本日は、2019年 8月12日。明日から《旧・盆》が始まります。お盆には、私たちのご先祖が「あの世」から帰ってきます。

 

そこで、今回記事は、皇室のご先祖が眠る『天皇陵』です。
 

 

 【天皇陵】

~天皇陵は、神社でもお寺でもありません。宮内庁の厳重な管理下に置かれ、陵墓は立ち入り厳禁の神聖な空間です。

 

◆天皇の埋葬

~原則、火葬しません。

明治・大正・昭和の各天皇はじめ、多くの天皇が 土葬されています。

 

◆陵墓の数

~わが国には、陵墓が 899基 あります。指定古墳のうち、 天皇陵は41基 です。(by ウイキ)

 

◆陵墓の信憑性

~昭和40年、同志社大名誉教授が《第9代=開化天皇から第42代=文武天皇》までの陵墓32基を検証&発表し、話題になりました。この中で、被葬者に疑いのないものは、わずか2基。 1つは、天智天皇陵。もう1つは、天武天皇・持統天皇の合葬陵墓だけでした。

(by 『天皇陵の謎』矢澤高太郎)

 

 

 ※筆者は、この春、奈良・南大和&「山辺の道」を歩きました。その折に、3か所の天皇陵を見学しました。以下に、その写真とともにブログを綴りたいと思います。

 

 

 

 ①開化天皇陵

~第9代・開化天皇は「欠史八代」の天皇のひとりで、実在性に乏しいと言われています。にもかかわらず、陵墓が存在します。(2019年 3月18日・訪問)

 

【開化天皇】

◇正式名:開化天皇春日卒川坂上陵

(かすがの いざかわの さかのえの みささぎ)

◇所在地:奈良県奈良市今辻子町

◇最寄駅:近鉄「奈良駅」~500m、JR「奈良駅」~600m

◇御陵印:畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市)

*御陵印・・・歴代天皇の御朱印のことで、全国5箇所の陵墓にある「陵墓監区事務所」で無料でいただけます。

 

 

◆木製柵と鉄製門、そして石製柵

~JR奈良駅から興福寺&春日大社に向かう、三条通りは大混雑の道です。御陵は、その繁華街の中にあります。喧騒から、わずか70~80m入っただけで、嘘のような静けさでした。

この陵墓、古墳そのものが5世紀半ば以降のもので、それを証明する埴輪も出土しています。よって、紀元前158年から紀元前98年まで在位し、115歳で崩じたとされる天皇の墓所であるわけがないのです。

真っ白い神明鳥居を囲んで、石柵が設けられています。そして、敷地には真っ白な玉砂利が敷き詰められ、乱れのないホウキ目。陵墓の拝所は、清浄感が満載。癒しの空間でした。

 

 

 

 ②天武・持統天皇陵

~第40・41代天武天皇・持統天皇の陵墓は、被葬者が確定しているだけでなく、内部の様子まで判明している唯一の陵墓です。(2019年 3月20日・訪問)

 

【大海人皇子と鵜野讃良】

(おおあまのみこ&うののさらら) 『天上の虹」』より

 

◇正式名:天武天皇・持統天皇檜隈大内陵

(ひのくまの おおうちの みささぎ)

◇所在地:奈良県高市郡明日香村

◇最寄駅:近鉄吉野線「飛鳥駅」~1.1km

◇御陵印:畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市)

 

 

◆御陵へと続く石段

~飛鳥駅から北へ1.1km、低い丘陵と田畑に囲まれた、小さな古墳の上に陵があります。

 

 

◆天武天皇と持統天皇

~両天皇の下、律令体制が整ったと言えます。その業績は以下。凄さが傑出した夫妻です。

 ①天皇号

~ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)と呼んでいましたが、天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになりました。

 

 ②日本という国号

~この国号が初めて使用されたのは、「天武朝ごろから」という説が最有力です。

 

 ③古事記&日本書記

~『記・紀』の作成を命じたのは、天武天皇です。

 

 ④大嘗祭

~皇室最高峰の祭祀である「大嘗祭」を始めたのは、天武天皇と言われています。

 

 ⑤伊勢神宮

~壬申の乱の際、のちに天武天皇となる大海人皇子は、迹太川(とおがわ)の河畔で天照大神に戦勝祈願を行いました。即位後、伊勢神宮を整備。実質的な創建者と言えます。

 

 ⑥式年遷宮

~伊勢神宮の式年遷宮は、持統天皇により始められました。

 

 ⑦藤原京

~平城京や平安京よりも大きいと言われる、藤原京を建設したのは、持統天皇です。

 

 

◆天武・持統天皇陵の内部図

~僧侶以外で、わが国で初めて火葬に付された日本人が持統天皇です。陵墓では、天武天皇の棺の隣に骨壺が安置されました。後年、この陵墓は盗掘されました。銀製の骨壺は、賊に持ち去られ、中身の骨灰は路傍に捨てられた、との記録が残されています。

 

 

◆陵墓の治定

~天武・持統陵は、古来、見瀬丸山古墳だとされてきました。しかし、明治13年に歴史的大発見がありました。鎌倉時代の盗掘後、調査に入った僧侶が記した詳細な文献が高山寺で発見されたのです。盗掘がなければ、天武・持統陵は、今でも見瀬丸谷古墳だったことでしょう。

 

 

◆個人的なこと

~天武天皇と持統天皇の陵墓を訪れたのは、今回が2回目。『天上の虹』ファンとしては、聖地のひとつ、と言えます。

アマテラスが息子でなく孫に継がせた「天孫降臨神話」。これは、持統天皇の息子が早逝し、孫に皇位を継承させるための正統性の典拠とするため、藤原不比等が造った神話。という説が有力です。

 

 

 

 ③神武天皇陵

わが国の建国の祖とされる、初代天皇・神武天皇。現在の歴史学、考古学では実在が完全に否定されています。しかし、現実には豪壮な陵墓が造営されています。(2019年 3月20日・訪問)

 

【神武天皇】

「鳥見山の郊祀」 神宮徴古館 蔵

◇正式名:神武天皇畝傍山東北陵

◇所在地:奈良県橿原市大久保町

◇最寄駅:近鉄橿原線「畝傍御陵前駅」徒歩9分

◇御陵印:畝傍陵墓監区事務所(奈良県橿原市)

 

 

◆畝傍山を遠望

~藤原京の跡地から、神武天皇陵がある畝傍山を遠望。「大和三山」で、最も男性的な趣を感じます。ちなみに、万葉集では大和三山を擬人化して三角関係を歌ったものがあります。

 

 

◆畝傍山麓

~畝傍山の東北の山麓、橿原神宮の森の北、東西500m、南北400mの方形敷地。ここに、神武天皇陵があります。

 

 

◆参道

~玉砂利が敷かれ、緩やかにカーブする参道を進み、2つめの石橋を渡って振り返りました。この辺りまで来ると、空気が変わります。神社とは、質が異なる《清浄》を感じました。

 

 

◆畝傍山 東北陵

(うねびやまの うしとらの みささぎ)→日本書記&古事記に記された呼称。

~奥に向けて3つの鳥居が並び、鬱蒼とした森の中に墓所があります。この地に立つと、はるか神代の頃から陵墓が存在しているかのような錯覚に陥りそうになります。

しかし、現在の神武陵が造られたのは、幕末。今からわずか150年前です。

 

 

◆聖域

~神職以外で、柵の中、最奥まで入ることができる日本人は、天皇ただ1人。

 

 

 

【畝傍陵墓監区事務所】

奈良県橿原市大久保町17-1

~こちらで御陵印がもらえます。しかも、無料。セルフで押印する方式です。

 

 

◆御陵印見本

~天武天皇&持統天皇の御陵印です。(ネットより拝借)

 

 

墓監区事務所

~以下の5か所で、天皇の御陵印がもらえます。

①多摩陵墓監区事務所
◇所在地:東京都八王子市長房町1833

◇最寄駅:JR中央線&京王電鉄高尾線「高尾駅」

 

②桃山陵墓監区事務所
◇所在地:京都市伏見区桃山町古城山

◇最寄駅:JR奈良線「桃山駅」、近鉄京都線「桃山御陵前駅」など

 

③月輪陵墓監区事務所
◇所在地:京都市東山区泉涌寺山内町34-2
◇最寄駅:JR奈良線&京阪本線「東福寺駅」

 

④畝傍陵墓監区事務所
◇所在地:奈良県橿原市大久保町71-1
◇最寄駅:近鉄橿原線「畝傍御陵前駅」

 

⑤古市陵墓監区事務所
◇所在地:大阪府羽曳野市誉田6-11-3
◇最寄駅:近鉄大阪線「古市駅」など

 

 

以上、お盆を翌日に控えて、皇室の御先祖が眠る「天皇陵」を書いてみました。(了)