大神神社・境内末社
御炊社(みかしぎ社)
大神神社は、配布する「境内図」に当社を記載いたしません。(2019年 3月時点)
大神神社宮司が著した『大神神社』には、紹介されています。社務所本館近くに鎮座します。
◇鎮座地:奈良県桜井市 大神神社境内
◇御祭神:御膳津神(みけつ)
◇御朱印:なし
◆山辺の道・路傍の石碑
三輪駅を降り、志貴御県坐神社と神坐日向神社を経て、山辺の道を北上します。
◆主要配置図
図は、大神神社・宮司が昭和46年に出した『大神神社』という本に掲載されているものです。
当社へのルートは2通り
①表参道の手水舎から社務所方面へ。
②裏参道の三輪山会館入り口から。
筆者は、神坐日向神社から山辺の道を北上(図の右手から)する、②ルートで訪問しました。
◆社務所-新館
山辺の道から裏参道に入ると、右手にコンクリートで建てられた社務所です。
◆大礼記念館
左手には、木造平屋の建物。
美しい破風は檜皮葺
◆社務所-本館方面へ
大礼記念館の向かいに入り口があります。
◆玉砂利の小径
社務所や貴賓館の前にしつらえてある、玉砂利の小径を斎館方面に向かいます。
◆参道入口
玉砂利の小径を進むと、左手に「御炊社参道」と書かれた案内板があります。見過ごしてしまいそうに地味なものです。
◆下り石段
案内板に従って狭い石段を濃緑の世界へと降りていきます。
◆社号にある「炊」
この名詞は「かしき」と「かしぎ」2通りの読み方があるようです。同様にして、社号のフリガナもネットでは両方ありました。
大神神社宮司をお勤めになられた方の書籍では「みかしぎ」と濁音表記でした。
◆御祭神:御膳津神
(別名:大御食津命ほか多数)
御膳津神は、食物を司る神さまです。
・大御食津臣命は、崇神天皇の時、止由気大神に従って天降った。
・大御食津命は、雄略天皇二十二年に、止由気大神が丹波から伊勢へ移った時に従った。
など、いくつかの記録があります。
by『祭神記』玄松子
例示した2点は、時代こそ異なりますが、止由気大神に従っている。この1点で一致します。
上記の「止由気大神」とは、外宮で祀られている豊受大神と同一神です。
伊勢神宮:天照大御神と豊受大神
イコール
大神神社:大物主大神と御膳津神
と、このような図式が成立するのか否か。
◆伊勢神宮の外宮と内宮
当社と大神神社の関係は、外宮と内宮のそれと同じ位置づけになるのでしょうか。すなわち、
食物全般を大きく司る神なのか、それとも大物主大神の食を差配する神なのか。
◆境内図に掲載しない理由
御炊社が大物主命に献上する神饌を掌る神を祀っているとすれば、伊勢神宮の内宮と外宮のような関係性になります。
そうなると、御炊社はたんなる境内社という次元でなくります。よって、軽い気持ちでお参りしてほしくない、という理由から「境内図」に載せない。と考えることもできそうです。
まだ3月なのに緑に溢れています。夏に訪れたら、どんな感じなのでしょう。
【付近の建物】
◆社務所本館or客殿
旧社務所です。今は、客殿としても運用されているようです。
この建物をひと目見て、我が千葉県のプライド=安房神社の社務所を想起しました。
◆瓜二つ
参考=安房神社・社務所
安房国一宮・安房神社の社務所。大神神社と見比べると、まるで双子のようです。
【御朱印】
当社の御朱印はありません。
大神神社の境内末社なので、大神神社の御朱印です。
【参拝ルート】
2019年 3月19日
「山辺の道」の古社を歩く
START:JR万葉まほろば線・三輪駅~950m~①志貴御県坐神社~300m~②神坐日向神社~250m~③成願稲荷神社~20m~④天皇社~裏参道(200m)~ ⑤御炊社 ~200m~大神神社・二之鳥居~表参道~祓戸神社~⑥大和国一之宮・大神神社~⑦神宝神社~くすり道~⑧磐座神社~⑨狭井神社~⑩貴船神社~⑪檜原神社~2.2km~巻向駅→万葉まほろば線→天理駅→TAXI(2.5km)→⑫石上神宮~2.5km~⑬夜都伎神社~2.3km~長柄駅→万葉まほろば線→奈良駅=GOAL
【編集後記】
◆神饌所
御膳津神から連想して、食物つながりで神饌所も見たいと思いました。大神神社の場合、拝殿と三ツ鳥居の間に建てられているため見ることができませんでした。
香取神宮・神饌所、安房神社・神饌殿が良い雰囲気なので、参考に掲載します。
◇香取神宮の神饌所
拝殿・本殿の左横です。背後は立ち入り禁止の森。
◇安房神社の神饌殿
渡り廊下で本殿と結ばれています。背後は、神体山とも言われる吾谷山。
◆言葉使い~「炊く」
関東では、お米を炊く場合に限定してこの言葉を使っているような気がします。そのほかの食材には、蒸(ふ)かす、煮る、茹でるという言葉を使います。「野菜を煮る」など。一方、関西ではお米以外の食材にも「炊く」という言葉が広く使われている。そんな、個人的印象があります。
◆境内図に載せないこと
本文で境内図に載せない理由を推測しました。別の理由として立地環境も想像できます。
御炊社の近くには『斎館』などもあり、静寂や清浄が維持された区域でした。案内図に載せてしまうと、無礼な観光客が来てしまいます。そうなると、平安な雰囲気を保てなくなる。だから載せないのかもしれません。(了)