河原町稲荷神社 

(かわらちょう)

創建年代は不明。当社は千住青物市場の鎮守です。

◇鎮座地:東京都足立区千住河原町10-13

◇最寄駅:京成線・千住大橋駅~160m

◇御祭神:倉稲魂命

◇御朱印:あり

 

 

◆表参道鳥居(東鳥居)

 旧・日光街道側、住宅地の路地に面しています。

昔は、表参道の正面にも石段がありましたが、今はありません。

 

西鳥居は青銅製で東鳥居より大型。6車線の日光街道に面しますが、裏参道となります。

今回(2021.3) そして (2017.5) 緑の量って凄いですね。まるで別の神社のようです。

 

 

 

◆足立区役所HP

①千住青物問屋街

 市場は、日光街道旧道の京成線ガード付近から墨堤通りとの交差点までの道路両側にありました。100メートルほどの道に青物市場&青物問屋が軒を連ねました。

 セリの声が「ヤッチャイ、ヤッチャイ」と聞こえたので「やっちゃ場」という別称ができました。

 

②大正初期のやっちゃ場

 市場開設は天正4年(1576年)。当社境内の石碑によれば、市場の形をなしたのは享保20年(1735年)。千住の青物市場は神田・駒込と並び江戸の三大市場に数えられました。

*この古写真は『Discover 江戸旧蹟を歩く』より拝借

 

 

 

◆「ホーム」の遊び場

 筆者の子ども時代、源長寺と河原稲荷が「ホーム」の遊び場でした。旧社殿は、屋根がもう少し低くかったように記憶しています。屋根に登ったり、屋根から飛び降りたり、などバチ当たりの限りをつくしました。

 

 

◆狛犬

 浅草神社・狛犬の姉妹タイプです。浅草神社の狛犬より、当社のほうが大型です。

 

 悪ガキたちは、この獅子山をも遊び場に変えていたことを思い出しました。

獅子山を使った「射的」みたいな遊びです。当時、駄菓子屋でプラスチックのカラフルなリングが売られていました。1つ1つバラになって5個入りの袋で売られていました。これを2個とか3個つなげて獅子山にセットするガキ大将の「親」がいました。それを離れた場所から「子」が2個つなげたリングを投げて命中させます。外れたら没収。下に落とせばGetでした。こうしたテキヤのような「商売」をする子供、それに乗る子供、など境内は活気に溢れました。

 

 

 

 

◆お祭り

 当時、筆者の住まいは千住仲町。仲町氷川神社が産土神社でした。けれど、当社のほうが自宅に近かったため遊び場としてだけでなく、祭礼でもこちらの子供神輿を担いでいました。

 

 当社の氏子は市場関係者。なので、気が荒い方々が多く、神輿の荒れっぷりは凄かったです。それは子供神輿も同様。橋戸稲荷や仲町氷川などの子供神輿に比べ、当社のそれはかなり「狂暴」でした。

 

 

 

 

 

 

◆本殿

 

 

 

 

◆市場関係石碑

 明治39年、「千住青物市場創立三百三十年」の祝賀祭が斎行されました。石碑は、浅草北口睦会(=南千住、吉原遊郭、橋場、今戸、日本堤)の八百屋さん組合による建立です。

 この祭りで青物問屋が3軒つぶれたとのこと。そもそも、祭ともなると当番の問屋が2~3軒つぶれたのだそうです。by境内の解説板  本当かなぁ…。

 

 

◆社務所

 

 

◆神楽殿

 拝殿に正対しています。神楽は、神様に奉納するものです。よって、正対は拝殿が特等席となる「正しい配置」です。

 これを書いていて、1つ思い出しました。

子供の頃このような神楽殿はありませんでした。この辺りと拝殿側の二手に分かれて「投石合戦」をしたはずです。ケガがないよう、ごく&ごく小さな石を選んで投げ合いました。でも、どんなに小さくても石は石。ケガ人が出た記憶もないので、妄想かもしれません。

 

 

◆神輿庫

 こちらは、近年に建てられたものかと思われます。

 

 

◆境内社

 瑞垣の中、本殿の隣に小さな社殿。神様は不明です。

 

 

 

【御朱印】

 今回はお留守でしたので、2017年に参拝した際にお受けした御朱印を掲載します。

 

 

 

【参拝ルート】

2021年 3月23日

START=新交通ゆりかもめ・市場前駅~550m~①魚河岸水神社「豊洲遥拝所」~市場前駅→ゆりかもめ→豊洲駅~乗り換え~東京メトロ・豊洲駅→有楽町線→新富町駅~850m~②波除神社~100m~③魚河岸水神社「築地遥拝所」(閉鎖)~500m~東京メトロ・築地駅→日比谷線→南千住駅~550m~④素盞雄神社~250m~⑤南千住熊野神社~300m~⑥橋戸稲荷神社~350m~⑦足立市場(魚)・千潮金刀比羅神社~400m~ ⑧河原町稲荷神社~450m~⑨仲町氷川神社~550m~東京メトロ・北千住駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆広重が描いた千住河原町

 『絵本 江戸土産』より

 土手の向こうに川が見えます。手前側が河原町だとすれば、人の流れは千住大橋に向かっています。となると、川向うの松林は、橋場&浅草方面です。

 図は、豊島川と書いてあります。江戸時代、隅田川はいろいろな呼び名がありました。大川、宮戸川、浅草川、これらはみな隅田川の別名です。

 

 

◆千住という町

 筆者は、生まれてから30歳前半まで千住で暮らしました。今は、千葉県民ですが、時折、昔を偲んで当地を訪問します。時の流れは、町の景色を大きく変えました。そんな中、昔日の面影を見つけては、懐かしさを楽しんでいます。

 

 さて、千住大橋界隈の記事は今回で終了です。

お読みいただいた皆様方には、ありがとうございました。 三諸