下総國・一之宮 

香取神宮の歩き方』

 

Vol.5 《斎庭を行く》

 斎庭(ゆにわ)とは、当社の中枢神域である、 楼門の内側 です。

*記事の写真は、2019年10月・12月、2020年 1月に撮影したものから選びました。

 

 

◆スタート地点

~今回は、総門から始めます。

二之鳥居(=朱色鳥居)から砂利の参道を登ってきました。三之鳥居を潜れば、石段の先に総門・手水舎と続きます。総門のセンターに、手水舎の屋根が映りこんでいます。

◇鎮座地:千葉県香取市香取1697

◇最寄駅:JR成田線

 →表参道=佐原駅~3.6km~赤鳥居

 →旧参道=香取駅~2.1km~赤鳥居

 *佐原駅からバスorレンタサイクル。香取駅から徒歩

◇御祭神:経津主大神

 →別名:伊波比主神、斎主神

◇社格等:延喜式=名神大社、旧社格=官幣大社、神階=正一位勲一等

◇御朱印:あり

 

 

◆手水舎

~水盤には龍も亀もおりません。伊勢神宮はじめ、古社はどこもみなシンプルです。こういう美しさを機能美と言うのでしょう。もちろん、水は大量に溢れ出ています。

 

 

 

◆案内図

~楼門内は、回廊と玉垣(=木柵)を巡らせ、神域を護ります。

 

 

さあ、斎庭に入りましょう

*斎庭(ゆにわ)とは、神さまを祭るために祓い清めた場所のこと。by「日本国語大辞典」小学館

 

 

◆楼門

~《総門→手水舎→楼門》と続く参道は、石畳。手水舎から先は玉砂利が加わります。

 

 

◆神域

~楼門をくぐった先、左手に広がる景色。この日は、祓所がしつらえてありました。

伊勢神宮のように、玉砂利が敷きつめられています。

 

 

◆拝殿

~漆黒色の堂々たる拝殿。拝殿前は、整然とした雰囲気を基調とした清々しさに溢れます。

当神宮は、長く国家鎮護の役目を担ってきました。よって、平和で豊かな日本国で産まれ&生きていることへの感謝をお伝えする。個人的な願い事は控える。それが良いのかと思います。

細かく砕かれた、淡い灰色の砂利は、清浄感に溢れます。斎庭という言葉を使った理由は、こういうことです。

 

 

神さまへの「ご挨拶」を終えたら、左側から社殿周りを巡ります。

 

 

◆臨時授与所

~「いぶし銀」的雰囲気がある、サブの授与所。

 

 

◆斎庭を歩く音

~ザクザク、と心地良い音を聴きながら進みます。その音からは、霊的な力すら感じられる気がします。

 

 

◆結界

~結界に盛られた砂は、関係者にお聞きしたところ「浄砂」だそうです。希望すれば、清浄な砂を分けていただけます。

 

 

◆御饌殿

~拝殿の西側、木々に包まれて佇みます。11月の『大響祭』では、御饌殿で調理した”贄”を拝殿に運びます。神無月、フツヌシ大神は出雲には行かず、東国鎮守に徹します。周辺神社の神様が出雲から帰還した際に、同祭を斎行し、神々を慰労します。

 

 

◆三本杉

~パワー・スポットとして知らているため多くの人々がやって来ます。中には、杉の樹皮に硬貨をねじ込む輩が散見されます。樹皮保護のため、賽銭箱が設置されているのですが・・・。

日本書紀に「神の道を軽(あな)づること」といった条があります。「生国魂社(いくくにたまのやしろ)の木を切りたもう類これなり」と。

つまり、神社の木を切るたぐいの行為は、神の道を軽んずること。と、記しています。樹皮に硬貨をねじ込むのは、そうした類の愚行でしかありません。

 

 

 

◆匝瑳神社

(そうさ神社)=摂社

御祭神:磐筒男神・磐筒女神

(経津主大神の親神)

~当社については、社号含めた詳細をあらためて記事にする予定です。

 

 

◆本殿裏・瑞垣御門

~裏口からとはいえ、本殿を遥拝できます。

 

 

◆同一直線

~ひときわ大きな杉古木。拝殿→本殿→瑞垣御門、などと同一線上に聳えます。注連縄こそ張られておりませんが、御神木のような風格が漂います。

 

 

◆櫻大刀自神社

(さくらおおとじ)=末社

御祭神:木花開耶姫命

~櫻大刀自神社と木花開耶姫命が同一視されるのは、平安時代後期。同一視される以前、香取神宮ではどのように祀っていたのでしょう。櫻大刀自神社は別の神様を祀っていたのか。木花開耶姫命を別社号の社で祀っていたのか。あるいは、この神社もこの祭神も祀ってなかったのか。なぜ、社号を浅間神社にしなかったのか。いくつかの疑問が噴出します。

 

 

◆北参道

~当参道は、櫻大刀自神社と鹿島新宮に挟まれたスペースに造られています。六所神社、桜馬場や鹿苑へと続きます。

 

 

◆鹿島新宮=摂社

御祭神:武甕槌神

~「新宮」と称するからには、「旧宮」があったのでは? と、調べたところ、やはりありました。詳しくは、あらためて。

 

 

◆本殿

~瑞垣の足元には大きめな石が敷かれ、20cmくらいの高さの柵で仕切られています。また、適度な間隔で常夜燈が並びます。

 

 

◆神庫

~本殿の東側、社叢に隠れるように佇む、美しい木造建築です。明治時代(1909年)の建物ですが、正倉院と同し構造です。校倉は、角材を井桁に組んで外壁とした倉です。

 

 

◆香取文庫

~神庫の奥に建てられている現代的倉庫。おそらく、古文書などが収蔵されているものかと。

 

 

◆授与所

~拝殿に向かって右手。朱色と白色に塗られた建物です。通常の御朱印は、こちらです。

 

 

◆宝物館

~授与所に隣接します。写真は、入り口のロビー。「神幸祭」に使われる御座船の舳先です。壁には、同祭の絵画。香取神宮には、国宝・海獣葡萄鏡が所蔵されています。

 

 

◆御神木

~宝物館の向かいに聳え立ちます。

国家鎮護の武神を祀る当神宮。なので、荒々しい感じの御神木がよく似合います。

 

 

◆社務所

~社務所でさえ、前庭の砂利が整えられていて、清浄な雰囲気です。

 

 

◆祈祷殿

~当社殿は、正面の石畳を境に左手・社務所方面=石畳+砂利、右手・御神井道方面=石畳+泥土と分かれます。

 

 

以上、楼門をくぐり、拝殿・本殿の周囲を1周してきました。

 

 

 

【境内社について】

楼門の内側の境内社は3社

各社の位置関係を確認してみると、本殿を中心に・・・

 西=匝瑳神社

 北=櫻大刀自神社

 東北=鹿島新宮

 以上の3社が鎮座します。

さらに、楼門の外・総門の内側神域ではありますが

 南東=諏訪神社

 

すなわち、4つの神社が、ほぼ東西南北から本殿を慕うかのように寄り添っています。

 

 

◇諏訪神社

御祭神:建御名方命

 

 

※自然への畏怖

~フツヌシ&タケミカヅチは、地震を制御。コノハナサクヤヒメは、火山の噴火を制御。そして、タケミナカタは、噴火や地震で出来た大断層の大地&諏訪湖を護ります。このように、御祭神や境内社は、自然への畏怖を感じさせるものとなっている。と、考えることもできそうです。

 

 

※生贄

~この4社のうち、鹿は鹿島神宮では《神の使い》です。ところが、諏訪大社・上社では《神に捧げる生贄・いけにえ》が鹿。なんとも対照的です。

 ちなみに、諏訪大社「御頭祭」のように、神に生贄を捧げる神事は、香取神宮にもあります。

11月に斎行される神事「大餐祭」です。神官が持っているのは、鴨。

 

 

 

【御朱印】

~左:2019年12月、右:2020年 1月にそれぞれお受けしました。

 

 

 

【編集後記】

◆斎庭

~楼門内部が「清浄」を保っていること、ご覧いただけたものと思います。

香取神宮は、二之鳥居(=朱色鳥居)をくぐれば、緩やかな上りの玉砂利参道が始まります。

三之鳥居をくぐると、石段&石畳だけを歩いて拝殿に到着できます。

つまり、途中「要石道」などに寄り道しなければ、雨が降っても汚泥で神域を汚さずにお参りできる動線になっています。写真は、表参道。

 

 

◆封鎖

~総門をくぐった左手は、土がむき出しになっています。ここは、奉納相撲の土俵が造られる場所です。当神宮では、雨が降ると写真のようにコーンを並べ、ヌカルミ地帯に人が入らないよう対策します。こういう処置からも、汚泥から斎庭を護ろうとする姿勢が垣間見えます。

 

 

◆清浄さとご神気

~香取神宮の 楼門内側の清浄な神域 、いかがでしたでしょうか。

ただ・・・、清浄さと神々しさとは別ものです。

例えば、鹿島神宮の奥宮や要石付近には、”圧倒的ご神気”があります。香取神宮には、残念ながらそれほど強いご神気はないような気がします。とはいえ、筆者は香取神宮の清浄な雰囲気が心地よくて大好きです。地元の「船橋大神宮」にも同様な雰囲気を感じます。

 

 

◆香取神宮の歩き方

本シリーズには、バック・ナンバーもございます。よろしければご覧ください。

Vol.1《御神井戸道を歩く》

 

Vol.2《旧参道を歩く》

 

Vol.3《要石道を歩く》

 

Vol.4《奥宮に行く》

 

 

以上、『香取神宮の歩き方』 Vol.5《斎庭》でした。

ご覧いただき、ありがとうございました。(了)