《鹿島『神の道』を歩く 1》
2020年 6月、鹿島神宮の摂社である坂戸神社・沼尾神社を参拝しました。
巡礼には、いわゆる『神の道』を使いました。
常陸國・一之宮
鹿島神宮
摂社・坂戸神社
『神の道』を歩くとは、 『鹿島三社巡り』 の古道を歩く、ということです。
この古道は、「神の道」ルートの一部。
今回は、入口から坂戸神社までをご紹介します。
(注)鹿島三社巡り
→上記三社を巡ること。「東国三社巡り」とは、別モノです。
【坂戸神社】
~清澄で静謐な森。そして、清浄感に溢れる社。最高の組み合わせです。
鹿島神宮では「相殿」という形式をとっておりません。あくまでも1社=1座を貫きます。相殿に相当するのは、経津主神と天児屋根命。別途、社地を設けて摂社として奉斎しています。
◇鎮座地:茨城県鹿嶋市大字山之上228
◇御祭神:天児屋根命
◇御朱印:なし
◇社格等:鹿島神宮の摂社、式外社
【神の道】
鹿島神宮駅から1.3kmほど北上して、『神の道』に途中合流。そして、途中離脱します。
◆「鹿島三社巡りの古道」
途中合流地点は、鹿島中央自動車学校の先、「森の家」という保育園の前です。
◆道しるべ
破魔弓をデザインした道しるべ。これが紛らわしい分岐はじめ、適所に配置されています。おかげで、迷うことなく安心して歩けました。
・英語表記
→For the Ancient Pilgrimage Trail
◆案内版
(鹿嶋市神の道運営委員会)
以下に要約します。
①天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、以上3社で ”香島の天の大神”と称した と、『常陸国風土記』に書かれている。
②これらの神社は、 「鹿島三社」 として崇められ、祭礼や祝い事のある特別な日に「三社詣り」することが慣例だった。
◆やわらかな道
古道には、落ち葉が堆積しています。フカフカな感触が足に心地良いです。この道は、グーグル・マップでは出てきません。
道幅は、50cm~1m程度。緩いアップダウンがあり、変化に富んでいました。
道中、蜘蛛の巣がいくつも張っているため、2~3回引っ掛かりました。それで学習。落枝を拾い、それを上下左右に振って、蜘蛛の巣を啓開しました。
◆谷津田
森を抜けると、谷津田が広がります。稲穂が風にうねる「緑の波」を見ることができるのは、時期的にもうすこし先のようです。
◆再び森へ
谷津田を抜けたら、また森に入ります。
古代の人々が、神の恵みを喜びつつ、この森を歩いたのだろう。と、そんな想像さえ浮かんでくる、素敵な古道です。
◆野草
可憐に咲いていたのでパチリ。図鑑で調べたところ、ホタルブクロという名の野花でした。
◆プチ切通
この下り道を降りると、明るく開けたところに出ます。
【坂戸神社】
◆1つめのゴール
「古道入口」からここまで約1.2km。聖なる森では、良い空気をたっぷり浴びました。そして、ヒトを見かけることなどありませんでした。
◆社頭
御祭神:アメノコヤネノミコト
祭神は、中臣氏・藤原氏の祖神。天孫降臨神話において、ニニギに随伴した神です。また、天岩戸神話において、岩屋に隠れたアマテラス大神をその外へと誘うために活躍しました。
鹿島神宮の境内には、「坂戸神社・遥拝所」がしつらえられています。
例えば、伊勢神宮遥拝所でしたら、各地の神社で散見されます。そんな中、当社の遥拝所を設置するということは、鹿島神宮にとっていかに大切な神社であるかが分かります。
◆参道から拝殿を遠望
ご神域に一歩踏み込んだ瞬間から、優しく&清らかな気を感じることができます。
静寂に包まれた境内。ときおり、野鳥のさえずりが聴こえるだけです。
1200年以上も昔の記録に初出する神社です。しかし、それ以前から祈り続けられてきたのでしょう。並みの神社など比較にならないほどの神々しさを放っています。
◆中臣氏
中臣氏は、崇神天皇の御代に武甕槌神に多量の幣物を捧げました。その後も鹿島に神主としてつかえ、中臣祠官の基礎を築きました。(by東 実『鹿島神宮』→東氏は鹿島神宮の宮司家)
*崇神天皇の御代とは、紀元前です。(=紀元前97年~同30年)
鹿島に定着した中臣氏。祖神・天児屋根命を祀ろうと思い立つのは自然な展開です。
◆本殿
御祭神はこちらに坐ます。しかし、筆者は拝殿に神聖な空気を感じました。
◆『常陸国風土記」-香島郡の項
《其処(そのところ)にいませる天の大神の社。坂戸の社。沼尾の社。三処を合せて惣(す)べて香島大神と称(との)う。》
とある。ただ、天の大神が中心であったことは間違いなかろう。 by菱沼 勇(式内社研究者)
→《 》の内容は、「神の道」委員会による案内板の説明とほぼ同じです。
しかし、問題は「天の大神」とは誰かです。
案内板では、天の大神=鹿島神宮としていました。=タケミカヅチ。
一方、菱沼氏によれば、天の大神=普都大神、とのことでした。
◆菱沼氏の見解
天の大神とは、普都の大神のことであるとしか考えようがない。
by『房総の古社』p.208
→なぜ、普都大神なのか。
これは、「香島郡の項」の直前にある「信太郡の項」に、天より来れる神。名を普都大神と号す。と記されていることを菱沼氏は根拠としていました。
さらに、普都大神といえば、言うまでもなく石上神宮の祭神・フツノミタマの神のことである。とも書いていました。
【御朱印】
当社御朱印が鹿島神宮に用意されているのかをお尋ねしてみたところ、ありませんでした。
仕方ないので、鹿島神宮の御朱印をアップします。こちら、当面は書置きのみの対応です。
【参拝ルート】
2020年6月3日
《鹿嶋 神の道》を歩く
START:JR・鹿島神宮駅~300m~①年社(=鹿島神宮・末社)~1.3km~ ②三社詣りの古道~1.2km~③坂戸神社(=鹿島神宮・摂社) ~900m~④熊野神社~1.4km~⑤三社詣りの古道~500m~⑥沼尾神社(=鹿島神宮・摂社)→TAXI→⑦潮社(=鹿島神宮・末社)~650m~⑧鹿島神宮~700m~JR・鹿島神宮駅=GOAL
【編集後記】
◆仏教的施設
当社本殿の裏。森を切り開いたスペースに建てられていました。坂戸神社を護るかのような感じで守護神的な仏像が安置されていました。
◆坂戸神社の雰囲気
当社のおごそかな雰囲気は、写真からも伝わったはず、と確信しています。
鳥居を潜り、拝殿に向けて歩を進めたとき、ご社殿方向から涼しい風が吹いてきました。(了)