志貴御縣坐神社 

(しきみあがたにます)

 

 当社は、『延喜式』において大社とされた、格式の高い神社です。創祀年代は不詳ですが、天平2年(730年)の『大倭国正税帳』にその名が記載されています。よって、1290年以上の歴史を持つ古社です。

◇鎮座地:奈良県桜井市金屋896

◇最寄駅:三輪駅~900m

 (JR・万葉まほろば線)

◇御祭神1:大己貴神

◇御祭神2:天津饒速日命

◇御祭神3:御縣の霊

◇御朱印:あり

 →三輪駅近くの三輪惠比須神社にて授与

 

 

 

【当社への道程】

 三輪駅を下車後、南下します。踏切を渡り、三輪小学校を左に見つつ右手路地に入って、天理教敷島大教会沿いを進みます。つまり、右折(南下)~左折(東進)~左折(北上)です。

 

 

◆一之鳥居

 霧雨の中、100メートルほど先に二之鳥居と森が遠望できました。

 

 

◆二之鳥居と鎮守の森

 

 

 

◆拝殿を遠望

 

社叢は3月なのでこんな感じです。しかし、夏場は鬱蒼とした森となるようです。

 

 

◆水盤

 手水舎はなく、水盤のみです。清めの水は水道栓から供給されます。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 社名にある「県(あがた)」とは、大化(「大化の改新」の大化)の前における地方行政の単位です。祭祀者としての性格を併わせ持つ県主(あがたぬし)が県を支配しました。

 

 

 

 

 

 

◆延喜式 祈年祭

 『延喜式』の祝詞の中にも「志貴」の名が出てきます。

祈年祭では、全国の式内社神主を都に呼びつけ、彼らに祝詞を読み聞かせます。

 

 この祝詞で天皇が祈願する神々は、伊勢神宮、大和の6つの御県の神、山口の神6社、水分(みまくり)の神4社、以上わずか17社のみです。

 

 

 

 

◆本殿

 堅牢な石の瑞垣に護られています。

 

 

◆ニギハヤヒ

 御祭神のうちの1柱、ニギハヤヒは、天孫=ニニギノミコトが降臨するより早い段階で、天から降臨した神です。それが神名に反映されています。しかし、高天原からではなく「天から」です。

 

 

◆御県の霊

 当社は、朝廷に献上するための野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神として祀る神社と言われています。

 

 

◆交通の要衝

東へは、伯瀬道(はっせみち)、伊勢を経て東国へ

南へは、磐余道(いはれみち)、飛鳥を経て紀伊方面へ

北へは、山辺の道、奈良、京を経て北陸・日本海方面へ

西へは、大和川の水運を使って難波・瀬戸内海方面へ

と、このように当地は交通の要衝でした。

古代王権、発展の拠点であった言われています。

by境内の案内板

 

 

 

 

 

【磐座】

 三輪山はじめ、このあたりは磐座が多く残っています。あまたある磐座の中でも、当社の磐座は評価が高く、メディアに頻出します。

 

 

◆磐座の条件

 磐座の条件は、大岩や奇岩だけではありません。それは、鹿島や香取の「要石」を見ても明らかです。

 要は、何らかの理由で人々が神秘的な感覚を持ってしまう石。それが磐座です。

 

 

◆等間隔で並ぶ4つの石

手前に、大きさが同じ石が2個見えます。これは、等間隔で横に並ぶ4個の石の一部です。

 

 

 

【境内社】

◆不明社

 春日・琴平・厳島の各社がある(by 松玄子『祭神記』)とのことですが、特定できません。

 

 社殿は2つだけでした。どちらかの社殿が寄せ宮ということになります。

大きめ社殿が春日神社、小さい方が琴平神社と厳島神社の合祀殿といったところでしょうか。

 

 

 

【磯城瑞籬宮趾】

(しきみずかきのみやあと)

 境内には、標記の石碑が建てられています。

 

 磯城とは、周囲を堅固な石で守った祭場を意味します。『古事記』の「崇神記」には、師木水垣宮とも記されます。

 

  第10代・崇神天皇の宮が当地にあったとされています。 

これまでの欠史8代(第2~第9代)の天皇の多くが、葛城山の麓に皇居を構えたのに対して、崇神天皇は初めて三輪山の麓に足跡を残しました。

(注)古代は、死者が蘇らないように、1代ごとに都や居館を壊したため何も残っておりません。

 

 

◎崇神天皇のこと

 ①実在が確かな最初の天皇と言われています。

御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と讃えられています。御肇国とは、「初めて整った国を治める」という意味です。

 

 ちなみに、神武天皇も「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)とされていますが、始馭天下とは、「初めて天下を治める」の意味であり、初代天皇と理解されます。

 

 ②天神地祇を崇敬した天皇とも言われています。

 皇居で祀っていましたが「畏れ多い」(=祟られた)とのことで、それをやめました。

・天神=アマテラス(天照大神)→豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)に託し、笠縫邑(かさぬいむら)にて祀らせました。

・地祇=オオクニタマ(倭大国魂神)→淳名城入姫(ぬなきいりひめ)に預け、祀らせました。

 

 

◆感染爆発
 当社境内の案内板から、当該部分を抜き書きします。

 

 記紀によりますと崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような疫病が発生しました。

これは三輪山の神、大物主大神のしたこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い神の子孫となる大田田根子を探し出しました。

そして、彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。

 

 

◎参考文献

・ 『図説 飛鳥の古社を歩く』和田 萃(河出書房新社)

・『飛鳥ー歴史と風土を歩く』和田 萃(岩波新書)

・『歴代天皇事典』高森明勅(PHP文庫)

 

 

 

【御朱印】

 三輪駅前の『三輪惠比須神社』でもらえます。

 

 

 

【参拝ルート】

2019年 3月19日

「山辺の道」の古社を歩く

STARTJR万葉まほろば線・三輪駅~950m~①志貴御県坐神社 ~300m~②神坐日向神社~250m~③成願稲荷神社~20m~④天皇社~裏参道(200m)~⑤御炊社~200m~大神神社・二之鳥居~表参道~祓戸神社~⑥大和国一之宮・大神神社~⑦神宝神社~くすり道~⑧磐座神社~⑨狭井神社~⑩貴船神社~⑪檜原神社~2.2km~JR巻向駅→万葉まほろば線→天理駅→TAXI(2.5km)→⑫石上神宮~2.5km~⑬夜都伎神社~2.3km~JR長柄駅→万葉まほろば線→JR奈良駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆天皇との結びつき

 『日本書紀』によると、磯城県主出身の女性が天皇に嫁いでいます。ただし、欠史8代の天皇です。

→第3代=安寧天皇、第4代=懿徳天皇、第5=孝昭天皇

 

 皇室の外戚となること。これは、蘇我氏や藤原氏が用いた手法です。架空の存在とされている欠史8代の天皇に対して、こうした記述を挿入すること。これは、日本書記の編集を統括した藤原氏になんらかの思惑があったのかもしれません。(了)