八重垣神社
当社は「祇園祭」という夏祭り&女神輿の渡御が有名です。
創建は、弘仁年間(810~824年)。物部匝瑳連・足継(たりつぐ)公の勧請。 by千葉県神社庁
宮司は匝瑳氏の世襲です。足継公は、どこのなんという神社を勧請したのでしょう。
◇鎮座地:千葉県匝瑳市八日市場イ2940
◇最寄駅:JR総武線・八日市場駅~350m
◇御祭神:素盞之男命、事代主命、稲生大神(いなりだいじん)
◇御朱印:あり
【表参道】
この鳥居は、1711年の建立です。300年間も無事だったことだけで、既に凄いことです。
◆手水舎
神社名は御祭神が詠んだとされる和歌に由来するとされます。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
→稲田姫を娶ることができた喜びを素直に表現した素盞之男命です。
◆由緒
弘仁2年(812年)、物部朝臣 匝瑳連 足継公が鎮守府将軍としてこの地を訪れた際、祖神=物部小事(おごと)の直筆に係わる「八雲の神詠」を奉祀。そのために、出雲の神を奉載し「牛頭天王社」として祀った事に始まる。by当社・由緒板
*八雲の神詠とは、上記=八重垣の和歌のこと。
【社殿】
◆拝殿
長らく「牛頭天王社」として崇敬されてきた当社。
明治維新~神仏分離の際「八重垣神社」を名乗りました。
◆神紋
二重亀甲に剣花菱
このご神紋は、出雲「八重垣神社」のそれと同じです。となると、冒頭に記した「どこから勧請したのかについての問いは氷解した、と言えるでしょう。
亀甲絡み神紋は出雲系神社に頻出します。
◆祭神の向き
出雲八重垣神社の御祭神は、正面を向いておりません。向かって左向きです。これは、出雲大社と同じスタイルです。
拝殿が東向きなので、左=南向き。これは、境内社・伊勢宮&祖神=足摩乳神社に背を向け、貴布禰神社&祖神=手摩乳神社を見つめます。
では、当社はどうか。
拝殿は西南向き。ご本殿の内陣は分かりません。もしも、御祭神が向かって左を向いているとすれば、北西向きとなります。
◆本殿 覆い殿
◆本殿
太陽と覆殿が創る光線がスポットライトのようです。
◆光と影
陰影部分もまた美しい。
◆屋根
この覆殿の「いかつい」感じは、佐原八坂神社を連想しました。
【境内点描】
◆市神社
「由緒はわかりませんが、八日市場の市となんらかの関りがあるのかもしれません。」
by匝瑳市役所HP「匝瑳探訪」
◆三峯神社
「本社は埼玉県秩父市に鎮座し、三峯講という信者の集団が全国に広がっているとされ、市内にもいくつもの三峯講があります。」
by匝瑳市役所HP(前出)
◆石祠群
◆裏参道
表参道より、こちらのほうが駅に近いです。石段を上ると本殿脇に出ます。
◆社務所
当地の名家である匝瑳氏。こちら以外に、豪邸を構えていることでしょう。
【祇園祭】
毎年8月4日&5日に行われ、20基ほどの神輿が渡御します。神輿に水を浴びせるのは「お約束」。1530年の創始から、500年以上続く、地域の伝統行事です。
◆女神輿
本来、女性が神輿を担ぐことは許されません。しかし、当地では禁制が緩和され、女神輿が繰り出します。女神輿の渡御は1日めの夕方。その数なんと10基です!
担ぎ手に水が降り注ぎ、びしょ濡れです。しかし、それすら楽しそう。暑気払い&邪気払いですね。
*写真はネットから拝借。白、青、藍の「青天を衝け」カラーが美しいです。
当社を出て、「老尾神社」に向かう途中、小さな池の畔に弁天社がありました。
【田町辯財天】
かつて、農業用水を溜めた池だったそうです。当宮は池の守護神でしょうか。
◆太鼓橋
橋の先、正面に木製の社殿。
◆清々しい!
一般に、水辺には清々しい気が漂います。当社も例外ではありません。
◆奥宮?
雑草が生い茂っていましたが、社殿裏手にこのような石祠がありました。
◆藤棚
参道の藤は、 帰り道のほうが美しさを堪能できます。
【御朱印】
◆八重垣神社
月に1回、朔日に授与のようです。お出かけの際は、社務所に確認してください。
筆者が訪問したときは無人でした。匝瑳氏に電話しましたが不通でした。
◆田町辯財天
おそらく、ありません。
【参拝ルート】
2021年 4月19日
START=JR総武線・八日市場駅~350m~①八重垣神社~600m~②田町辯財天~600m~③老尾神社~600m~④宮本熊野神社~650m~⑤愛宕神社(八日市場口)~130m~⑥星宮神社~30m~⑦甲子神社~1.1km~八日市場駅=GOAL
※八日市場駅は千葉駅から約1時間。(各駅停車利用)
【編集後記】
◆八日市場
かつて毎月八日に市が開かれたことから、この地名となりました。定期的に市が開かれたほどですから、九十九里浜沿岸地域ではもっとも栄えた地域、ということでしょうか。
◆八重垣神社
境内は、社叢が少なく、民家が視界に入ってきます。そのため、世俗的な感じを否めません。当社は、「祇園祭~神輿渡御」を主宰し、観光資源の1つとして地域興しに寄与する神社。と、そういう方向性なのかもしれません。
とはいえ、境内が丁寧に清掃されているのは、素晴らしいことです。(了)
八重垣神社
当社は「祇園祭」という夏祭り&女神輿の渡御が有名です。
創建は、弘仁年間(810~824年)。物部匝瑳連・足継(たりつぐ)公の勧請。 by千葉県神社庁
宮司は匝瑳氏の世襲です。足継公は、どこのなんという神社を勧請したのでしょう。
◇鎮座地:千葉県匝瑳市八日市場イ2940
◇最寄駅:JR総武線・八日市場駅~350m
◇御祭神:素盞之男命、事代主命、稲生大神(いなりだいじん)
◇御朱印:あり
【表参道】
この鳥居は、1711年の建立です。300年間も無事だったことだけで、既に凄いことです。
◆手水舎
神社名は御祭神が詠んだとされる和歌に由来するとされます。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
→稲田姫を娶ることができた喜びを素直に表現した素盞之男命です。
◆由緒
弘仁2年(812年)、物部朝臣 匝瑳連 足継公が鎮守府将軍としてこの地を訪れた際、祖神=物部小事(おごと)の直筆に係わる「八雲の神詠」を奉祀。そのために、出雲の神を奉載し「牛頭天王社」として祀った事に始まる。by当社・由緒板
*八雲の神詠とは、上記=八重垣の和歌のこと。
【社殿】
◆拝殿
長らく「牛頭天王社」として崇敬されてきた当社。
明治維新~神仏分離の際「八重垣神社」を名乗りました。
◆神紋
二重亀甲に剣花菱
このご神紋は、出雲「八重垣神社」のそれと同じです。となると、冒頭に記した「どこから勧請したのかについての問いは氷解した、と言えるでしょう。
亀甲絡み神紋は出雲系神社に頻出します。
◆祭神の向き
出雲八重垣神社の御祭神は、正面を向いておりません。向かって左向きです。これは、出雲大社と同じスタイルです。
拝殿が東向きなので、左=南向き。これは、境内社・伊勢宮&祖神=足摩乳神社に背を向け、貴布禰神社&祖神=手摩乳神社を見つめます。
では、当社はどうか。
拝殿は西南向き。ご本殿の内陣は分かりません。もしも、御祭神が向かって左を向いているとすれば、北西向きとなります。
◆本殿 覆い殿
◆本殿
太陽と覆殿が創る光線がスポットライトのようです。
◆光と影
陰影部分もまた美しい。
◆屋根
この覆殿の「いかつい」感じは、佐原八坂神社を連想しました。
【境内点描】
◆市神社
「由緒はわかりませんが、八日市場の市となんらかの関りがあるのかもしれません。」
by匝瑳市役所HP「匝瑳探訪」
◆三峯神社
「本社は埼玉県秩父市に鎮座し、三峯講という信者の集団が全国に広がっているとされ、市内にもいくつもの三峯講があります。」
by匝瑳市役所HP(前出)
◆石祠群
◆裏参道
表参道より、こちらのほうが駅に近いです。石段を上ると本殿脇に出ます。
◆社務所
当地の名家である匝瑳氏。こちら以外に、豪邸を構えていることでしょう。
【祇園祭】
毎年8月4日&5日に行われ、20基ほどの神輿が渡御します。神輿に水を浴びせるのは「お約束」。1530年の創始から、500年以上続く、地域の伝統行事です。
◆女神輿
本来、女性が神輿を担ぐことは許されません。しかし、当地では禁制が緩和され、女神輿が繰り出します。女神輿の渡御は1日めの夕方。その数なんと10基です!
担ぎ手に水が降り注ぎ、びしょ濡れです。しかし、それすら楽しそう。暑気払い&邪気払いですね。
*写真はネットから拝借。白、青、藍の「青天を衝け」カラーが美しいです。
当社を出て、「老尾神社」に向かう途中、小さな池の畔に弁天社がありました。
【田町辯財天】
かつて、農業用水を溜めた池だったそうです。当宮は池の守護神でしょうか。
◆太鼓橋
橋の先、正面に木製の社殿。
◆清々しい!
一般に、水辺には清々しい気が漂います。当社も例外ではありません。
◆奥宮?
雑草が生い茂っていましたが、社殿裏手にこのような石祠がありました。
◆藤棚
参道の藤は、 帰り道のほうが美しさを堪能できます。
【御朱印】
◆八重垣神社
月に1回、朔日に授与のようです。お出かけの際は、社務所に確認してください。
筆者が訪問したときは無人でした。匝瑳氏に電話しましたが不通でした。
◆田町辯財天
おそらく、ありません。
【参拝ルート】
2021年 4月19日
START=JR総武線・八日市場駅~350m~①八重垣神社~600m~②田町辯財天~600m~③老尾神社~600m~④宮本熊野神社~650m~⑤愛宕神社(八日市場口)~130m~⑥星宮神社~30m~⑦甲子神社~1.1km~八日市場駅=GOAL
※八日市場駅は千葉駅から約1時間。(各駅停車利用)
【編集後記】
◆八日市場
かつて毎月八日に市が開かれたことから、この地名となりました。定期的に市が開かれたほどですから、九十九里浜沿岸地域ではもっとも栄えた地域、ということでしょうか。
◆八重垣神社
境内は、社叢が少なく、民家が視界に入ってきます。そのため、世俗的な感じを否めません。当社は、「祇園祭~神輿渡御」を主宰し、観光資源の1つとして地域興しに寄与する神社。と、そういう方向性なのかもしれません。
とはいえ、境内が丁寧に清掃されているのは、素晴らしいことです。(了)