亀戸天神社
古名:東宰府天満宮
通称:亀戸天神
《東京でNO.1の藤の名所》
大宰府にならい、心字池や太鼓橋があります。3つの橋は、渡り方にルールがあります。
また、境内社・御嶽神社に注目。大口真信仰に基づく「お犬さま像」を見ることができます。
◇鎮座地:東京都江東区亀戸3-6-1
◇最寄駅:JR総武線・亀戸駅~900m
◇御祭神:菅原道真公
◇御朱印:あり
【表参道】
◆大鳥居
当社の境内は、大鳥居と拝殿の間に大きな池が横たわってる。そんなイメージになります。
大鳥居をくぐると、すぐに男橋が現れます。
拝殿までに、橋を3回渡ることになります。
◆男橋
《橋の意味》
橋は、仏教的世界観を表しています。
男橋=過去
平橋=現在
女橋=未来
◆平橋
↓2017年 5月
《橋の渡り方》
男橋:後ろを振り返えらない
平橋:途中で立ち止まらない
女橋:つまずかないよう注意
三つの橋をすべて渡ることで
”三世の邪念を祓う”
と言われています。
◆女橋
拝殿を遠望できる位置まで進んできました。
◆手水舎
【社殿】
◆拝殿
創建伝承=太宰府天満宮の菅原信祐(菅公の末裔)は、飛梅で神像を刻み、諸国を巡りました。1661年、江戸本所亀戸村に到着。当地の天神祠に神像を奉祀しました。by由緒書き要約
◆「当社の主」的存在
この青鷺は、4年前の初参拝以来、いつ来てもここに居ます。
◆本殿
当社は、大宰府天満宮からの勧請だからでしょうか、藤原家に対する怨霊的なことがご由緒に書かれておりません。ひたすら、プラス面のみを煽る高評価です。
一方、湯島天神はどこから勧請したのかを明記しておりません。
ご由緒には、御所・清涼殿に落雷する図版はじめ、怨霊神→御霊信仰の流れに触れていて、北野天満宮からの勧請をほのめかしているように見えます。
◆心字池
【境内社など】
4つの境内社&1つの聖なるものをご紹介します。
◆御嶽神社(みたけ)
御嶽神社と言えば、蔵王権現・蔵王信仰。そして、大口真神=お犬さま信仰です。
しかし、当社リーフレットを見る限り、これらとは異なるようです。と、思ったのですが・・・。
◇御祭神:人神
→延暦寺第13代座主=法性坊尊意僧正を祀っています。菅公ゆかりの僧侶だそうです。
当社は、蔵王権現や大口真神信仰とは無関係!
と思いきや・・・
社殿裏に、お犬様がいました!
◆お犬様
聖なる犬が1体鎮座していました。
まるで、積雪のようです。
神職さんに取材しました。
古文書が焼失しているため伝承になる。
と、前置きした上で・・・
①御嶽神社の狛犬だったらしい
②参拝者が犬に塩を塗っていく
などを話してくれました。
どうやら、「撫でもの」信仰と結びついています。
「当社は、狛犬不在の神社」と、筆者は初参拝からずっとそう思ってきました。
ところが!
こんな場所にひっそりと、それも1体だけで頑張っていたこと。
今日初めて気づきました。
◆花園社
御祭神:人神
菅公奥方および御子14方を祀っています。福岡県・花園の地より勧請。
◆弁天社
御祭神:弁財天
当社は、大宰府天満宮・志賀社を勧請。
志賀社は心字池畔で現在&未来の橋の間に鎮座。
当社も心字池畔、現在&未来の橋の間に鎮座。偶然とは思えません。
ちなみに、志賀社の御祭神は、海神(=綿津見三神)です。また、志賀(島)は安曇氏と縁があり、信州・安曇野の志賀高原につながります。
◆紅梅社
御神木:飛梅
寛文2年(1662年)に太宰府天満宮の「御神木=飛梅」の実生を勧請。
【境内点描】
◆神楽殿
◆宝物殿
◆神輿庫
こちらは境内の東側。西側には神輿庫の密集エリアがありました。
◆社務所
玄関右手は参集殿のようでした。
◆神牛
不機嫌そうです。
【御朱印】
初穂料は500円。現在、書置きで対応中。
◆カチッとした端正な文字(2021年)
◆シュールな文字(2017年)
まるで梵字を見るようです。
【編集後記】
◆藤棚
男橋を渡ると参道両脇に藤棚が続きます。(2017年初夏に撮影)
◆藤の名所・証拠
『名所江戸百景』(広重)
~「亀戸天神 境内』
江戸時代から”藤の名所”だったことの証拠となる浮世絵です。
江戸時代、亀戸村は江戸郊外の行楽地として人気を博していました。
境内には茶店や酒楼が立ち並んでいたそうです。
◆料亭
江戸時代は、茶店や酒楼が立ち並んでいた境内でした。
現代では、なんと!料亭がありました。
◆昔も今も観光地
当社は、「湯島天神」と並び、観光地化した神社の典型ではないでしょうか。そもそも、天神様は、学問の神様として人気が高く、梅と藤の名所でもあるため、人の出入りが絶えません。
《清浄》はともかくとして、今日に関しては、《静寂》が保たれていたような気がしました。(了)