高千穂神社
《皇祖神=「日向三代」ほかを祀る神社》
この社号、宮崎県に鎮座する「あの」高千穂神社の分社もしくは勧請と考えるのがフツーです。しかし、境内の由緒碑を読む限り、このあたりは微妙です。
※日向三代とは、初代天皇=神武天皇の父神、祖父神、曾祖父神の3柱。
◇鎮座地:千葉県佐倉市中志津4-16-27
◇最寄駅:京成線・ユーカリが丘駅~1.8km
(※京成線・勝田台駅、志津駅、ユーカリ丘駅の各駅から「ちばグリーンバス」で高千穂神社バス停下車1分)
◇御祭神:彦火々出見尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、ほか多数
(→全ての祭神は、後述します。)
◇御朱印:なし
→宮司さんに確認
【表参道】
◆社頭
道路から12段ほど上がっていきます。住宅地の中に建つ神社です。というか、昔、周囲は田畑だったところが、宅地開発された感じです。比較的新しめの家々が建ち並んでいました。。
◆大鳥居
木製の明神鳥居のテッペンは、島木の上に笠木。さらに、その上に屋根がありました。
◆鳥居の注連縄
相撲の回しに付けられた下がり風のものが、注連縄を装飾していました。
◆社号標
社号標や社号碑は、一般に鳥居の外なのですが、当社は鳥居の内側にありました。
◆手水舎
水量は細いのですが、止めどなく流れています。
◆拝殿を遠望
当社は、神社本庁の傘下に属さない、単立神社です。
千葉県 宗教法人名簿には、「東京高千穂神社」と登録されていました。
→神社本庁に所属しない神社は、それぞれ思惑があるのでしょう。上納金の負担がバカにならないこと、宮司などの人事権が神社本庁にあること、などが考えられます。
ちなみに、出雲大社、靖国神社、日光東照宮、伏見稲荷大社、富岡八幡宮などのビッグネームも単立神社です。
◆拝殿
高千穂は、日向三代の宮である高千穂宮が置かれた、と伝わる神聖な地です。そこに、天孫降臨にまつわる伝承と在地信仰が融合。更に熊野修験も加わり、複雑な様相を呈します。
byウイキ
◆御祭神
九州との違いは配偶神を祀ってないこと
当社は、冒頭に記した「日向三代」の3柱とその御子神8柱を祀っています。
九州の高千穂神社との違いは《日向三代の配偶神を祀ってない》ことです。
すなわち、木花開耶姫命、豊玉姫命、玉依姫命、以上3柱の妃神が不在となっています。
このあたりのイキサツは不明です。
◎由緒について
境内に建立された由緒碑から、怪しさ満載?の「由来の記」を以下に記します。
→当神社は 西暦一九四九年十月 九州宮崎県西臼杵郡高千穂町官幣大社高千穂神社にて、初代宮司森谷鉄五郎氏が、二十有余年の修行を積み、神のお告げにより、病める人、悩める人、農を営む者には豊穣を告げ、商を営む者には繁昌を告げ、数多くの人を助け、
又九州高千穂神社に、物、心、両面の援助をし、九州高千穂に於いても、数多くの人を助け、生神様と崇められ、茲に唯一の分社、下総国志津ヶ峰に、上記御祭神を祀り、建立す。
以上です。
◇所感◇
気になった部分に下線を施しました。
まず、事実関係
→九州の高千穂神社が官幣大社に列せられた記録はありません。
次に、違和感
→「二十有余年の修行を積み、」という文言です。神社で修業?寺院ならまだ分かります。
有名ラーメン店で修業し、このたび当地に新規開店しました。的なノリを連想しました。(笑)
◆神饌
さまざまな、お供え物が見えます。
現・宮司さんが日々、真摯にお祈りなさっている姿が端的に表れています。素晴らしいです!
◆本殿
拝殿と同様、一般的な社殿建築とは少々異なる建物です。
【参考】
◆高千穂神社(宮崎県)
約1900年前の垂仁天皇時代に創建されました。
国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社です。
御祭神1:高千穂皇神(たかちほすめがみ)
御祭神2:十社大明神
◇高千穂皇神とは
「日向三代」と配偶神、すなわち夫婦神の総称です。
瓊瓊杵尊・木花開耶姫命
彦火火出見尊・豊玉姫命
鵜鵝草葦不合尊・玉依姫命
◇十社大明神とは
神武天皇の兄神=三毛入野命(みけぬのみこと)&その妻子神9柱の総称です。
・御妃神:鵜目姫(うのめひめ)命
・御子神:御子太郎(みこたろう)命、二郎命、三郎命、畝見(うねみ)命、照野(てるの)命、大戸(おおと)命、霊社(れいしゃ)命、浅良部(あさらべ)命
◆天安河原
(あめのやすかわら)
高千穂神社の北東、約8km
天照大神が岩戸にお隠れになった際、天地暗黒となり八百万の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟です。
*写真は「高千穂町HP」より。自由使用可です。
【境内社】
◆2棟並ぶ社殿
左:境内社・秋元神社
→社号標がなかったので、宮司さんに問い合わせました。
右:高千穂神社の拝殿
◆秋元神社
宮崎県高千穂町の秋元神社と同じ御祭神だとすれば、以下の通りです。
・国常立命(くにとこたちのみこと)
・国狭土命(くにさづちのみこと)
・豊斟淳命(とよくむぬのみこと)
【参考】
◆宮崎県の秋元神社
秋元神社という社号、筆者は初耳でした。よって、少し調べました。
建磐龍命(たていわたつのみこと)が諸塚大白山中腹に創建。1683年、現在地に遷座したと伝えられます。
拝殿が鬼門を向いて邪悪な気を抑え込んでおり、だからこそ秋元神社にはパワースポットとしての力があると言われています。
参道入り口と拝殿横の御手水は、秋元の山水で昔から御神水として信仰されています。
とのこと。
by高千穂町HP
※建磐龍命
神武天皇即位前14年~神武天皇93年は、古代日本の人物。阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)の名でも知られる。のちに神格化された。現在は阿蘇神社の祭神。
【境内点描】
◆回廊
◆休憩所
手水舎と見紛うばかりの建屋です。屋根の下には、木製のテーブルとベンチ。
◆社務所?
建築物としては、拝殿や境内社と似たような建付けです。
このような建物が、境内に4棟あります。宮司さん曰く、昔は結婚式場としても使ってもらっていたので、その関連施設とのことでした。となると、参集殿や直会殿などかと思われます。
【裏参道】
◆社頭
◆大鳥居
【御朱印】
ありません。
宮司に確認済。
【参拝ルート】
2021年 9月20日
◆START=京成線・ユーカリが丘駅~1.8km~①高千穂神社 ~1.2km~②天之御中主神社~600m~③上志津八幡神社~1.2km~京成線・志津駅=GOAL
【編集後記】
◆宮司さんの印象
時間帯はお昼休み時間。ご自宅でおくつろぎ中でしたが、電話でお話させてもらいました。物腰が柔らかく、筆者の質問にも1つ1つ丁寧にお答えいただき、良い宮司さんだなあ、と感じました。
昼休み明けに神社に戻るので、話の続きができる、と言ってもらいました。しかし、次の神社へ向かう予定でしたので、それは次の機会にさせてもらいました。
◆境内の雰囲気
神社の創建が昭和初期なので、さほど古い神社でもありません。つまり、《祈りの集積》は、まだまだかもしれません。境内の雰囲気は、とびきり清澄&清浄というわけではありません。しかし、拝殿内の豊富な御供え物や境内清掃をはじめ、日々の祈りや境内管理がしっかりなされているため、イヤな気はありません。まあまあの居心地でした。 (了)