下鴨神社
正式名=賀茂御祖神社
(かもみおや神社)
※当社の印象
良くも悪くも「革新的視点」を持っている。そのように感じました。とくに、《観光地としての神社》という視点に基づく神社運営がなされている気がします。
◆御生神事(御蔭祭)
(みあれ神事・みかげ祭)
葵祭の3日前、御蔭山の御影神社から神霊を賀茂御祖神社(下鴨神社)へ迎える神事。
先頭の神職は、燃え盛る松明を持っています。神様の遷移は夜間です。
【賀茂御祖神社】=下鴨神社
◇鎮座地:京都市左京区下鴨泉川町59
◇最寄駅:京阪線・出町柳駅~250m
◇御祭神・東殿:玉依媛命
◇御祭神・西殿:賀茂建角身命
◇神祇:天津神
◇御朱印:あり
◇社格等:延喜式:名神大社、旧社格:官幣大社、神階:正一位勲一等、山城國・一之宮
※賀茂御祖神社は、2000年の歴史をつなぐ古社です。その鎮守の森は、『糺の森』(ただすの森)と呼ばれ、古代植生を残す森です。
上賀茂神社の特徴が「清流」だとすれば、下鴨神社は「森林」ではないでしょうか。森林面積は12万4,000㎡に及びます。
【表参道】
出町柳駅を下車し、河合橋を渡って右折。駅から250mほどで一之鳥居です。その先は、参道両脇に住宅が続きます。
住宅がどれほど高級だとしても、所詮は俗人の生活の場。世俗的です。参道は、「御蔭通」を横断し、糺の森が見えて初めて「下鴨神社」となります。
◆糺の森 (ただすの森)
「昼なお暗い」森ではありません。落葉樹が中心なため、春夏でも葉が落ちます。よって、明るい森です。参道左手の「瀬見の小川」は、悲しいかな涸れた川底が露出しています。
参道右手には、泉川が流れています。
◆参考:「糺川原の夕立」 広重
図版から、《江戸時代の泉川》の様子が分かります。
茶店が並び「川床」宴席的なものも作られているのが分かります。また、船を流して船上の茶会なども催されたようです。
◆現代の泉川
今、泉川は水量が激減しています。理由は、昭和3年に糺の森北側と東側の泉川を埋め立て、道路造成を計画したためです。ところが、埋め立てだけ完了し、道路は造りませんでした。結果、大切なものを失いました。
by 四手井 綱英『下鴨神社 糺の森』ナカニシヤ出版
◆奈良の小川
二之鳥居手前で、参道を横切る小川です。掘立て小屋にしか見えない建屋は手水舎です。川への石段は、近年造られたもののようです。「奈良の小川」で浄めるのもアリ、という意味かもしれません。
◆水盤
陰陽石的な雰囲気を醸し出していた水盤。水は、勢いよく流れていました。
◆南口鳥居(=二之鳥居)
◆楼門
◆皇室との縁
楼門の右手に続く回廊です。皇室との縁(ゆかり)を実感します。
◆舞殿
楼門をくぐると、「正中」を護るかのように、正面ど真ん中に建てられています。拝殿の手前に舞殿。古社で散見されるパターンです。
葵祭では、舞殿にて「祭文奏上」が執り行われます。
by『聖地の入り口ー京都下鴨神社』主婦の友社
◆中門
この神門の先は撮影禁止です。
◆言社(ことしゃ)
御祭神:大国主命
拝殿正面を遮蔽する、大きな衝立の向こう側に鎮座します。
7つの名前を持つ大国主命。言社は、神名ごとに7つの社に祀られ、干支の守護神がつく「干支の社」でもあります。
一言社:①大国魂神=巳・未、②顕国魂神(うつしくにたまのかみ)=午
二言社:③大国主神=子、④大物主神=丑・亥
三言社:⑤大己貴神=寅・戌、⑥志固神(しこおのかみ)=卯・酉、⑦八千矛神=辰・申
以上、7社です。筆者も自分の干支社をお参りしました。
◆本殿
崇神天皇7年(紀元前90年)に瑞垣を修理したという記録があるとのこと。(当社HP) 事実なら、2000年を越える歴史を有する神社となります。瑞垣内は、右から左へ東本殿→西本殿→印璽社→叉倉(あぜくら)と並びます。
◆印璽社(いんじ社)
御祭神:霊璽
瑞垣の内側、本殿の真横に鎮座しています。それだけ重要視されているということでしょうか。印璽は、宮廷や社寺において貴重な秘印として扱われ、神格化されました。現在では、契約の神として、大切な契約の時などに参拝される方が後を絶たないそうです。
【古代祭祀】
◆切芝 (きりしば)
参道の中ほど、糺の森の中にある《復元された》古代祭場 です。切芝は、2001年に行われた発掘調査で出土した「石敷遺構」です。
◆「復元遺構」の周辺環境
糺の森&奈良の小川。葵祭の際、復元祭場では、『切芝神事』が斎行されます。この神事は、神馬に乗った《祭神の荒魂》に「東游(あづまあそび)」という舞を披露(奉納?)します。
【祓え】
①解除所(げじょのところ)
高札には「当神社は古代から、天皇親斎のお社である。行幸、御幸、官祭にさいして解除(お祓い)されるところ。常設の解除場を設けられたのは他に類を見ない。」
と記されています。
②祓舎
御祭神:賀茂建角身命、玉依媛命、祓戸神
祓戸神とは、祓を司どる神のことで、瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を指します。
③御手洗社
御祭神:瀬織津姫命
◆川に降りる石段
御手洗社は、祓の社です。社殿前の御手洗川は、両岸に幅広な石段が造られ、川に降りられるようになっています。
◆瀬織津姫
~御祭神の瀬織津姫命は、祓戸四神の1柱です。もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す神さまです。
◆川をまたぐ社殿
御手洗神社は、みたらし池の上に祀られています。
社殿下は、水量が乏しい感じでした。それには、理由がありました。
◆御手洗川
御手洗川は、みたらし池から湧き出る水が水源でした。しかし、神社の隣を流れる高野川が、河床掘り下げ工事後に水位低下。その影響で、こちらの湧き水が涸れてしまいました。
◆昇降口の結界
御手洗川は、恒常的に水がありません。
ところが、「神事が近づくと水が湧く」というロマンチックが通説となっています。
身も蓋もない話で恐縮ですが、 神事のときは井戸水を汲み上げて「清流を作る 」のが実態です。
by 四手井 綱英『下鴨神社 糺の森』ナカニシヤ出版
◆御手洗川の神事
①土用・丑の日=足つけ神事
②立秋前夜=矢取の神事
③葵祭=斎王代の禊の儀
などが、この川で斎行されます。太鼓橋の名は「輪橋(そりはし)」。
◆足つけ神事
瀬織津姫に無病息災を願う神事です。受付でお供え料をおさめてロウソクを受け取る。ロウソクと靴を持ち、輪橋の近くから素足で川に入ります。途中、種火が灯る祠でロウソクに点火しつつ、御手洗社に向かいます。社前で献灯し、無病息災を願います。(写真はネットより拝借)
【その他の境内社】
◆相生社(あいおい社)
御祭神:神皇産霊神
(かみむすひのかみ)
縁結びの御霊験あらたかな社として、古くから信仰を集める社です。
御祭神は、宇宙の生成力を神格化したものとされています。
産(ムス)は《生成》という意味 。「苔むす」のムスと同じです。
霊(ヒ)は《霊妙なモノ》という意味。日・火と共通の意味を持つ、とも考えられています。
◆出雲井於神社
(いずもいのへの神社)
御祭神:建速須佐乃男命
通称=比良木神社・柊神社
この神社周辺に、どんな常緑樹を植えても、みなヒイラギのようにギザギザの葉になる、と言われています。
当初、出雲氏が井戸を神として祀ったとされています。現在、祭神はスサノオ。
しかし、これとて、地元神から入れ替わったとの説があります。手水舎の隣には、古い井戸道具&井戸(見るからに新しい)が佇んでいました。意味ありげな物件に、サービス精神の旺盛を感じます。
◆河合神社
御祭神:玉依姫命
下鴨神社の玉依媛命と読みは同じ。
しかし、当社は、海神の娘=神武天皇の母神。2柱のタマヨリヒメ命は別の神です。
こちらの神社については、筆者ブログ内にて、別記事にしています。→河合神社
【シブい建物】
◆大炊所(おおいどころ)
神様のお食事を整える場所。主として、米や餅などの穀類を調理したそうです。隣には「御井(みい)」という大炊殿専用の聖なる井戸があります。
※神様のための台所・食堂が清浄な雰囲気を醸し出すのは、なぜでしょう。三輪山・大神神社の「御炊社」でも、伊勢・外宮の「忌火屋殿」や「御饌殿」付近でも同様に感じました。
◆鴨社神館御所
(鴨社しんかんごしょ)
相生社の裏手。清浄な気が漂う場所でした。顔の造形に手が込んだ狛犬が庭先にいて、建物も美しかったので撮影しました。
→《下鴨神社HP 宮司の話 第209話》で紹介されています。要は、元・到着殿です。
神館御所は、《平安時代の『小右記』『中右記』等々、数々の史料に鴨社行幸、御幸、賀茂祭、遷宮、斎院等々の記録に行在所となったことがみえます。》と、記されていました。
◆秀穂舎(しょうすいしゃ)
表参道入口付近にある下鴨神社資料館です。門柱が鳥居を象って造られています。
【寺院な建物】
①楼門と中門の中間地帯
楼門と中門の間には、舞殿の左右にいくつかの建物があります。どれも白壁を多用していて、寺院を連想させる造形&配色でした。4点をひとまとめにします。
左上:細殿=天皇の行幸、上皇・法王の御幸時の到着殿
左下:神服殿=天皇行幸の際の玉座
右上:供御所=神饌を調理する所
右下:橋殿=御蔭祭の際、神宝を奉安する社殿
②三井神社
賀茂建角身命ファミリーが祀られる神社で、本殿に隣接して建てられています。同じ敷地に、建御名方神、水分神、猿田彦神も祀られています。
◆東社、中社、西社
御祭神:伊賀古夜日賣命、賀茂建角身命、玉依媛命
東社の祭神・伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)は、賀茂建角身命に嫁ぎ、玉依比古(=賀茂県主となる)、玉依媛(=賀茂別雷大神の母となる)を産んだ神です。
◆諏訪社、小杜社、白鬚社
御祭神:建御名方神、水分神、猿田彦神
三井神社は、周囲を囲む瑞垣が白壁に瓦屋根。これもまた、寺院を想起させます。
【御朱印】
左:下鴨神社→御朱印帳に直書き。
右:境内末社=御手洗社→書置き。
【参拝ルート】
2019年 3月18日
◆山城国一之宮&京のお伊勢さん
START=京都駅→JR奈良線→東福寺駅~30m~京阪線・東福寺駅→京阪線→ 出町柳駅~250m~下鴨神社一之鳥居~①賀茂御祖神社(かもみおや神社) ~80m~下鴨神社前バス停→市バス(上賀茂神社行き)→上賀茂神社前バス停~30m~②賀茂別雷神社(かもわけいかづち神社)=上賀茂神社~上加茂神社前バス停→市バス(京都駅行き)→北山駅前バス停~50m~地下鉄・北山駅→烏丸線&東西線→蹴上駅~1km~③日向大神宮~地下鉄・蹴上駅→東西線→六地蔵駅~50m~JR六地蔵駅→JR奈良線→奈良駅=GOAL
【ひとこと】
三諸は、関東在住です。よって、関西の神社を日常的に参拝できません。そういう筆者が上賀茂と下鴨をざっと調べ、そして肌で感じた、両社を対比的に図式化してみます。
◆上賀茂と下鴨(1)
◇上賀茂:立地は傾斜地。主要建物の配置は、非対称。「葵祭」祭文奏上は楼門の外側
◇下鴨:立地は平坦地。主要建物の配置は、ほぼ左右対称。祭文奏上は楼門の内側
(主婦の友社『聖地の入り口ー下鴨神社』より、「上賀茂神社と下鴨神社の社殿の特色」 神戸大学大学院 工学研究科 黒田龍二 教授の論文を要約)
◆上賀茂と下鴨(2)
◇上賀茂:保守的運営(印象)。水の神社=マイナス・イオンが漂う。
◇下鴨:革新的運営(印象)。森の神社=フィトン・チッドが漂う。
~下鴨神社では
①御朱印を摂社・末社のものまで用意
②1点物の「媛守」はじめ、「彦守」や大判の「開運招福守」など、お守りの種類が多様
③鴨長明の方丈庵を再現
④古代の祭祀場を復元
など、《観光地としての神社》の在り方を絶えず考えている、と言うことができるかと思います。良くも悪くも「革新的視点」を持つのが下鴨神社ではないでしょうか。
以上、事実誤認があれば、ご指摘いただければ幸いです。また、異論も歓迎します。
◎個人的な好みになりますが、上賀茂神社のほうが、気持ち良く過ごせました。 (了)