大神神社・境外摂社

 神坐日向神社 

(みわにますひむかい)

 

 当社は、大神神社の南側。静寂な地に鎮座します。

「かつて、三輪山の頂上に鎮座していたが、明治になって当地に遷座。」というのが通説です。しかし、調べてみたところ、必ずしもそのように言い切れないことが分かりました。

◇鎮座地:奈良県桜井市三輪123-1

◇最寄駅:三輪駅~750m

 (JR万葉まほろば線)

◇御祭神1:櫛御方命(くしみかた)

◇御祭神2:飯肩巣見命(いいかたすみ)

◇御祭神3:建甕槌命(たけみかづち)

 →鹿島神宮の御祭神とは別神

◇社格等:延喜式・式内大社

◇御朱印:なし

 

 

 

【当社への道程】

 まず、三輪駅から志貴御県坐神社に行きました。そこから山辺の道を300mほど北上します。

 

◆山辺の道

 三輪山の麓から石上神宮を経て奈良山に至る道で、わが国最古の道路です。

 

 

 

 

◆表記と訓(よみ)について

 「山の辺の道」との表記が一般的です。

しかし、飛鳥学の第一人者=和田 萃教授は、「山辺の道」としています。筆者もこれを支持。

→根拠:『和名類聚抄』の記述

 大和国山辺郡=夜萬乃倍

 上総国山辺郡=也末乃倍

との訓みを付しております。

いづれも 《山辺=ヤマノベ》 と読まれていたことが分かります。

by『図説 飛鳥の古社を歩く』和田 萃

 

 

 

◆社号板

 「神」と書いて「みわ」 と読ませます。

こういうところにも強烈なプライドを滲ませています。

 

 

 

 日神祭祀の祭場 

 「日向」の文字があるように、かつて三輪山では日神祭祀が行われていました。

 

 『日本書紀』 にも、三輪山で太陽祭祀が行われていたことが書かれています。

→崇神天皇48年正月の条《天皇の後継者を決める夢占が三諸山で行われた》と。

 

 つまり、三輪山は、大物主神の籠りいます神体山であるとともに、日神(太陽神)の祭場でもあったのです。

by『大神と石上 -神体山と禁足地-』和田 萃

 

 

◆太陽神のこと

  この場合、太陽神とはアマテラスのことではありません。天照大神は、巫女神=オオヒルメノムチを原像とした舒明~天智天皇以降に創り出された政治的な神です。

 

 5世紀以前の場合、タカミムスビの元型となる自然神としての太陽神です。

 

 

◆日神祭祀

 三輪山の神=大物主神が祟り神としての色彩を濃くするようになったのは、ヤマトの大王に代わって三輪君が祭祀を行うようになってからです。

 また、ヤマトの大王が行っていた日神祭祀が伊勢に移されたことも、その理由の1つでしょう。伊勢では、未婚の皇女が斎王として太陽神に奉仕しました。

 

 

◆御祭神のこと

 大物主大神の系譜です。古事記に登場しますが、日本書紀には出てきません。

  →大物主大神の御子神=櫛御方命

  →櫛御方命の御子神=飯肩巣見命

  →飯肩巣見命の御子神=建甕槌命

※ちなみに、当社祭神ではありませんが、建甕槌命の御子神は大田田根子(意冨多多泥子)。

 

 

◆入れ替わり

 当社は、式内大社「神坐日向神社」の論社です。

ただし、 本来、三輪山・山頂の神峯鎮座の高宮社が神坐日向神社であり、当社は高宮社と考えられています。

 

 明治維新後に、両社の名前が誤まって入れ替わったとされています。

by『祭神記』玄松子

 

 

 

 

 

 明治維新のドサクサで、神坐日向神社と高宮神社が入れ替わってしまった。

だとすれば、本来の高宮社とはどのような神社だったのでしょう。

 

 そもそも、高宮神社の高宮とは高宮氏に由来するんだろうと思います。

高宮氏とは大神神社の宮司家で、祖先は大神氏です。

 

 

 

◆祖霊社とする説
 高宮家の系図によれば、大国主命-八重事代主命-○-天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ=クシミカタ)-イヒカタスミ-建甕尻命(タケミカジリ=タケミカツチ)-○-○-オオタタネコ。 です。


 祭神から見るかぎり、当社は、大神神社の宮司家・高宮氏がその祖神を祀った社かと思われる。 (ネット「戸原の社寺巡拝記」)とする説もあるようです。

 

 

 

【三輪山 山頂】

◆摂社・高宮神社(こうのみや)

御祭神:日向御子神

(ひむかいのみこのかみ)

 

 当社は、三輪山の頂上、神峯(あるいは高峯)に鎮座します。御祭神は大物主神の御子。本殿は小さな池の中にあります。

 

 江戸時代の当社神事勤行日記に、「雨乞いのため入山し、頂上において祈請。」との記録が出てきます。これは、現在も「氏子の雨乞い入山」として続いています。つまり、祈雨の龍神信仰もまた息づいているのです。

 by『大神神社』中山和敬(元・大宮神社宮司) p.70 *モノクロ写真も含

 

 

 以上、神坐日向神社のご紹介でした。

 

 最後に、当社はどのような神社なのか。

もう1度「まとめ」ます。

①小社ながらも、延喜式・式内大社の論社である。

②三輪山で日神祭祀が行われていた痕跡の1つである。

③社号の入れ替わりがあった模様。

 ・三輪山頂=神坐日向神社(=日神祭祀)→現社号・高宮神社

 ・三輪山麓=高宮神社(=祖霊社?)→現社号・神坐日向神社

 

 

 

【御朱印】

ありません。

当社は、大神神社の摂社なので、大神神社の御朱印を掲載しておきます。

 

 

 

【参拝ルート】

2019年 3月19日

「山辺の道」の古社を歩く

START:JR万葉まほろば線・三輪駅~950m~①志貴御県坐神社~300m~ ②神坐日向神社 ~250m~③成願稲荷神社~20m~④天皇社~裏参道(200m)~⑤御炊社~200m~大神神社・二之鳥居~表参道~祓戸神社~⑥大和大和国一之宮・大神神社~⑦神宝神社~くすり道~⑧磐座神社~⑨狭井神社~⑩貴船神社~⑪檜原神社~2.2km~JR巻向駅→万葉まほろば線→天理駅→TAXI(2.5km)→⑫石上神宮~2.5km~⑬夜都伎神社~2.3km~JR長柄駅→万葉まほろば線→JR奈良駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆御子宮(みこのみや)

 社殿の傍らに立てられた高札には、「御祭神=櫛御方命が大物主命の御子神であることから、古図では「御子宮」として描かれている」と、記されていました。

 ちなみに、櫛御方とは「奇し御方」すなわち「霊妙なおかた」。高貴な御方なんでしょうね。

 

 

◆静寂な境内

 当社は、大神神社の南側に鎮座するため、人の流れが少なく、周辺は静寂です。

一方、大神神社の北側は、狭井神社、檜原神社など、有名神社が鎮座するため人の流れが多くなります。(了)