《香取神宮の歩き方~祭典》
『秋季皇霊祭 遥拝式』
(しゅうきこうれいさい)
9月22日は、宮中において天皇陛下が祖先の霊をお祀りします。当日は、香取神宮においてもその遙拝式が斎行されます。
遥拝式は拝殿にて執り行われます。
その前に、祓所において修祓です。
【修祓(しゅばつ)】
神道では、祭典において、神さまをお招きする前に心身の罪・穢を祓います。このお祓いを「修祓」といいます。
◆祓所(はらえど)
~微細な玉砂利を丁寧に整え、四方に忌竹を立てて結界。
当社の祓戸は、清浄な空間に作り上げられています。
◆案(あん=机)が置かれました
右の案には、「紙垂をつけた榊」=玉串が用意されています。玉串を神前に捧げることによって恭順の心を表し、神とのつながりを確認します。
◆6名の神職
社務所を出発した神職が到着し、整列。うち、ひとりが榊に向かいます。
◆5名は頭を垂れます
『秋季皇霊祭 遥拝式』は、香取神宮・中祭となるため、神職は烏帽子と浄衣をまといます。
◆祓詞(はらえことば)奏上
祓詞とは、神々の力によってさまざまな罪穢を祓い清めてもらうための祝詞です。罪とは、反社会的な行為だけではありません。神道では、疾患や災害の類も罪とされます。
(参考)祓詞の一部
諸々の禍事・罪・穢れ有らむをば 祓へ給ひ清め給へと申すことを 聞こし召せと 恐(かしこ)み恐みも白(まお)す
◆参列神職への祓い
祓詞奏上ののち、神職を祓います。参列している神職全員が頭を下げた姿勢のままでお祓いを受けます。
◆祓詞と大祓詞
奏上された祓詞には、祓戸大神の具体的な神名が出てきません。一方、6月末「夏越祓」と12月末「年越祓」で奏上される『大祓詞』には、瀬織津姫はじめ具体的な神名が登場します。
◆二礼二拍手
◆深々と一拝
修祓が修了しました。
これなしに、神々に向き合うことなどできません。神さまに無礼を働くことになります。
◆祓戸の場所
拝殿に向かう石畳の左手です。昔は、この場所ではなかったようです。→図版参照
◆図版:『香取神宮 年中行事絵巻』
昔は、石畳の右手で斎行されたことが分かります。画題は「祭員修祓」
この絵巻は、戦争の混乱で行方不明となりました。これを憂えた高橋宮司が小幡春生(しゅんせい)画伯に復元を依頼しました。小幡氏は、大戸出身の芸術家です。
【修祓を終えて】
◆穢れのこと
昔から、日本人は穢れを忌み嫌ってきました。穢れは人の魂に付着するもの。自分が直接触れなくても、穢れに触れた人と接すると伝染する。そう考えられてきました。
そのため、古代人は生活圏から穢れを隔離する方法を考え続けてきました。水で祓う。人形に撫でつけて祓う。などが代表的な方法です。
こうした感受性は、今、コロナへの向き合い方において役立っているように思います。
◆浅沓(あさくつ)
今回は移動距離が短いので、浅沓は祭事用(=木製・黒漆)をお履きでした。
例えば、奥宮など社務所から遠い場合、移動用(=皮革製)を使用し、現地で祭事用に履き替えます。筆者は、実際に見たことがあります。護国神社例祭のときでした。神職は皮革製で移動。現地で木製に履き替えていました。
【秋季皇霊祭遥拝式】
皇霊祭は、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の1つです。すなわち、
皇室のご先祖のためのお祭りです。ご先祖を辿った先は、最高神アマテラスです。
毎年2回、春分の日に春季皇霊祭、秋分の日に秋季皇霊祭が斎行されます。
◆神職を待つ大麻
~拝殿内部は神職が昇殿する準備が整っています。
◆祝詞の奏上
皇霊祭は、宮中の皇霊殿において天皇陛下自らが祭祀を斎行し、御告文を奏上します。
◆神さまに向かって右側
今、祝詞を奏上した神職が、立会人のような形で最後までこちらで正座します。先に見た『絵巻』でもこうした役割の人物が描かれていました。
◆神さまに向かって左側
5名の神職が並んで正座しています。ここに並ぶ神職は、奥に進み神饌などを運びます。
◆幣帛(みてぐら・へいはく)
神さまへの捧げものです。玉串、御饌(みけ)、幣物(へいもつ)などが代表的な幣帛です。
御饌が続々と運ばれます。秋季皇霊祭の当日は、お彼岸でもあります。私たちもお墓参りに行き、ご先祖さまにご挨拶します。
◆宮中祭祀の政治利用
=明治時代
1873年、明治政府は、宮中祭祀における「大祭」をベースに、国家祝祭日を定めました。その意味は、国家神道と宮中行事を国民生活へ浸透させるためでした。
by『国際教育協力論集』第18巻 第1号p.121
*大祭とは、元始祭、先帝祭、紀元節、神武天皇祭、神嘗祭、天長節、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭など。
◆戦前~戦中の皇霊祭
=大正から昭和20年
この日は、ただの休日ではありませんでした。小学校では、教職員・児童が全員登校して ”御真影拝賀式”が執り行われました。式典では、天皇皇后両陛下の写真を講堂の壇上に掲げて礼拝。校長が教育勅語を奉読。続いて全員で「教育勅語奉答の歌」を唄いました。
◆戦後の皇霊祭
占領軍=アメリカの命令により、国民行事としての皇霊祭は廃止されました。しかし、宮中では春と秋に粛々と行われてきました。アメリカがなんと言おうが、先祖祭祀は当然のことです。
私たちにとって、この日はどう変わったか。2つの皇霊祭は、春分の日・秋分の日と改称されて祝日となり、国民生活に根づきました。
今や、この祝日が皇室の先祖をお祀りする日だった。なんて、国民の多くは知る由もありません。
◆秋分の日&春分の日
両者には異なる意味が付与されています。
・秋分の日=祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ日
・春分の日=自然をたたえ、生物をいつくしむ日
◎秋季皇霊祭 雑感
記紀において、私たちの国は豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほの国)と呼ばれました。
つまり、 瑞々しい稲穂がたくさん実る国。それが美しい国=日本です。
稲が豊かに実る秋こそ、古代日本人が最も幸せを感じた季節だったのかもしれません。
【御朱印】
今回は『要石』の御朱印をご紹介します。奥宮の授与所にてお受けできます。
※土日祝限定、初穂料500円
【参拝ルート】2020.09.22
START=JR成田線・佐原駅~佐原駅バス停→佐原循環バス→香取神宮バス停~①香取神宮『秋季皇霊祭』 ~摂社・匝瑳神社~②香取神宮摂社・奥宮&末社・香取護国神社~香取神宮バス停→循環バス→佐原駅バス停~JR・佐原駅→成田線→大戸駅~850m~③大戸神社~250m~千歳池・弁財天社~300m~手力男大神の祠~550m~JR・大戸駅=GOAL
【編集後記】
◆香取神宮への感謝
秋分の日、これまではたんなる休日として過ごしてきました。今年は、当宮の『秋季皇霊祭遥拝式』を見学しました。そのおかげで、この日は、私たちの先祖を敬い、この世界に生かされていることに感謝する日なんだ。と、そういうことを考える、謙虚でシンプルな1日にすることができました。
◆颯爽とした「弓道女子」
祈祷殿付近の「御神井道」を下っていくと、左手に「香取神宮 弓道場」があります。
(了)