下総國・一之宮
『香取神宮の歩き方』
Vol.8 《押手社と璽社》
両社の神性は、印璽の社。印(=印鑑)に関係する神社です。
今回は、<要石との関係性>はじめ、印璽社について考えます。
◆START=勅使門
~1781年に当社・大宮司家の表門として建立されました。今は、勅使門もしくは神徳館表門と呼ばれます。茅葺屋根の美しい門は、三之鳥居の傍らで威容を誇ります。
本記事を大宮司家・表門から始めた理由は・・・
璽社が、かつては大宮司家の邸内社(by『香取神宮小史』 香取神宮社務所編)だったからです。
◆印璽
印が渡来したのは聖徳太子(574-622)の時とされています。
古くより、印は宮廷や社寺において「秘印」として扱われ、次第に神格化されていきました。 by下鴨神社公式HP
◇左=國璽、右=御璽(ぎょじ)
※印璽の写真はネットから拝借
◆香取神宮の印璽社
①押手神社(おしてじんじゃ)
◇御祭神:宇迦之御魂(=稲荷)
◇鎮座地:要石の真向かい
(→大禰宜家のナワバリ)
※古来「印・璽」は、「おして」あるいは「しるし」と称し、印章をさす大和言葉。byコトバンク
②璽神社(おしでじんじゃ)
◇御祭神:古印
◇鎮座地:神徳館の裏手
(大宮司家のナワバリ)
※璽神社について神職に取材しました。
「古い印を納め、お祀りしている。」
との回答を頂戴しました。
【参考】
◆賀茂御祖神社
京都・下鴨神社にも印鑑を祀る神社があります。
①印璽社(おしてのやしろ)
◇御祭神:霊璽
◇鎮座地:本殿の隣
(写真は2019年・筆者撮影)
②印納社(いんのうのやしろ)
◇御祭神:印璽大神(おしての大神)
◇相殿神:倉稲魂神(=稲荷)
◇鎮座地:西駐車場の傍ら
(注)下鴨神社の場合、境内社「六社」にも印社があります。
以上から・・・
◎下鴨神社
①印璽社
→印鑑守護と契約守護
②印納社
→古い印を納め祀る
◎香取神宮
①押手神社
→不明
②璽社
→古い印を納め祀る
つまり、
香取神宮「璽社」は下鴨神社「印納社」と同じ神性です。
となると、
香取神宮「押手社」は下鴨神社「印璽社」に対応しそうです。
すなわち、
香取神宮「押手社」は契約守護
である可能性が大です。
1.【契約守護の社】
香取神宮・押手神社
◆押手神社への道
当社は、要石への道案内に従えば行くことができます。
◆押手神社
~《契約の神様》の可能性が考えられます。
押手神社 と 要石
その距離、僅か2m
両者は正対しています。
◆対面する両者
◆要石
「伝承」=香取と鹿島が巨大ナマズの頭と尾に要石を乗せて押さえつけている。それは、ナマズが暴れて地震を起こさないよう防ぐため。
しかし・・・、
この伝承は、比喩です。
◆要石の比喩
「香取と鹿島で押さえつける」
それが要石。
「 」部分は、見覚えある文言です。
『出雲神話』です。
同神話によれば
フツヌシとタケミカヅチは、出雲を屈服させました。
出雲とは、国津神の象徴です。
諏訪に敗走し、捕縛されたタケミナカタの言葉
「二度と天津神に反抗しない」
これは、
天津神と国津神の契約
と言えます。
つまり、
◇巨大ナマズ=国津神
◇要石=契約の象徴
◇押手神社=契約の守護
◆押手神社
ナガスネヒコやカガセオなどの国津神は天津神に反抗。
しかし、成敗されたのち恭順。
そして、国津神が天津神と交わした「不戦」の契約。
その象徴が要石
だとすれば
契約を反故にしないよう監視する
それが押手神社
すなわち
契約守護の社
=押手神社
と、このように筆者は推測します。
2.【古印を納める社】
香取神宮・璽社
◆璽社への道
璽社に行くには、「御神井道」を降ります。
弓道場の向かい、参道右手に入り口があります。
◆璽社(おしで社)
進入路を行くと、高台に社殿が現れます。
当社は、大宮司の邸内社でした。大宮司は、朝廷や幕府あるいは政府を相手におびただしい数の文書を交わしています。その際に使用され、引退した印なども当社に納めて祀っていることでしょう。
◆神職による補足
神職に当社のことをお尋ねしたとき、回答に補足がありました。古い印を納め祀る。これは、「仏教関係の針供養などをイメージしてもらえば良い。」とのことでした。
【参考】稲荷との関係
◆下鴨神社の場合
印納社の一帯は、昔、賀茂 斎院御所がありました。
平安時代から鎌倉時代、皇室は皇女を上賀茂・下鴨の両社に差し出し、奉仕しました。
その皇女を斎院(斎王)と呼びました。
斎院御所では、池の中の島に「忌子女庁舎」の守護神として稲荷が祀られていました。
*忌子女庁舎(いんごのめのちょうや)・・・斎院に奉仕する賀茂氏の子女の居所です。
なぜ、稲荷なのか。
加茂氏が秦氏と血縁関係にあるからではないでしょうか。秦氏の守護神=稲荷です。
この稲荷は、下鴨神社境内の御所跡地に建つ印納社と愛宕社で祀られています。
ちなみに、香取神宮でも印璽関連の押手神社は稲荷を祀っています。
◆『葵祭』 斎王代禊の儀
斎王代と女人たちが御手洗池に手を浸し清める儀式です。(写真はネットから拝借)
これは、葵祭の前夜祭=「御蔭(みあれ)祭」のときの斎王の所作を想起します。
◇みあれ
→「御蔭木が賀茂川の川ばたに到着すると、カミは木を離れて川の中に入ります。そのとき、斎王が川の中に身を浸して、カミを川の中から掬いあげます。こうして、カミは地上に姿を現し、斎王はカミの一夜妻となるのでした。」 by『アマテラスの誕生』p.38(講談社学術文庫)
【民族浄化】
別名:エスニック・クレンジング
ユーゴやウイグルなどで見られました。ある民族が特定の民族を虐殺・強姦・強制移住などにより、民族殲滅を図る。そういう意味の言葉です。
これをふまえて、日本神話を見つめると、民族浄化と少しだけ似ている事例があります。
天津神による国津神の同化策です。殲滅ではありません。
古事記から、以下が読み取れます。
天孫・ニニギに始まり、4世代にわたって国津神との混血を重ねた。
◇天孫と花嫁
①天孫・ニニギ
→木花之佐久夜毘売=大山祇神の娘
②その子・ホオリ
→豊玉毘売=海神の娘
③その子・ウガヤフキアエズ
→玉依毘売=海神の娘
④その子・イワレビコ
→伊須気余理毘売=大物主神の娘
◆天津神と国津神の契約
契約は、反抗した国津神だけでなく、同化政策に従った神々をも含めることができそうです。
要石の比喩が象徴する神々は、建御名方、長髄彦、香々背男などの男神だけでなく、
木花開耶姫、豊玉姫、玉依姫などの女神にまで拡大して考えられる。ということです。
図版:玉依姫
のちに神武天皇となる息子
(=イワレビコ)を抱いています。
*上総一宮=玉前神社・参集殿にて撮影
◆香取神宮・総門内
「押手社と要石の関係」を神社配置に見ることができます。
それは、本殿の四周に鎮座する摂社・末社です。
東西:天津神系の摂社
南北:国津神系の末社
東=鹿島新宮・武甕槌大神
西=匝瑳神社・経津主大神の両親
(=磐筒男命・磐筒女命)
南=諏訪神社・建御名方=反抗~恭順
北=櫻大刀自神社・木花開耶姫=同化
◆櫻大刀自神社
(さくらおおとじ)
◆香取神宮と下鴨神社
両社には、印璽社があります。神性の異なる2つの印璽社を擁しているところも共通します。さらに、ご神木の「三本杉」までもが共通していました。 *写真は、香取神宮の三本杉
◆鹿島神宮と上賀茂神社
一方、両社の「相方」である鹿島神宮と上賀茂神社には、印璽社がありません。
理由は分かりませんが、こうした対比的な振り分けは何やら意味ありげです。
◆鹿島神宮の要石
鹿島神宮の要石に「要石の比喩」を適用すると、印璽社がないため見張り不在となります。
よって、
《鹿島の要石=契約の象徴ではない》
という可能性が大きくなります。フツーに、磐座と考えれば良いのでしょう。
◇『香取神宮の歩き方』
今回は『押手社と璽社』と題して、両社の神性の違いや要石との関係性を想像しました。その過程で、下鴨神社との関連にも話が広がりました。後半は、少し脱線してしまったのが反省材料かと思います。とはいえ、執筆を楽しむことができました。
お読みいただいた皆さま方には感謝いたします。ありがとうございました。
【御朱印】
◆香取神宮・要石
陰影は、 「かなえのいし」です。「かなめいし」ではありません。2020年 9月にお受けしました。
【参拝ルート】2021年 2月17日
START=JR成田線・佐原駅~駅前バス停→循環バス→香取神宮停留所~①香取神宮「祈年祭」見学~神域逍遥(=聖なる森と水)~ ②香取神宮の神域逍遥「御神井道」(=璽社・狐坐山神社) ~香取神宮駐車場→TAXI→佐原観光案内所(=レンタサイクル利用)→自転車→③御嶽神社→自転車→④香取家氏神 神社→自転車→観光案内所~佐原駅=GOAL
※情報:土曜&日曜の循環バスは、今年から運行休止しています。
【編集後記】
◆梅園
当社・旧参道には小さな梅園があります。参拝したのは2/17、梅はほぼ満開でした。
この梅園に向かって左手に「日神社」参道、右手に「裂々神社」参道が造られています。そのたたずまいは超・地味です。存在を知らないと間違いなく《素通り》となるでしょう。
◆香取・鹿島と下鴨・上賀茂
前者は、藤原家
後者は、天皇家
と、かつては強く結びついた神社です。
※写真は下鴨神社にて筆者撮影。
下鴨神社は、今でも皇室からの幣帛があります。 ※写真は2019年に筆者撮影。(了)