国史見在社(げんざいしゃ)

 高瀧神社 

(たかたき)

 

 当社は、かつて「賀茂神社」と呼ばれていた、美しい古社です。

◇鎮座地:千葉県市原市高滝1番地

◇最寄駅:小湊鉄道・高滝駅~650m

 (→JR内房線・五井駅から約40分)

◇御祭神:邇邇芸命、玉依姫命、別雷命

◇御朱印:あり

◇社格等:国史現在社、旧社格=県社

 

 

【国史見在社】

 当社は、国史見在社です。 

(現在社とも言う)

 一般に、古社と言えば『延喜式』神名帳に記載された「式内社」が想起されます。

ほかにも、国家が編纂した古い歴史書に記述された神社が存在します。

これを「国史見在社」と称しています。

 

 古い歴史書とは、①日本書記、②続日本紀、③日本後記、④続日本後記、⑤文徳天皇実録、⑥日本三代実録、の6種。これらは『六国史』と称されます。

 

 当社は、従五位下の神階を授かっており、それが『日本三大実録』に記録されています。

『日本三大実録』の成立は901年。

よって、 当社には、千年を超える歴史があります。

 

 

 

【表参道】

 高滝駅から450mほど進むと、西参道入口に着きます。

一之鳥居から手水舎・二之鳥居と順に進みたいので、西参道はスルーします。

なぜなら、この参道は、いきなり本殿の横に出てしまうのです。これは、ダメです。

 

 

◆一之鳥居

 西参道入口から高滝湖方面に180mほど進めば、一之鳥居に到着です。

 

 

◆松尾橋

 当社は、松尾山に鎮座しているので、この小橋の名称はこれに由来すると思われます。

 

 

◆石段の構成

 松尾橋から二之鳥居までが石段・PART1

 広~い踊り場に手水舎や社務所があります。

 踊り場から拝殿までが石段・PART2です。

 

 

◆杉の古木

 石段PART1を長方形として眺めてみます。

四角形の角(=四隅)に杉古木がそびえ、まるで石段を守護する「御柱」といった恰好です。

 

 

 

 

◆二之鳥居

 

 

◆手水舎

花が飾られ、きちんと管理されています。

 

 

◆拝殿を遠望

  石段「PART2」越しに拝殿を望みます。

この位置は、拝殿の最も美しい姿を見ることができます。

入母屋破風が形成する稜線と唐破風の組み合わせ。そのデザインの妙がよく分かります。

 

 

◆拝殿前が狭い

 石段を上った位置から拝殿までの距離はわずか2~3m。近すぎて、唐破風しか見えません。

 

 

◆社史

①高滝神

 伝承では、白鳳2年(672年)に創建。

 

②賀茂明神

 承安年間(1171~75年)に山城国の賀茂社を勧請して、賀茂明神と改称。

つまり、玉依姫命と別雷神は、創建から500年以上を経て祭神となったということ。

 

③高瀧神社

 明治11年、賀茂明神から現社号に改称。

 

 

 

◆元々の祭神

 創建から500年後に賀茂神・2柱を合祀した。

この社伝をふまえ、創建時の神を推察する説が以下です。

 

「瓊瓊杵尊が本来の祭神になりそうだが、このような東国の僻遠の地に、千数百年もの昔に瓊瓊杵尊を祀ったとは、とうてい考えられない。」

 

「粟又に住み、土地を拓いた人たちが共同の守護神を祀っていたことに起源があると思われる。しかし、その守護神の実体については、今からなんとも考えようがない。」

by『房総の古社』菱沼勇

 (注)粟又とは、養老川上流で水源に近い地域。

 

 

 

 

 

 

◆高滝神社の前史

 『房総の古社』の菱沼氏は、粟又に住んだ開拓者が祀った守護神の実体は分からない、と書いていました。

しかし、その実体を示す以下のような記述を発見しました。

 

 ①養老川上流の粟又(泡俣)の滝に2柱の男神を祀る社があり、これを高滝神と称していた。

 ②養老川中流に位置する松尾山に女神を祀る社があった。

 そして・・・

  ①の高滝神を、②の女神の社に合祀したのが、今の高滝神社ということになる。

 by『千葉大教育学部紀要』

「ダム建設の意図せざる結果」より「高滝地区の由来」を要約

 

 

◎男神=2柱&女神=1柱

 この男女比は、現在の当社祭神(瓊瓊杵尊・別雷命&玉依姫)男女比と符合します。

 

 

 

◆本殿

 

 

 

【神職への取材】

◆伝承:賀茂社の勧請

承安年間(1171~75年)に山城国の賀茂社を勧請して、賀茂明神と改称。

 

◎この伝承に関するインタビューを2つ

①千葉大・井上孝夫氏→権禰宜

 権禰宜であり、郷土史家でもある小幡重康氏は次のように語りました。

◇「かつて京都の賀茂社に行って、この伝承を裏づける資料を探した。しかし、結果は何も出てこなかった。おそらく、京都の賀茂社との直接的な関りはないのだろう。

by前出「高滝地区の由来」(千葉大 紀要)

 

 

②三諸→神職(=宮司もしくは権禰宜)

 筆者は、《当社と賀茂社の関係》について取材し、回答を得ました。

◇当社にて、代々・宮司を勤めている平田家は京都の出身である。

京都の賀茂社は、平田家の氏神だった。

◇以上から、当社では宮司家の氏神(=賀茂の神)を祀っている。

 

 

 

◆そそり立つ断崖

 本殿の裏手は、ほぼ垂直な感じの山肌が壁のようにそそり立ちます。

 

 

 

【境内点描】

◆ご神木

 

 

◆神楽殿

 

 

◆神楽殿と寄せ宮

 寄せ宮は10社祀られており、すべての社殿に神輿が安置されていました。

 

 

◆寄せ宮

 右から順に、松尾神社、神明宮、八坂神社、稲荷神社、疱瘡神社、竈大神、猿田彦神社、道祖神、白鳥神社、金刀比羅神社、以上10社。

 

 松尾神社が境内社筆頭の位置にあること。これは、松尾山に鎮座する当社にとって、意味がありそうです。

 

 

◆社務所

 

 

◆賀茂護国神社

 当社氏子地域の英霊をお祀りしています。

 

 

 

【西参道】

◆石段

 画面に映っておりませんが、左隣にはスロープがあります。

 

 

 

 

 

 

当社は高滝湖の湖畔に鎮座します。

境外に出て、対岸にある「高滝湖の鳥居」に向かいます。

 

 

◆橋からの眺め

 美しい湖ですが、自然の湖ではありません。養老川にダムを造った結果の人工湖です。

 

 

◆湖の鳥居

 ダム湖が造られた以降に建立された水上鳥居です。

観光資源の1つにすぎないのは分かっていましたが、この場所で昼食を、と予定しました。

 

 

◆松尾山

 湖の鳥居をあとにして、橋の中ほどから松尾山を撮影。

当社が鎮座する山林は、周囲の山々から独立した丘陵です。

 

 

 

【双葉葵】

 常夜燈と水盤の二葉葵、あろうことか葉のデザインが異なっていました。

 

◆常夜燈

 

 

◆水盤

 

『秦氏本系帳』の中の「丹塗矢の神話」によると

 

 上賀茂神社の賀茂別雷大神は、松尾大社の祭神である。

すなわち、大山咋神である。 

 

◇当社の神紋は二葉葵

二葉葵を神紋とする神社

 →賀茂社と日吉大社(=山王日枝神社)

 

◇当社は松尾山に鎮座

 →松尾大社の祭神は大山咋神

  日吉大社の祭神も大山咋神

  松尾の神は賀茂の神

 

 つながっています。

 

 

 

【御朱印】

 御朱印の上に双葉葵の印。デザインは、常夜燈のそれと同一です。

 

 

 

【参拝ルート】2021年 5月10日

START=JR五井駅~乗り換え~小湊鉄道・五井駅10:05発→「上総中野」行→10:46着 高滝駅~650m~表参道~①高瀧神社~西参道~850m~高滝湖の鳥居&昼食~900m~賀茂護国神社~550m~高滝駅 13:06発→「上総中野」行→13:27着 飯給駅~100m~②飯給白山神社~飯給駅14:24発→「五井」行→15:15着小湊鉄道・五井駅~JR五井駅=GOAL

※五井⇔高滝(周遊券 1,420円)途中下車有効

→通常の片道運賃が930円なのでお得!

 

 

 

【編集後記】

◆千葉県と賀茂氏

 加茂郷は、房総半島のほか伊豆半島にもあります。本貫地・葛城から峠を越えて伊勢に出る。鳥羽を出航して東に向かえば、黒潮に乗せられて伊豆や千葉に到着します。

 

 当社がある賀茂地区のほかにも、外房には鴨川市があり、南房総市には賀茂神社があります。こうしたことから、古代、賀茂氏は房総に来ていたような気がします。

 

 

◆高瀧神社

 当社境内は、清澄&清浄さに満ちている!

と、言い切れるほどではありません。

とはいえ、境内には清々しさを感じることができる、居心地よい神社と言えるでしょう。(了)