほかにもいくつかの教団において主祭神となっています。
例えば、富士山信仰の1つである「実行教」。
富士山を国家鎮護の根元、地球の脳髄である、と説きます。祭神は、造化三神(ぞうかさんしん)で、とくに天之御中主神を元霊として崇拝します。
また、法華信仰から出発して神道化した「蓮門教」でも天之御中主神の霊徳を信じています。
繰り返しになりますが、天之御中主神は、活躍の記述がない神なので、つかみどころがなく、よく分からない神です。このような神さまには、一体どのようなご神徳があるのでしょう。
私には、霊的な受信力がないので、神様と会話できる方々にご教示願いたいものです。(了)