高房神社 

(たかふさ)

 当社は、香取神宮にほど近い山林に鎮座する、美しい神社です。かつては、香取神宮の境外摂社でした。(by『香取神宮小史』) 今は、その関係を解消しています。

◆鎮座地:千葉県香取市多田1998

◆最寄駅:JR成田線・佐原駅or香取駅

 (香取神宮の赤鳥居から1.1km)

◆御祭神:建葉槌命

◆御朱印:なし

 

 

 

【高房神社への道】

◆北の鳥居

 香取神宮・赤鳥居を出発。王子の坂から王子神社を経由して、歩くこと1km。道に迷ったか!?と不安になった矢先、前方に広がる樹叢に鳥居を発見しました。

 

 

◆表参道へ

北鳥居はとりあえずスルー。 北参道は帰路に使うことにして、この鳥居を左手に眺めつつ、樹叢の周縁に沿って進み、表参道を目指します。途中、「高房稲荷神社」を一瞥して道なりに進むと、 左手に表参道への誘導路が見えてきます。

 

 

 

【表参道】

◆社頭

 社叢に溶け込む鳥居。この美しい風景を見て、気持ちは一気に高揚しました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆手水舎

 手水舎はなく、水盤のみ。しかも、浄水は供給されておりません。遺構です。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 掲げられた神額には、神社名ではなく、御祭神名が揮毫されていました。

 

 

◆神額

 経年劣化しておりますが、健葉津智命(たけはづちのみこと)と右書きされています。

 

 

◆御祭神=建葉槌命のこと

 日本書紀によれば、フツヌシとタケミカヅチの命令を受けて、「悪神」=カガセオと直接対決したのが、当社祭神=建葉槌命(タケハヅチ)です。

 →経津主と武甕槌は、先ず天香香背男(別名=天津甕星)という悪い神を征伐したのち、葦原中津国の平定に向かうと語りました。

 

 

 

 

◆権現造り

 拝殿ー幣殿ー本殿がつながっています。

 

 

◆「悪神」と言われたカガセオ

 当社・御祭神=建葉槌命に討たれた天香香背男(=天津甕星アマツミカボシ)について。

カガセオは常陸の大甕(現・日立市大甕)を根拠地にしており、派遣された建葉槌命は静の地(大甕の西方約20km)に陣を構えて対峙~討伐しました。

by『鹿島神宮』東実(=鹿島神宮宮司)学生社

 

 太陽神を祀る日本において、星神は服従させるべき神、まつろわぬ神、として描かれています。陽光を邪魔する雲も同様です。(よって、出雲を服従させました。) 

とはいえ、天津甕星は、今でも全国の星神社や星宮神社で祀られています。

 

 

 

◆本殿

 

 

◆御祭神のこと

 『日本書紀』では、建葉槌命。『古語拾遺』では、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)

と表記されます。ほかに、倭文神(しとりのかみ、しずのかみ)とも呼ばれます。

 

 

 

◆建葉槌命の別名

倭文神のこと

 天照大神が天の岩戸に隠れた際、《大神に献上する文布(しづ)を織った神》とされます。

by玄松子『祭神記』

 

 文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物です。

このことから、 倭文神は機織りの神 とされています。

 

 また、建葉槌命は、天日鷲命(=忌部の神)の弟神あるいは御子神とも言われています。

→香取神宮の第1摂社で祭神不詳の「側高神社」も、実は天日鷲命を祀っているらしいのです。(香取市役所教育委員会など)

 

 こうした状況証拠から、香取神宮にはやはり阿波忌部の影も垣間見えます。

 

 

 

 

 

◎建葉槌命は織物の神なのに、なぜ「悪神」カガセオを討つことができたのでしょう?

①実は武神だった

 建葉槌命の「建」=「武」、「葉」=「刃」と読み替えると武刃槌となり、武神である、という説。

 

②織物神だから討てた

 織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。

 

ほかにも、祭祀で祈り倒した。などの説もあります。

神話は事実に基づき、脚色などして作られています。これを踏まえれば①のような気がします。

 

 

 

【境内社点描】

◆大椙神社(おおすぎ)

 石祠には、享保21年(1736年)と刻まれていました。今から285年前です。

境内社はほかにありません。

※大杉神社について

 本社は、茨城県阿波市に鎮座。別名は、あんば様。

三輪の大神神社(=倭大物主櫛甕玉命)を初めに祀り、1241年に今宮神社から大己貴命少彦名命の二柱を勧請して合祀。この祭神構成は、大神神社と同じです。

 →鎮座地の地名=阿波。これまた、阿波忌部氏を連想させます。

 

 

 

◆御神木

 

 

◆境内から表参道を眺める

 

 

以下では、北参道から境内を目指します。

 

 

【北参道】

 こちらは、下り参道。坂道と石段で構成されています。

 

 

◆北の鳥居

比較的最近になって建立されたと思しき石鳥居です。

 

 

◆土面の下り坂

 

 

◆社殿全体を遠望

 北参道は、坂道の途中で均整がとれた拝殿と本殿が一望できます。

 

 

◆下りの石段

 坂道+石段の下り参道は、境内を間近にしたところで、直角に左折です。

 

 

◆北参道の終点

北参道を降りてくると、拝殿と本殿の側面が視野に入ってきます。美しい景色です。

 

 

◆地形

  当社・表参道は、山林の谷あいから高台へと登っていきます。丘の中腹やや上方の斜面を造成して社殿が建てられていました。

北参道は、境内地からさらに上へと登っていきます。登りきると、そこは高原状の土地で樹叢、農地、宅地などが広がっています。

 

 

 

【雑話・高房神社】

◆鹿島神宮

 高房神社は、鹿島神宮にもあります。祭神は当社と同じく建葉槌命。

先ずは、高房社にお参りしてから拝殿に向かうのが古くからの慣わしです。

*写真は筆者撮影(2018.9.28)

 

 

◆香取神宮

 香取神宮では、かつて境内に「星塚」を設けて、星神・カガセオを祀っていました。

今、星塚はなく、1月に『星鎮祭(ほしづめ祭)』を斎行し、カガセオを鎮撫しています。

 写真は、当日限りの星塚に忌竹を刺す神職。諏訪大社・御柱のように四方に突き立てます。

*写真は、筆者撮影(2020.1.16)

 

このように、経津主大神・武甕槌大神・建葉槌命は、星神・香香背男(=天津甕星 あまつみかぼし)を介して、つながっています。

 

それにしても、フツヌシやタケミカヅチがいる高天原にまつろわなかった「悪神」=カガセオでしたが、コトハヅチに征討されました。

コトハヅチは、機織りの神でありながら、かなり勇猛だったのでしょう。

 

 

 

【御朱印】

ありません。

 

 

【参拝ルート】2021年 6月30日

START=JR成田線・佐原駅10:10着~コミュニティ・バス停留所→大戸循環ルート→香取神宮バス停~130m~香取神宮 斎田~350m~赤鳥居~270m(表参道)~総門&楼門~①香取神宮 拝殿~「茅の輪くぐり」&匝瑳神社~表参道~赤鳥居~220m(王子の坂)~②王子神社~850m~ ③高房神社 ~900m~氷室井の石碑~110m(氷室坂)~④姥山神社~180m~⑤佐山神社~150m~勅使門~100m(切通し道)~⑥璽社~推定250m(御神井道)~⑦狐坐山神社&御手洗池~推定300m(御神井道)~香取神宮 斎庭~⑧神事「夏越の大祓」~表参道~香取神宮バス停→コミュニティ・バス→佐原駅16:20着=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆偶然

 本日は、7月7日。七夕です。

当社の祭神は、機織神。

そして、征討されたのが星神。

 

機織と星のセット

  &

七夕

という組み合わせ!

この偶然に驚いています。

 

 このことから、鹿島神宮を想起しました。

鹿島神宮に境内社はたくさんありますが、楼門の先は参道脇に2社しかありません。

それは・・・

 

 高房社と熱田社(=旧称・七夕社)

 

なのです!

すなわち、機織と星と七夕です。

 

 

◆高房神社の雰囲気

 前夜にたっぷりと雨が降りました。そのおかげで、しっとりとした参道や境内を味わうことができました。表参道の入り口は谷なので、湿気が漂っていました。また、水分をいっぱい含んだ社叢では、木々の芳香が気持ち良く、深呼吸を繰り返しました。

 

 当社への道中あるいは境内でも人影などなく、筆者は香取の自然と一体化できました。

ふんだんな緑に包まれる当社。とても居心地の良いご神域でした。(了)