大鷲神社 

(おおわし)

 

《忌部の神&巨大な陰陽神》

 当社の主祭神は、忌部五部神の天乃日鷲命です。

社号から大鳥信仰の神社(鷲神社や大鳥神社)を連想します。しかし、大鳥信仰は日本武尊が主祭神。よって、似て非なるものかもしれません。

 また、境内社・魂生神社で日本一大きな陰陽神を観ることができます。

◇鎮座地:千葉県印旛郡栄町安食3620

◇最寄駅:JR成田線・安食駅~1km

◇御祭神:天乃日鷲命

◇相殿神:大巳貴命、少彦名命、日本武尊

◇御朱印:あり

 

 

 

【表参道】

◆男坂と女坂

 

 

◆女坂

~筆者は、こちらを使いました。男坂は帰りがけに上がってみました。

いったん平地に出ます。境内社を右に眺めつつ、つづら折りの形で再び登ります。

 

 

◆神門

~社務所を延伸させて、ゲート状にしていました。

水盤に水が張られていましたが、水道栓から水を出して手水にしました。

 

 

◆拝殿

~創祀年代は不詳。日本武尊・東征の際、錦旗を立て仮の御野立所とし租神を奉斉した旧跡と伝わります。

江戸時代、あの春日局が出世を祈願したところ、家光が将軍になれました。このことから、出世開運の神として尊崇を集めています。また、12月の初酉から3日間、酉の市も開かれます。

 

 

◆天乃日鷲命

『日本書紀』や『古語拾遺』に登場する神

~阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績を創始した阿波・忌部氏の祖神です。麻植神(おえのかみ)とも呼びます。また、忌部氏は、阿波から海路、館山に上陸。千葉を開拓してくれました。

 

 

◆本殿

~凝宝珠金具の刻銘により、1831年の造営とされています。壁板には琴を弾く女の彫刻があります。案内板に関連エピソードが書かれていましたが、意味がない話なので割愛します。

 

 

 

【境内社】

 ◆魂生神社 (こんせい神社)

~ある意味、大鷲神社の「顔」と言えるかもしれません。

拝殿内は、男根を象った石像や木像が祀られています。

 

 

◆魂生大明神

~石製の男根は、亀頭部に注連縄が張られ、長さ(=高さ) 2.5m、太さ(=全周) 2.3mです。

性器像としての「こんせい」は、通常「金精」と書く場合が多いようです。

 

 

◆子授け大樹

~男根は人工でした。

一方、女陰は見立てです。「自然が造った妙」にしては、出来すぎです。

 

 

◆合体椎の木

~男根から女陰へと進展すれば・・・

こうした樹木の登場は必然でしょうか。カンペキに覆い被さっています。

 

 

 

【境内点描】

◆社務所

 

 

◆御嶽神社(左)と石上神社

~後者は、天理市の石上神宮を想起させますが、無関係です。

「古くから石神さまとして崇められた魂生神が魂生神社に祀られるまで、親しまれ続けた原始信仰の魂生旧社です。」by境内の案内板

 

 

◆麗峰神社

~いくつもの霊山のどれか、ということでなく《漠然とした山そのものが持つ精霊を大御神》として、祀っています。

 

 

 

 

◆聖徳太子堂

~聖徳太子は、古来、さまざまな職人たちの信仰対象となってきました。当社でも、毎年1月半ばに建築組合がお参りします。筆者が境内を散策中、ニッカボッカを着用した職人風の青年が熱心にお祈りしていました。

 

 

 

◆鷲の杜稲荷神社

 

 

 

【3つの参道】

①表参道・男坂

~こちらを使うと、いきなり、拝殿前に出ます。ただ、一段一段に高さがあり、角度も急です。

 

 

②草薙参道(=東参道)

~緩やかな石段を上り、丘の斜面に沿って進めるように造られています。

魂生神社の前に出ます。木々の中、気持ち良く歩ける参道です。

 

 

③スロープ参道(=西参道)

~中央に石段が造られているので、クルマ椅子を押しつつ上がっていけるかもしれません。また、自動車もこちらからを使います。

 

 

 

【御朱印】

~初穂料500円。筆者はお受けしませんでしたが、魂生神社の御朱印も用意されています。

 

 

 

【参拝ルート】2020年11月 5日

STARTJR成田線「安食駅」~1.1km~ ①『大鷲神社』&『魂生神社』 ~900m~②『駒形神社』~400m~③立嶋水神社~1.3km~「安食駅」→JR成田線→「成田駅」GOAL

(京成成田駅からバスで行く、④豊住熊野神社を予定していましたが、取りやめました。)

 

 

 

【編集後記】

◆性器崇拝のこと

~陰陽石は、巨岩・奇石を性器に見立てるケースが一般的です。しかし、当社の場合はリアルに造形しており、生殖器崇拝の典型例です。一方、女陰は大樹をそれに見立てています。しかし、微妙に作為性が感じられました。

 いずれにせよ、ヒトの性器に多産や豊穣などをもたらす呪術的な霊力を認めて、信仰としています。こうした、素朴でおおらかな性器崇拝が下総台地の片隅で息づいていました。(了)